「編集者がシェアしたい本」 3分で一冊読んだ気になる読書ブログ -22ページ目

「編集者がシェアしたい本」 3分で一冊読んだ気になる読書ブログ

出版社で書籍の編集者をやっています。
読んだ本からシェアしたい名言・格言をご紹介させて頂きます。

瀬戸内海に浮かぶ小さなスクリューの形をした島・粟島にある
「漂流郵便局」がメディアで静かな話題となっている。

届けたくても届けることができない葉書、
届け先の分からない葉書を受け付ける郵便局。

瀬戸内国際芸術祭の作品として、香川県三豊市にある旧粟島郵便局を
アーティストの久保田沙耶氏が「漂流郵便局」として生まれ変わらせたのがきっかけ。

「漂流郵便局留め」という形で、全国からたくさんの葉書が寄せられている。
そのハガキが、使われなくなった郵便局で展示されているのだ。

局員は、元粟島郵便局長の中田勝久氏と著者の久保田氏のお二人。

郵便局を訪れれば、行き先のない葉書を見ることができる。
また、自分宛の手紙を見つけたら持ちかえることもできるシステムも何とも甘酸っぱい。

本書は、漂流郵便局にまつわるいくつかの物語と、
そこに寄せられた葉書の中から69通が紹介されている。

今回は、その中からいくつか印象に残った葉書をご紹介したい。

……………………………………………………………………………………
■これからふたりが過ごす時間へ
僕たちの時間へ。
どうか1分でも、1秒でも長く続いて下さい。
離れて過ごす時間はどうか1分でも、1秒でも短く過ぎ去って下さい。
時計が教える時間の長さより、少しでも長い時間を僕たちの夜に下さい。
すべてわかり合える1分をいつか僕たちに下さい。

■息子様
ちゃんとごはん食べよる?
ゲームばっかりしとらんと、ちょっとは電話してきてよ。
電話はせんでもメールでもええから。
LINEの「既読」だけが生存確認の証しやなんて。
はぁ。
育て方まちがえたんかな~。

■あの日のお姉ちゃんへ
私の人生でお姉ちゃん以上に私を笑わせてくれた人はいません。
今は何だか昔のように話はできないけれど。
これから生きる私を支えるのはあの日のお姉ちゃんです。
ありがとう。

■亡くなったお母さんへ
いまだったら言える
たくさんのありがとう

■100年後に私と同じ本を借りる人へ
2114年でもこの街に図書館はありますか?
貸出カードに書いてある私の名前を見てどんな人か想像できますか?
私が一番好きな本はミヒャエル・エンデの「モモ」です。
私は貸出カードの知らない人の名前を読んで想像するのが好きです。(中略)
だから百年後にこの本を私と同ように借りている私の名前を見て、
いろんな想像をするあなたに手紙を書いてみたいと思いました。
未来はどんどん便利になっていくでしょう?
でも図書館の中にはずっと本が並んでいて欲しいです。(中略)
100年後のあなたに。
同じ本が好きだから、きっと私たち友達になれるかもしれないね。

■お母ちゃんへ
35年ほど前、お母ちゃんにもらった小遣いの中に
古い100円札が入っていました。
私も家計が苦しかったのですが、この100円札は使いませんでした。
古くてまるで血のにじんだような、お金はもったいなくて
使うことが出来ずにいまだに持っています。
働いて、々々家族の為に頑張ってくれたお母ちゃん。
本当にありがとう。
これは私のお守りとしてこれからも大切においておきます。

■浩太君へ
浩太君 良い知らせを聞かせましょう。
漂流郵便局さんのおかげで君に葉書を書くことが出来るようになりました。
今までお父さんは君に何度も語りかけてきました。
声は届いていましたか。
きっと届いていなかったと思います。
君がどこにいるのかわからなかったから。
これでようやく君に思いを届けることができます。
君と別れてから19年がたちました。
生きていてくれたら君は30歳になっているんだよ。
君はどんな人になっていることでしょう。
お父さんには想像もできません。
お父さんは11歳の君の姿しかしらないんだから。
一枚の葉書って本当に少ししか思いを書くことができません。
でも君に葉書が届くようになったので、これからは何度でも思いを送ります。
今日はこのへんでね。またお便りします。おやすみなさい。

■上記の方の別の日の葉書
君の最後の言葉は「お母さん」。
お父さんでなかったのが少し残念。
君はお母さんが大好きで、とても頼りにしていた。
だからお年玉を貯めて、お母さんにエメラルドの指輪をプレゼントしたよね。
近頃、お母さん、君の指輪をしていない。
聞いたら、太って指が入らなくなったって。
でも時々指輪をそっと見ているそうです。
やさしい浩太君。ありがとうね。

……………………………………………………………………………………

他にもたくさんの素敵な葉書が紹介されている。
現物が掲載されているので、こう活字で見せるよりも
ずっと書いた方の思いが伝わるだろう。

最後に紹介した方の後日談も本書に掲載されているが、
息子さんを亡くした悲しみを時と共に忘れていく恐怖と闘う中で、
漂流郵便局を知り、出せなかった手紙を書くことで、
心の整理がつくようになったそうだ。

思いを文字にしたためる。

その力を改めて教えてくれる一冊だ。







真実というものは、究極は伝えうるものではない。
目に見えたり、聞こえたりするものから察する。
真実は、想像の中にある。

無駄にこそ、次の何かが兆しています。
無駄はとても大事です。無駄が多くならなければだめです。

時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます

つまらないものを買ってしまった。ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています

一つ得れば、一つ失うことは覚悟しなさい。
何もかもが満足な人生はありえない

私はまだ足りないと思う人はいくらあっても足りません。
これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、
満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います

私の場合は目標を掲げてそれに向かって精進する
という生き方ではありませんでした。
自由を求める私の心が私の道をつくりました。
すべては私の心が求めて、今の私がいます。

根は他者にあるのではなく、その人自身の一切だと思っています

感覚は自分で磨かないと得られません。
絵画を鑑賞するときは解説は忘れて、絵画が発しているオーラそのものを、
自分の感覚の一切で包み込み、受け止めるようにしています

日本人が忘れた日本の美しさ、懐かしさは、
外国人との付き合いによって、気付かされることがあります

「ミセス・ロックフェラーはお気に召した洋服は、
同じものを二十着ぐらいはお作りになります」
それを聞き、私はこれは話にならないと思いました。
いつも同じ服、それでかまわなかったのです。
自分を見せびらかすという感覚がない。
*ロックフェラー一族のブランシェット夫人が
いつ会っても同じ服なのを不思議に思って。

私のよき友人たちの志は私の中でありありと生き続けており、
私を誇らしい気持ちにさせます

これまで私は、買うことを目的にして出かけたことはほとんどなく、
訪ねた先でたまたま出会い、縁のあるものを手に入れてきました

人がどう生きるかは永遠のテーマで、正解はない

運命には抗えない。私は身の程をわきまえ、
自然に対して謙虚でなくてはならないと思いました。
人が傲慢になれる所以はないと思っています

時宜に適って語られる言葉は、銀の器に盛る金のリンゴのごとし(旧約聖書)

何回か生死を分けることがありましたが、その都度、私は人に救われ、
生かして頂きました。私がこうして長生きしていられるのは、
時宜に適って、救ってくれる人に巡り合えたからです

唯我独尊で環境や流行などにとらわれたことはなく、
人の目がどうあろうと関係なくやってきたように思います。
周囲と違っている自覚しても、人と違っていいのだと自分に言ってきました。

………………………………………………………………………………

どの言葉も深い。

この手の本は、いわゆる健康法的な観点で語られがちだが、
「私は普通に生きてきましたが、何か?」という淡々とした
姿勢が心地よく、清々しささえ覚える。

押しつけがましさもなければ、回想録的な重さもない。

こんな素敵な生き方をしたい。

そう思わされると同時に、今の自らを振り返り、
思わず身が引き締まる一冊だ。





<その1から続く>
一○三歳の美術家・篠田桃紅女史の
話題のベストセラーをようやく拝読させて頂いた。

本書は著者がこれまで書かれてこられたエッセイなどをまとめたもの。
100万部突破の「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)と
同じ手法で作られたという点でも興味深かった。

本作はそこに書かれた言葉の一つ一つが非常に説得力がある。
何せ100歳である。
日本には100歳以上の方が6万人近くいらっしゃるそうだが、
読者の大半は道半ばであろう。

誰も到達したことがない高み。

<一人で生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく>

生涯独身を通した女史に「老後は寂しい」などという戯れ言は似合わない。

仕事も続けられ、日常生活に支障もないというのだから、
多くの方にとって理想的な生き方だろう。

期せずして同じ幻冬舎発行の「家族という病」がヒットしている今、
家族を持たない生き方も選択肢として考える人も増えてきたと聞く。

誰にも迷惑をかけず、楽しく好きなように生きていく。

とにかくかっこいい女史の言葉の一つ一つを噛みしめて頂きたい。

シェアしたい言葉はこちら。

………………………………………………………………………………

百歳はこの世の治外法権

自由は自らに由ると書くが、私は自らに由って生きていると実感しています

二本の線が支え合わないと成り立たない「人」とは違い相手への過度な依存はしない。
私には、古代の「人」のほうが本来の人の姿だと思う。
古代の「人」のように最期まで一人で立っている人でありたい

歳をとるということはクリエイトするということ

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
……私の後ろに道ができるとは微塵も思わないが、
老境に入って、道無き道を手探りで進んでいるという感じ

年寄りは昔の話ばかりするというのは、ほかに話題がないからではなく、
目の高さが変わるから自然と昔話が多くなるのだと思う

今、未来を見ると、未来を肯定する気持ちと否定する気持ちが同時にやってくる。
頭にひらめいたけれど、もうできないだろうという否定が生じる

「いつ死んでもいい」という人は言っているだけで、人生やるべきことはやった、
と自分で思いたいのです。
自分自身を納得させたくて、「いつ死んでもいい」と言うのです

「いい加減」はすばらしい心の持ち方。
ほどほどに余裕を残し、決定的なことはしない。

歳をとると体の機能範囲は狭くなるので、ちょっとした偏りが大きなダメージになる。
食事、睡眠、仕事、家事労働、人間関係などあらゆる面で、
その人に合ったいい加減さを保つことができれば、
もう少しの長生きを望むことが出来るのでは

私は歳には無頓着。
これまで歳を基準に物事を考えたことは一度もありません

全面的に頼れるものはない。個人というものはどんなことがあっても個人。
家族も友人も他人。自と他の区別がある。
人の宿命で、一人で生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく

百歳を過ぎると、人は次第に「無」に近づいていると感じる

「どうしたら死は怖くなくなるのか」と若い友人に尋ねられましたた。
「考えることをやめれば、怖くない」と私は助言しました。

長生きしている人間は一つの珍種ともいえるので、伝えられることは
なんでもその時に言っておこうと、いつ死ぬかわからないので思っています

展覧会などで「これは何を表している絵なのですか?」とよく聞かれたものでした。
絵というものは、自分の中に湧いてくる思いを目に見えるようにしたものなので、
何を、という質問にはいつも戸惑いました。絵に表れているものこそが、
質問の「何を」で、その「何を」は見る人によって
どのように受け止めてもいいものだからです

面白がる気持ちがなくなると、この世は非常につまらなくなります

私は、納得しようとするのはあなたの思いあがりです、と言いました。
人というものは、納得出来ないことのほうが多い。
自分たちの知恵ではわからないことのほうがずっと多い

何か夢中になるものがないと、人は生きていてなんだか頼りない。
何かに夢中になっていたいのです。何かに夢中になっているときは、
ほかのことを忘れられますし、言い換えれば、一つ何か自分が
夢中になれるものを持つと、生きていて人は救われるのだろうと思います

あそこへ行きたいと思ったら行く。それしかないです。
生きているうちにやりたいことはなるべくしておく。
私のような歳になると、やれることとやれないことがでてきます

まだ誰もやらないときに、それをやった、ということが大事です
人の成功を見届けてから、私もできます、と言うのは
後出しジャンケンをしているようなものです

これまでスケジュールもなく生きてきました。
自然のなりゆきにまかせて生きています

自分に規律というものは課さないし、外からも課せられないようにしてきました。
縛られたくないから目標も立てません。何か目標を決めるとそこに向かって
一生懸命になってしまいます。するとほかが見えなくなります。
私はほかにいいものがあっても、目標のために見逃してしまうことがいやなのです

<その2へ続く>