一夜城ができる回です。
なるほどねー! と思いました。
有りそうでなかった解釈、一夜城が、一夜で作った城ではなく、罠として使って一夜で破壊する城とは。
言うまでもなくもちろんフィクションです。
城のてっぺんに置いた油、あれは何油の設定だったんだろう。
当然のことながら戦国時代の日本に石油は、無いわけではないけど流通していません。
庶民に灯油(灯り用の油、火を点けるための油)として使われていた油は魚油で、富裕層は荏油や胡麻油を使っており、戦の相手の斎藤家は斎藤道三が油売りから成り上がった大名だけども、斎藤道三が商っていたのは荏油か胡麻油。
つまり、あんなドロドロなものは使ってないわけです。
仮にあれが松明とかに使う松ヤニを染み込ませた何かを液体っぽくしたもので、そういう作戦があったとすれば、間違いなく史書に残っています。
なぜならば、小牧山城から見えるので、夜間に火の手が上がれば太田牛一が信長公記に書きます。
たとえ信長公記に書かれなくても、あの方法ができるなら落城する城はみんな爆破されます。
桶狭間の時、丸根砦も鷲津砦も敵軍道連れに爆破すれば良く、何なら本能寺で信長は明智軍道連れに大爆発してたでしょう。
戦の定法として残りますね。
でも敵に追い詰められて爆発したのは信憑性は置いといて松永久秀だけなので、現実的ではない策ですね。
っていうか、悪の組織の秘密基地か!
というわけで、あの作戦の突っ込みはこのくらいにしておいて、発想は面白かったと思いました。
墨俣城の再現は、ちょっと大きかったかな、と思うけど、柵の中に櫓を立てただけって感じがかっこ良かった。
木戸も映してくれると良かったんだけど、出入りするための木戸もどこかにあったはずです。
そもそもの話、当時の城攻めの方法はやたらめったら砦を作って城を囲む、という方法でした。
城と砦の違いって何?って話なんだけど、領地があって行政機能があるのが城、戦いのための機能しかないのが砦っていうニュアンスです。
が、日本においては曖昧で結構呼び名は混ざってるし、砦よりも簡易的な陣も規模によってはドラマの墨俣城の様な形になるので、現地見に行くと楽しいよ。
地形がね、良いとこにあって戦場が良く見えるんだわー
って、話が逸れたけど、じゃあ砦を作ってどうするのか、というと、攻められる側(防衛側)にも砦や支城があって、支城って何だって話は砦のバリエーションの一つだと思っておけば良いんだけど、攻める方の砦は防衛側の砦の連携を切ったりする等の防衛側の支援を絶ってじわじわ追い詰めるのです。
防衛側はそうならないように支城と連携して攻撃側を挟み撃ちしたり、他からの援軍を待って挟み撃ちしたり、長期防衛に耐えて敵が退くのを待ちます。
攻める側も金や兵糧の負担が大きく、また農民も戦に参加してるので農繁期は帰りたがるし(論争有り)、戦国だからあまり拠点を手薄にしていては別の勢力に攻められてしまうので、耐えてれば攻撃側は帰ります。
城や砦って防衛側にものすごく有利にできてるから、そこを無理に攻めると攻撃側にめちゃめちゃ被害が出るのです。
というところで、ドラマのように手薄になるよう囮を使って北方城を攻める策があったり、手薄になったと見せかけて敵を引き入れて罠にかけるという策があったりするわけですが、北方城の件もフィクションかな。
突然森可成(もり よしなり)って武将が出てきますが、今までもずっと信長の重臣が集まる中に混ざって登場していました。
どんな人かというと、森蘭丸のお父さんです。
「どうする家康」では小牧長久手の戦いの負け役で森長可(ながよし)が出てきましたが、森長可は次男、蘭丸は三男です。
森氏は元々斎藤方(土岐氏)の家臣だったけど、可成の父が織田に寝返り信長の家臣になりました。
通称は三左衛門。
可成は信長の忠臣となり、織田の内紛でも終始信長に仕えて敵になった柴田勝家も撃退しました。
たぶんイケメン。息子が信長の小姓になってアーッになってるので。
蘭丸のお父さん、槍の名手で異名が「攻めの三左」って、下ネタか!
信長からの信頼も別格で一門衆レベルだったけど、信長包囲網が敷かれて多くの敵が一斉に織田領に侵攻してくる中、浅井朝倉と延暦寺の連合軍を数日間食い止めて足止めし、討ち死に。
長男は可成が死ぬ前に金ケ崎で討ち死に、次男は小牧長久手で討ち死に、三、四、五男は本能寺で信長と共に討ち死にという凄まじい家系です。
六男忠政が大名となり、その家系はいろいろあって赤穂事件の後の赤穂藩主になって今も続いています。
続きまして、美濃三人衆についての解説をば。
衝撃的なことを言いますと、美濃三人衆は美濃三人衆と呼ばれてませんでした。
正確には西美濃三人衆と、”西”がつくわけですが、三人一緒に織田に寝返って、斎藤氏滅亡後に織田方に寝返ってその後も有力なポジションを維持したのがこの三人だったので後年に”西美濃の三人衆”等呼ばれるようになり、講談などで美濃三人衆と一括りに呼ばれるようになりました。
なので、斎藤氏の重臣同士ではあったものの、他にも斎藤氏の一門衆や重臣たちがおり、美濃三人衆が他の重臣たちに比べて特別仲良くまとまっていたり、特別強い力を持っていたわけではありませんでした。
あれよ、高校生になった時に同じ中学出身のやつがいると特別仲良くなくても”○中のやつら”ってなる感じよ。
だから、ドラマとか小説とかゲームとかで秀吉が”美濃三人衆を調略してくる”っていうのはそもそも美濃三人衆って呼称が無いのだから設定が破綻してるわけですね。
でも、元々敵だったとこに寝返ってるし、領地近いし斎藤滅亡直後は必然的にある程度協力しなきゃいけない仕事あるから揃って動くことも多かっただろうし、旧斎藤家出身の武将の中では有力だったことは間違い無いし。
この三人はやがて別の戦場で活躍することになり、その後の人生もバラバラです。
美濃三人衆、稲葉良通(一鉄)、氏家直元(卜全)、安藤守就の三人です。
稲葉良通はゲーム等では一鉄って名前で表記されることが多いけど、KOEIの信長の野望が表記を統一したので良通の方も知れ渡ってきました。
信長の野望は武将の表記を諱にするか一般的によく知られてる呼称にするか設定で選べるようになったのです。
前田慶次も前田利益になってるし森蘭丸も森成利になってるのよ。
で、この稲葉良通、春日局の祖父(外祖父で義祖父)なのです。
ちょっと血縁複雑だけど、血は祖父ポジションで繋がってます。
春日局、三代将軍家光の乳母にして江戸幕府大奥の開祖なので稲葉家も幕府内で高い地位を得るわけですが、稲葉良通嫡流と春日局の夫の系統は別で、嫡流の方は豊後(大分県)の臼杵藩で続きました。
よく見たら豊後も大分も臼杵も知らないと読めない字だな。。。
稲葉さんは斎藤家臣として織田ともたくさん戦ったし、織田に寝返った後も主要な戦にたくさん参加したものすごく激しい戦歴のある猛将だけど、茶の湯にも通じてるし謀略もできるし、この人すごいのよ。
最終的に孫が大奥の開祖だし。
ウィキ読むだけで伝記小説読んだ気分になれます。
法号の一鉄は頑固一徹の語源になったというから、ものすごく頑固だったんだと思います。
次に氏家直元。
こちらもゲームでは卜全(ぼくぜん)という名前で表記されることが多いですね。
一鉄も卜全も寝返って数年後に出家して得た法号です。
ちょっと前の平安とか鎌倉時代の大河では出家はほんとに俗世と縁を切る大事件でしたが、戦国時代は割とぽんぽん出家してますね。
理由としては寺社勢力との結びつき強化や、庶民が崇める寺社の高位の僧となることでの支配力強化、出家=隠居=息子に家督相続だから自分が討ち死にしてもお家騒動が起こらないようにする手配、あらかじめいつ死んでも良いように準備、ファッション出家などいろいろあります。
ほら、諱とか通称とかってあまり自分で選べないけど法号って自分で選べるじゃん?
厨二法号な武将も割といるのですよ。
卜全とか。あれ。
全部卜い(占い)、運任せ神頼み、そんな意味ですかね。
朝のニュース番組の占いで一喜一憂していそうです。
この人も歴戦の人で、大垣城が居城だったんだけど、桶狭間の戦いより前に大垣城は織田に奪われたりしてます。
その後、桶狭間の後に奪い返してますが、つまり、斎藤家の対織田最前線の武将だったわけですね。
墨俣城も大垣城から7キロほどなので、墨俣築城が成功されたら割と氏家さんの責任です。同じ大垣市だし。
織田に属した後も戦で活躍するのですが、わずか4年後、長島一向一揆の撤退戦で討ち死にします。
ここで生き延びていたら稲葉さんと同じくらい活躍したでしょう。
子は関ヶ原で中立になろうとしたら西軍に囲まれてやむなく西軍に属すという大失敗をして改易、大阪の陣で豊臣方になって討ち死にしたのでした。
なお、稲葉さんの子は関ヶ原でちゃんと東軍に寝返ってます。
最後の安藤守就は、意味不明な最後を遂げます。
ドラマでもやっている通り、竹中半兵衛の舅で早い段階から主君斎藤龍興の能力に懐疑を抱いて諫言していた。
対織田戦での活躍は手持ちの史料だとあまり見当たらないけど参戦はしていた感じ。
織田に寝返った後は他の二人と同じ様に活躍するんだけど、ずっと信長直属っぽい感じで各地を転戦。なのに追放されるっていう。
本能寺の変の2年前に佐久間信盛がよくわからない理由を並べ立てられて追放されるんだけど、その同時期に安藤守就も林秀貞(信長元服前からの家老)、丹羽氏勝(長秀とは血縁もない別人だけど尾張統一前からの歴戦の家臣)と一緒に、やっぱりよくわからない理由で追放されてしまうのです。
このエピソードが信長は実力主義で役に立たなくなった老害を捨てたみたいな感じで言われるんだけど、みんな活躍してたよ。
信長の方針に対して異議を言い続けてたのかなあ。
でも遠ざけるなり隠居させるなりすれば良いところを追放なので、このあたりの歴史の闇はとても興味深いところ。
ま、本題はここじゃないので話を続けると、安藤守就は本能寺の変のどさくさで失った北方城を奪い返すんだけど、その時北方城を任されていたのは稲葉さん。
稲葉さんと戦って敗死(自害)してしまうのです。
一番悲劇的な人生を送るのは、竹中半兵衛のくだりで一番登場回数の多い安藤さんなのでした。
というわけで、次回はこの美濃三人衆を調略しにいく話に繋げるために竹中半兵衛が出てきます。
が、前回のブログでも書いた墨俣築城無かった説、今回の話は上手く取り入れた感じにできてたと思いますが墨俣築城が無かったなら秀吉は目立った手柄無く(大沢調略も信憑性怪しいし)出世していったことになります。
歴史の闇おそろしやー
とりあえず次回もお楽しみに!