わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

墨俣築城イベントが始まる回です。

 

冒頭でいつの間にか主人公の名前が”長秀”になってたっていうドラマ上で何も触れてないネタが入ってました。

長秀って、丹羽長秀とかぶるじゃん、ってことで、こういうのは良いの?ってAIに聞いてみたところ、戦国時代は諱のかぶりはきにしなかった、とのことでした。

 

まあ、ほとんどの人の諱が漢字二文字で、それなりの階級の武士ならば主君の名前から一字もらうので自由に選べるのはもう一字だけ、その上にその家の通字があったり、武士にとって縁起が良かったり好まれたりする字が限られるから諱はかぶりまくるんだよね。徳川家とか忠勝だらけだし。

 

長秀は赤母衣衆になった毛利長秀(のちに秀頼)って人もいて、この人は織田の重臣と名前がかぶったあとに豊臣の後継者とも名前がかぶり、しかも結構強くて手柄立てたので豊臣の姓ももらって豊臣秀頼になってしまって名前かぶりどころか同姓同名になってしまう奇跡の人です。

 

しかも息子の名前が秀秋。毛利元就の子の小早川隆景の養子になった小早川秀秋といろいろかぶる。

 

ただ、実際に呼ぶ際は苗字で呼ぶ場合が多く、名前よりも官位や通称で呼ぶので諱の必要性が低いからかぶっててもそれほど不便じゃなかったらしい。

 

織田家も”秀”が多いのは信長の父信秀からもらった、もしくは信長があんまり自分の字を与えたくなくて父の字を与えたからだと思われます。徳川に”忠”が多いのも家康の父が広忠だからだし。

 

ま、通称もかぶりまくりなので同姓同通称もたくさんいたんだけど、同じ家中では親子を除けば同姓同通称はあまり無かったのかな。

 

そんなわけで、ドラマでも変な会話のシーンがありました。

柴田勝家「この柴田勝家にお任せください」

信長「権六(ごんろく)に任せる」

 

柴田勝家=権六って知らない視聴者には意味わからなすぎるだろ!

 

正式に自分の名を名乗る時は諱で、他の人が呼ぶ時は通称でってことなのかもしれないけど。

 

意味わからないといえば、これまた冒頭の、

「秀吉は侍大将となって評定(ひょうじょう)に加わるようになりました」

というナレーション。

 

評定ってなんやねんって思う人も多かったのではないでしょうか?

 

要するに武士の会議、軍議のことです。

鎌倉幕府では執権とその補佐の連署に次ぐナンバー3の地位の評定衆って人たちが会議で政策を取り決めたし、小田原評定っていう長いだけの無意味な会議を刺す慣用句があったりで評定って言葉自体は聞いたことがあるかもしれないけど、いきなり言われるとなんだかわからないよね。

 

太閤立志伝とか信長の野望とかやってればおなじみの言葉だけど。

 

さて、太閤立志伝、KOEIのゲームですが、主人公は秀吉で、一人の武士目線でのシミュレーションゲームです。

定期的に開催される評定で主命を得て手柄を立てて出世し、いろんな歴史イベントを経て城主になり、本能寺の変があって大名になり、天下統一を目指すわけです。

 

主命は身分の低いうちは兵糧とか馬とか鉄砲とかを買ったり売って資金ゲットしてきたりするんだけど、出世すると諜報したり新田開発や城改築等の政治や戦略に関わることしたり、戦に従軍したりして、城主になった後は逆に家臣に主命を下して自分の勢力を強化していくのです。

 

初代は主人公に選べるのは秀吉だけだったんだけど、秀吉以外も選べるようになってどんどん自由度が広がっていって今のところ最新の5ではもはや武士辞めて商人になって大富豪目指したり、剣豪になって剣の道を極めたりできます。

 

そんな太閤立志伝でも最初に発生する大型イベントが墨俣築城なのです。

 

大筋の話では、何度も墨俣築城チャレンジするけど失敗続きで、秀吉が名乗りを上げるも「お前のようなやつには任せられん!」と柴田勝家がチャレンジしてやっぱり失敗、ついに秀吉が任されて、蜂須賀小六に協力を頼んで川上でパーツを作っておいて筏で運び現地で組み立てるだけ作戦で一夜城作るって話です。

 

どんな状況かというのを江戸城(皇居)を岐阜城として考えると、横浜から江戸城を攻めるにあたって多摩川を越えた用賀あたりに軍事拠点作るような位置関係ですね。

 

大きな川は堀と一緒なので、心理的には神田あたりに敵の拠点ができるのと同じくらいの圧迫感かもしれません。

 

違うのは、岐阜城は濃尾平野を一望できる高さがあるということで、織田が何か軍事行動すると丸見えなわけです。

あ、岐阜城って言ってるけど当時の名前は稲葉山城ね。現代の地図と比べてわかりにくいから岐阜城って言ってるけど。

 

なので、墨俣に築城しようとするとすぐ撃退の軍を出せるし、作る方は築城資材持って川渡るの大変だし作りながら戦うのも大変だし、地盤悪いからそもそも建てるの大変だしで上手くいかないわけです。

 

で、秀吉は築城作戦のために川並衆に協力を求めるんだけど、この川並衆が謎の集団です。

 

あ、謎の集団は史料が少ないって意味ね。前に書いた小牧山城がオーパーツ的な話ではなく。

 

「武功夜話」においては生駒屋敷という名の冒険者ギルドに集う仲間たちで、墨俣築城イベントの前から秀吉と交流があるんだけど、たぶん川並衆も川並衆っていう名の冒険者ギルドで蜂須賀党っていうクランが筆頭で運営してる、みたいな感じだとイメージしています。

 

”衆”っていうのは集団っていうだけ意味で、何をする集団かは決まっていません。

なので同じ尾張の津島衆は津島港の町民の商工ギルドだし、川並衆は水運をしつつ特定の大名の支配下に入らず川沿いの領地の経営をしてたし、武士の小領主同士で〇〇衆っていう連合を組んでたりもするし、穴太衆っていう石工集団がいたりもしました。

 

で、蜂須賀さんは一応川並衆の領主ポジションなので、あんな汚い格好してないんじゃね?と思います。

よくあるイメージでは粗暴な地侍(所属フリーの武士)であんな感じではあるんだけど、従業員100人以上の会社の社長なので山賊のボスとは違う感じだと思うんだよなあ。

 

ちなみに前回のブログで書いた「武功夜話」の著者一族の代表、前野長康が今回のドラマでばっちり出てきてくれました。

あんな良いやつが、この後側近ポジションで20年秀吉に仕えた末に秀吉の息子の不始末で連座切腹しちゃうんだぜ。

泣ける。

 

個人的には稲田さんは美味しいキャラなのでもっと出して欲しかったんだけど、小物感出てて良かったな。

小六が秀吉に罵声浴びせた後に追い罵声するって。

wikiによると、蜂須賀家の筆頭家老としてずっと蜂須賀小六、息子家政、孫至鎮を支え、阿波蜂須賀藩内で与えられた領地は善政を敷いて発展させ、後に淡路をもらってそこで善政を敷いたものすごく忠義厚く有能な武将なんだけど、武功夜話読んでると秀吉の家臣内でパシられまくってあたふたしてる人。たいてい伝言頼まれた相手が見当たらない。

 

なお、徳島藩家老として淡路を治めてたのに今淡路が兵庫県なのは、稲田さんの子孫が維新後に徳島藩から独立しようとして揉めたかららしい。

 

次回は築城イベント本番です。

ちなみに、現在墨俣城として建てられてるのは完全レプリカで、実際建てたとされるのは柵と塀に囲われた陣地的なものなのと、そもそも墨俣築城イベント自体の信憑性が微妙っていう。。。

「武功夜話」には結構な文量で書いてあるんだけどね、信長公記に無いっていうね。

 

ま、秀吉の話ならこれ飛ばすとクレーム殺到するイベントなので。

 

というわけで、次回もお楽しみに!

 

 

 

 

大沢さんと兄藤吉郎を助ける話でした。

 

これは、なんともコメントしにくい回です。

というのは、鵜沼城と大沢氏に関しては史料は太閤記に書かれてるだけで、関連ありそうな事柄の前後の記述も無くあまり深く掘り下げられないからです。

 

もちろんフィクションの物語を作る上では創作の幅がとても広いわけですが、そのあたりの考察と解説を書いてみましょう。

 

一応前回のブログで鵜沼城(宇留間城)と大沢氏については書いたのでそちらを参照してもらうとして、秀吉関連の史料について書いておきます。

 

まず一番信用できそうなのが信長記。

著者は太田牛一という信長の側近で、信長が子供の頃から死ぬまでかなり近い距離にいて、信長の記録、または信長の時代の記録を残そうという意図で書かれたものなのでかなり信憑性が高い。

もちろん秀吉についての記述も多いし、直接秀吉について書いてなくてもその時の情勢がわかる。

ただ、信長大好き感が強くて所々でめっちゃ信長褒めまくってる記述も目立つ。

 

次に武功夜話。

著者は誰か一人に特定はできないんだけど、尾張の土豪前野氏の一族で、前野家文書と呼ばれる写本群の一部が武功夜話とされています。

前野氏は、代表は蜂須賀小六と並ぶ秀吉側近の前野長康という人で、前野一族は秀吉が出世する前から生駒サロンで交流があって、次回の墨俣築城以降になるとだんだん前野長康が秀吉の家臣化していって、最終的にめっちゃ信頼されて秀次の後見人になったばかりに秀次切腹に連座となってしまいます。

が、前野一族はたくさんいて、柴田勝家など他の織田家臣について言ったものも多く、本能寺の変後は一族で敵味方になったりもしてるんだけど、そのおかげで前野長康が切腹してもたくさん一族が残っていて前野家文書が世に残りました。

武功夜話は前野一族の子孫が江戸前期に戦国時代を生きた先祖の書物を集めたり、同時代の人たちに話を聞いて編纂した史料なので、多少の誤りがあったり、身分の低い武士の話だから上層部の意図がわかってなかったりするものの、下級武士目線での臨場感ある描写があって面白い。

 

で、大沢さんの話が載ってる太閤記。

著者は小瀬甫庵という医者、儒学者で、信長の乳兄弟の池田恒興に仕えた後に秀次に仕え、その後しばらく浪人して、元豊臣三中老の堀田吉晴に仕えた後に、最終的に加賀で前田家に仕えた。

この人がなぜ史書を残したのか謎なんだけど、太閤記は儒教的要素を入れた虚構が多くて史料としての信頼度は低いとされています。

それでも太閤記の他に信長記に追加エピソードを加えた甫庵信長記って呼ばれるものを書いたりしてるから、戦国の司馬遼太郎的な人だったのかもしれません。

つまり、歴史をエンターテイメントとして捉えられる歴史好きだ。

なので、これを元に講談が作られたりしてます。

 

あと他にも天正記とか各家臣の家に残る家譜とか文書とかいろいろあるけど、有名どころの史料ならこの3つかな。

 

で、大沢氏と鵜沼城に関しては太閤記に載ってる話がメインになるわけだけど、太閤記の記述の主軸はやっぱり儒教の教訓で要約すると、秀吉を信じて調略に応じた大沢氏を討っては織田家は信用を損なってしまうので”君命に背いてでも信用を守るのは大事”というところで終わってます。

 

原文もドラマで2話使うほどの量ではなく、秀吉が調略を成功させた、せっかくだから大沢を信長に会いに行かせよう、信長が「大沢は強いからまた裏切ったら大変なので殺しておこう」と言い出した、秀吉は自分の刀を大沢に渡して丸腰になり自分を人質にして大沢を逃がした、って話です。

そこから後は斉の桓公、晋の文公など有名な中国の故事を引き合いに出して、信用は大事って落ちにしています。

 

ドラマでは、信長が弟に裏切られて殺したことと秀長が兄を命がけで守ろうとする対比を描きたかったんだと思うんだけど、そこからなぜ信長が苛烈な性格なのかっていう紐づけをしたかったのでしょうか。

 

お市が出てきて信長の会話役になっていたけど、後年お市の夫は信長に殺されてしまいます。

でも突然出てきた佐々成政も20年後に秀吉にむちゃぶりされて切腹させられてしまいます。

この時の恨み・・・?ではないと思うけど。

 

そもそも織田信長の性格は掴みづらい。

信長は天下統一の手前まで行ったけど負けまくって苦戦しまくって金に物を言わせた新兵器と物量作戦で勢力を広げたし、敵の降伏は許さないわけではなく結構許したし、だから裏切られるわけだけど裏切られても結構許したし、その上での皆殺しだったりするわけで、描写が難しいのよね。

 

秀吉なら天下統一の前と後で性格変わるからわかりやすいんだけど。

 

総じて、もろもろのフラグを作っておく回だったのかな、と思ってます。

 

結構良くできてたと思ったのは、ところどこで小牧山城の遠景が写っているところ。

小牧山城は信長の居城の中でも4年くらいしか住んでなくて影が薄いんだけど、美濃を攻めるための一時的な城ではなく、清州の家臣総出で引っ越しで、石垣っていうオーパーツを備えてました。

石垣は鉄砲対策の最新設備で、それより前は滋賀の観音寺城がデザイン建築として石垣を採用してるだけでした。

それを信長が小牧山に取り入れたのはオーパーツなので信長は未来人だと思ってるわけですが、誰か本気で研究してくれないかな。

 

信長がどういう経緯で石垣の存在を知って、どうやって設計して誰に作らせたのか。

上洛する時に見かけたのか、かっこいい城作ろうと思って有識者に相談しまくったのか、、、

石垣と言えば穴太衆が組むものだと思うけど、穴太衆が織田と関わってくるのは安土城を作る時からっていうか小牧山城作ったならその時に史料に乗るはずなので、小牧山の石垣組んだのは穴太衆ではないとするなら誰が組んだのか。

小牧山の石垣組んだ石工たちはその後どこへ行ったのか。

 

不慣れな人が組んだ石垣の上に住むとか、その麓に住むとか怖すぎじゃんね。

小牧山の石垣、オーパーツです。

 

で、その小牧山要塞がちゃんと壮大に背景として写ってたのがとても良かったと思うのです。

歴史的存在感薄めの小牧山城、名古屋から近いし無料だし、結構ハイキングできるし、ぜひ行って欲しい。

 

次回はいよいよ秀吉出世のきっかけとなる墨俣築城、何話使うんだろ。。。

お楽しみに!

 

 

大沢さん調略の回です。

 

秀吉が出世に続く活躍を見せ始めるのは美濃攻略編からなので、その第一歩として大沢さん調略の話は秀吉の物語では紹介されることが多いのですが、史実的な話になると謎に包まれているし、具体的なエピソードとなるとまたよくわかりません。

 

なぜならば、史料が錯綜しているからだ。

 

ドラマでは前回の話からいきなり2年飛んで清洲同盟から始まりましたが、その間も信長はずっと美濃の斎藤氏と攻防を続けているのです。

最終的に斎藤氏を滅ぼすのは桶狭間から7年後、その間に織田と斎藤の間でたくさんの買ったり負けたりの戦があって、その中でたくさんの調略劇があるので、当時の人たちも何がなんだか、どの戦がどの順番だったか、誰がどの順番で調略されたかとかよくわかんなくなったんじゃないかな。

 

前田利家は桶狭間の時は織田家追放されてたけど勝手に戦に参加して敵の首獲ってきて、でも許されずこの斎藤との攻防でも勝手に参戦して手柄を立てて帰参を許されました。って信長公記に書いてあった。

 

その信長公記では、大沢氏の鵜沼城は宇留間城となっていて、というか手持ちの史料では宇留間城の方が多数派なんだけども、記録を語った人は鼻詰まってたんでしょうか。

 

ともかく、信長公記では調略の話は触れずに、信長が高所に陣を張って、これは防げないと降参した、とあります。

武功夜話では秀吉が犬山城攻略のために大沢氏の調略を献策して、具体的な調略方法は無いものの、先に犬山城が陥落してからの大沢氏の降伏ってことになっていて、信長は劣勢になってからの降伏に怒って殺そうとしたのを秀吉が助命を乞うたことになってます。

 

というか、ドラマではシンプルに犬山城攻略のために背後の鵜沼城を調略という策にしてますが、実際はもっとたくさんの城のネットワークがあって、たくさんの城を多角的に攻略してるのと、そもそも犬山城、織田信清っていう織田一族が城主なのです。

 

織田信清は信長の織田弾正忠家とは対立していた織田一族でしたが、信長の姉を妻にして岩倉城攻めでは協力したけどその領地の分前で再び対立し、それを斎藤が支援するという根深い遺恨があったのです。

だから、直接支援していた大沢への恨みも深い、と。

 

だけど、その大沢さん、名前もいくつも候補があってはっきりしないし、息子の主水が当主かのような書かれ方もしてるので、何がなんだか。

 

その後も無事に助命された、死んだ、行方不明になったなど、いろんな説があります。

 

そして、宇留間城が落ちたのは1564年なので、今回の話が始まってから終わるまでにいつの間にか2年経ってます。

 

今回の話は秀吉が得意としていく調略の第一エピソードっていう形だと思うのでかなり盛ってわかりやすく描いてる感じかな。

 

むしろグッジョブなのは、武田佐吉が出てきたところ。

ドラマに出てきたことない人物だよね。

 

御前試合に出てきた人は前田利家以外は架空の人物だと思う、というか御前試合自体フィクションだと思うんだけど、武田佐吉は実在の人物で、信長の側近です。

 

信長の側近はたくさんいるんだけど、後年まで代官クラスで活躍した人物ですね。

 

御前試合がなぜフィクションと思うかというと、信長はこの後”母衣衆”という直属の使番(要するにエリート組)を制定するんだけど、その中に秀吉は入っていないからです。

2位なら入るでしょ。

もちろん前田利家は母衣衆に選ばれてるし、他に選ばれた中には後に織田軍団で国主になるような人も何人かいます。

ゲーム等でもおなじみの佐々成政、川尻秀隆、蜂屋頼隆、原田直政など。

御前試合出なさいよ、と。

 

逆に考えると、御前試合に出てる身分の低い武士たちを国主に抜擢しちゃう信長すげえと思う。

 

 

というわけで、今日は書くことあまりなかったかな。。。

 

あ、まつ!

 

いつの間にか2年経ってるからまつの登場シーンの御前試合が何年かわからないんだけど、1547年生まれなので、1562年なら16歳なんだけど、既に2人出産しております。

宇留間陥落の1564年なら3人目出産しております。

 

1人目を11歳で産んだという猛者なので、戦国の女性すげー、と思うわけです。

 

で、ねねはまだ13歳。1564年なら16歳。

 

まあ、現代のイメージ的にそのまんまの年齢差の役者はまずいと思うんだけど、同年代同士の恋愛っぽくするのも違うと思うのよね。

 

ちなみにお市もねねと同年代で、お市と結婚する浅井長政は4歳差(ウィキによると)なのでこちらは同年代カップルと言えるんだけども。

秀吉、利家じゃ10歳くらい年の差あるからなあ。

 

というわけで、次回は今日の続きの大沢さんどうなるか、って話なはず。

 

竹中半兵衛はどんな感じに描かれるのか、乞うご期待!

 

桶狭間です。

エキサイティングな回でした。

 

まずは、みんな感じたと思う違和感を。

濃姫いなくね?

 

ほとんどのドラマ、漫画では出陣前に信長が敦盛を舞うシーンでは妻の濃姫が立ち会い、具足を纏うのを手伝って信長の出陣を見送るわけですが、「信長公記」には濃姫がいたとは書かれていません。

というか、濃姫自身の史料が斎藤道三の娘であること、斎藤との和睦のために信長の妻(正室かどうかも定かじゃない)となったこと、斎藤家の菩提寺に道三の肖像画を寄進したことくらいしか無いので、桶狭間の時点で既に死んでた説もあります。

 

なので、ドラマ等での濃姫のキャラクターや描写は全部フィクションなのですが、やっぱいないと違和感あるよね。

 

まあ、「豊臣兄弟」には必要無いキャラというわけでいないんだと思いますが、どちらかというと大事なのは側室の生駒氏の方かな。

 

信長、秀吉の重要史料の「武功夜話」は尾張の有力者である生駒氏の家に集まる無頼漢たちから聞いた話をまとめたもので、その集まっていた無頼漢の中に秀吉がいたし、秀吉の墨俣築城に協力して重臣になる蜂須賀小六や前野将右衛門がいたのです。

 

無頼漢と言ってもイメージ的に無頼漢なだけで、こういった土着の武士たちはちゃんと生業を持って生きてたと思いますよ。

ライブハウスに集まるロックンローラーたち、みたいなイメージです。

便宜的に無頼漢って書いてるだけです。

 

そんで、「武功夜話」によると、信長に今川義元の陣の位置を伝えた梁田政綱は、生駒屋敷に集まる無頼漢たちの窓口で、無頼漢たちが集めた今川軍の情報を信長に伝えていた、と書かれています。

 

梁田さんが謎の人物なんだけど、後年信長が九州制覇を見越して秀吉、明智光秀、丹羽長秀に九州由来の官位や姓を与える時に一緒に九州由来の苗字を貰った簗田広正がこの梁田さんの子と言われているので、信長に重用された一族なのかな。

少なくとも佐久間盛重の首を獲って今川軍に降伏し、首が運ばれる先で今川本陣の位置を割り出したというようなことはありません。

 

一応、本陣を探る策として無くはないと思いますが、佐久間盛重、ドラマでは不穏な動きをしてますが個人的なイメージでは信長の忠臣です。

 

佐久間氏は尾張で幅広く勢力を持った一族で、家康の父広忠暗殺の黒幕っぽいとこに名前が出てたりとかするのですが、佐久間盛重、信盛は信長の父の代からの重臣で、盛重と信盛の血縁関係はわからないけど同族で、信盛は信長付き、盛重は弟信行付きとなりました。

 

が、盛重は信長と信行が争った際には信長の方に付き、信行の方に残っていた柴田勝家と戦っています。

兄と弟が戦うって、兄の方に不満を持つ者がそれなりにいるから戦いが起こるわけで、実際兵力的にも信長が劣勢で、その中で弟付きだったのに兄の方に寝返るってなかなかできないと思うのよ。

 

というわけで、盛重は信長の忠臣ってイメージなんだけど、桶狭間で今川に寝返る役にするなんて。

 

しかも、丸根砦の戦って大激戦で、家康軍に死傷者多数出した挙げ句の全滅するまで戦った戦よ。

寡兵で最後まで戦って討ち死にした忠臣をそんな描き方するなんて。

 

なお、この佐久間さんの一族の子孫が象山塾っていうのを作ってそこで学んだ人たちが江戸時代を終わらせます。

 

さて、気を取り直して桶狭間。

いっぱい謎があるんだけども、史実の時系列を整理してみましょう。

桶狭間の戦いは1560年5月19日です。

 

・1550年代半ばから今川領三河で反乱相次ぎ、呼応して織田軍が攻撃

尾張や三河の城や砦を取ったり取られたりの攻防が続く

 

・1559年3月今川領で新たな軍令が定められ戦の準備開始

この時点で敵味方共に今川が織田に大軍を向けることが知られる

 

・1559年に今川方の鳴海城、大高城を包囲するため信長は丸根、鷲津、丹下、善照寺、中嶋に砦を築く

今川の軍令発布とどっちが先かわからない

 

・1560年5月8日今川義元三河守に任じられ駿府出陣、5月17日沓掛着、5月18日家康の大高兵糧入れ

 

・5月18日夜、信長は重臣と軍議をするも大した話をせずに寝る。

 

・5月19日午前3時ごろ、丸根、鷲津砦が攻撃され、その報を聞いた信長は敦盛舞って出陣

 

・午前8時ごろ織田軍熱田に集合、丸根、鷲津が落ちて城将討ち死に

 

・午前10時ごろ善照寺砦(佐久間信盛が城主)に移動

敵陣から丸見え

 

・佐々政次(成政の兄)、千秋季忠(熱田神宮宮司)らがなぜかこのタイミングで今川軍に突撃して討ち死に

 

・信長、丸見えだからやめろっていう制止を振り切って中嶋砦(最前線)に移動

 

・さらに自ら出陣しようとするのを止められてるところに前田利家らが敵の首を持ってくる

ゲリラ戦しかけてたのか、正規兵以外が勝手に戦ってたのか、、、

 

・昼頃出陣して山際まできたところで豪雨

 

・晴れて突撃、午後2時ごろ義元の首を獲る

 

って流れなんだけど、まあ、いろいろ想像できちゃうよね。

どれが偶然でどれが信長の策なのでしょう。

 

不思議なのが、この有名な戦いに織田の重臣の名前が出てこないところなのです。

柴田勝家どこで何してた。

丹羽長秀は?佐久間信盛は信長突撃してもずっと善照寺?水野信元は?あとの織田一門衆は?

 

よくわからない武士の名前はいっぱい出てくるし、今川の方は主要な将はどこに誰がいたかわかってるんだけど、織田軍の方はさっぱりわからないのね。

 

で、前述した佐久間盛重、信長にとっても大事な大事な家臣なのに見殺し。

というか、こういう時に援軍を送るのが主従契約の重要項だったりするので、丸根と鷲津の見殺しは策の一環だったと思います。

1年前から今川が大軍準備してるの知ってて今川に寝返る武将がいないんだもん。

無策で砦守ってる将兵見殺しにするようならそれこそドラマのように寝返ろうとするわ。

 

だから、丸根と鷲津は家康と、鷲津攻めてたのは今川の先方衆掛川城主の朝比奈さんだけど、家康と朝比奈の軍を疲弊させて動けなくさせるために捨て駒になったんだと思うわけです。

動いてる今川軍がこの2つなので、本陣攻めてるところに引き返してこないように。

 

本陣は本陣で俗説のように油断してたわけではなく、むしろ超警戒してたわけだけど、丸見えだったはずの信長を見失います。

 

豪雨は劇的だけども、策があったからには豪雨があっても無くても信長は出陣していたはずです。

だから、信長の動きは奇襲じゃなくて陽動だったんじゃないか、それで敵を誘導して名前が出てこない柴田勝家らが奇襲する作戦だったんじゃないか、と思ったり。

それが豪雨で見えなくなっちゃって陽動失敗なんだけど、自分で本陣奇襲できちゃった、みたいな。

 

で、ドラマでは上手く今川軍を分断させて義元の首を獲る策だったわけだけど、それは分断された残りの今川軍が無傷ってことになるわけじゃん?

 

それを柴田さんたちが壊滅させた、と。

 

桶狭間はドラマとかで「狙うは義元の首ただ一つ」とか言ってるけど、5000人くらい討ち取ってる戦なので、今は住宅街になってる桶狭間古戦場に住んでる人は勇者だと思います。

 

という話ではなく、桶狭間の戦いの目的が謎なのです。

 

今川軍壊滅させといて、ドラマでも「褒章を約束する」みたいなこと言ってるけど得た領地は大高、鳴海、沓掛あたりまでで尾張国内の今川勢力を一掃したくらい。

岡崎まで攻めて長年戦って苦しめられてきた松平を討ち取るのは必須だと思うんだけど、なぜか見逃してしまう。

 

なお、沓掛城は梁田さんに与えられ、鳴海は佐久間信盛が城代となり、大高は廃城。

 

結果的に今川義元討ち取ったけど、普通はこれだけの戦果があれば三河に雪崩込んでも良いはずなのよ。

 

そうしなかったということは、桶狭間の戦いの目的は今川義元を討ち取ることじゃなかった、と考えるべきだし、そうなると奇襲は狙った策ではなかったと考えても良いのかな、と。

 

やっぱ目的は松平元康(徳川家康)を今川から離反させて味方にすることだったんじゃないかな、と思える。

信長は京を目指したくて、今川に背後を突かれたくないから松平に壁になって欲しかったんだと思う。

 

桶狭間の後は東は松平に任せて岐阜と伊勢に本腰を入れて侵攻してるし、斎藤滅ぼすまで7年かかってるし。

 

たくさん史料見れば見るほどいろんな角度から考察できて奥が深い桶狭間なのです。

 

実際現地歩いたりしたけど、推定される今川本陣はかなり高所にあって織田の動き丸見えよ。

信長の進軍ルートも諸説あるし、近年は迂回して奇襲じゃなくて正面から突っ込んだ説が有力だけど、それでなぜ討ち取られてしまうのよ。

信長の少数手勢部隊じゃなくて柴田さんたちが率いる主力部隊どこよ。

 

ま、いろいろ謎はあるけど、信長隊も死傷者多数って史料にあるので、奇襲だったとしても楽勝ではなく激戦の末の勝利だったわけで、ドラマの様に歴戦の猛者でも討ち死にした人はたくさんいました。

城戸小左衛門への仇討ちはそういう描かれ方になったのね。

 

というわけで、いろいろ文句はあるけど臨場感あるエキサイティングな桶狭間でした。

 

次回は、、、どうなるんだ?

毎回いまいち予告がわかりにくい。。。

 

家康としばらく小競り合いした後に清洲同盟しつつ美濃攻めで苦戦するって流れになるけど、、、

次回もお楽しみに!

桶狭間前夜です。

 

迫り来る強大な敵に対して揺れる織田家とその中にいる下っ端足軽兄弟の話ですね。

 

数多く描かれてきた桶狭間の戦いの中に、父の敵討ちっていうサブストーリーを入れた斬新な構成ですが、もちろんフィクションです。

城戸小左衛門は実在の武将で、槍の名手と伝わっているけどそれ以外のことがよくわからないのでフィクションの材料になったわけです。

 

強いって伝わってるけどどんな実績があったのか、いつどこで死んだのか不明っていう武将はたくさんいるのでそういう人は作者が自由にキャラ設定できるので楽しいですね。

 

 

で、数多く描かれた桶狭間の戦いですが、近年は広く知れ渡ってる定説が変わってきています。

このあたりは「どうする家康」や「麒麟が来る」、「おんな城主直虎」の時の解説でも書いてたはずですが、改めて書いてみます。

 

まず、”強大な今川氏”。

駿府、遠江、三河の三国を支配していて強大なことに間違いは無いのですが、内情がガタガタになっていたという説があります。

 

どのくらいガタガタだったかはまた議論すべきところですが、今川領内で内乱が頻発し、しかもそれが信長の謀略によるものでした。

 

前回の主人公の実家の村が野盗に襲撃される話のブログで、今川等の敵対勢力の手引の可能性ってことを書きましたが、信長の方が今川に対してそういうことをガンガンやっていました。

 

このあたりは「おんな城主直虎」でたくさん描かれていましたが、三河の豪族が頻繁に今川に対して挙兵し、それに対応しているうちに今川が疑心暗鬼になって少しでも疑いがある者を殺してしまい、それが更に反感を生んで反乱が相次ぐという流れです。

 

それで直虎の幼馴染も殺されてしまうのでした。

 

そもそも今川は三河をちゃんと支配できていたのか、っていう議論もありますが、この相次ぐ反乱に三河騒乱、三河忩劇(そうげき)っていう歴史用語ができています。

 

これを、家康を駿府に人質に取られて主不在の松平氏が鎮圧に駆け回るわけです。

対織田最前線であり、三河の中では大領主の松平氏は大変だったのです。

 

イメージとしては三河は今川の植民地のような感じで、長い間三河の統一領主がおらず小領主が割拠していたところを今川が征服したのですが、織田も三河に攻勢をかけてくるし今川は圧政をするしでどの領主も親今川派と反今川派(親織田派)に別れていました。

 

織田が三河に攻勢をかけてくるのは信長の父の代からなので、何十年単位の年月で織田と今川は三河を挟んで戦ってきたわけですね。

 

なので、桶狭間の戦いが初めて今川が織田に決戦を挑んだ戦いではなく、過去2回小豆坂の戦いを経ての3度目の大戦だったわけです。

 

そして注目すべきは、桶狭間の戦いは織田側が仕掛けた戦、というところです。

ここは「どうする家康」で描かれていましたが、大高城を包囲して落城させずに兵糧攻めにして、救援に来た今川本隊と決戦ていう流れなのです。

大高城はこの時今川の親族が城主をやっていて、見捨ててしまっては戦略的より信用的にまずいので絶対に救援しなければならない城でした。

 

これらの流れを尾張統一戦で親族と他の織田一族倒しながらやってるのが信長マジすげえと思う。

 

で、大高城は”木の根も食う”状態だったので、救援された大高の将兵が健康だったらおかしいのだけど、そこは考証入らなかったのかな。

 

あと、やっぱ今川義元のキャラ設定って難しいよね。

 

「おんな城主直虎」や「どうする家康」では対抗できない強大な主君だったからとても偉大な大名として描かれていたけど、信長視点だとどうしてもね。

特に、それまでの今川との謀略戦をすっとばしてると、今川義元を強くできないという。

 

なぜ強くできないかというと、桶狭間の戦いがいろいろ謎に包まれてるから。

奇襲であっけなく討ち取られるとか、困っちゃうよね。

 

その後の戦国の勝者が今川に苦しめられてきた人たちだから悪口たくさん残っちゃうし。

 

史実的なこととしては、今川義元は幾多の戦いを経て今川氏の後継者となり、先代の急死で揺らいでた支配領域を取り戻しつつ武田信玄や北条氏と戦いを繰り広げた後に見事な三国同盟を締結、国内を安定させたのちに満を持して織田と戦おうとしてたら信長に三河ガタガタにされちゃった、というところなのでした。

 

次回はいよいよ桶狭間の戦いです。

その、戦いの謎について語りたいと思うのですが、どう描かれるのか、乞うご期待!

 

2話目です。

 

小一郎が侍になることを決断して秀吉と共に清州に行く話でした。

 

小一郎が侍になった時期や経緯は史料不足で後世の推測や創作なので、この話での演出もほぼフィクションです。

実家の村が野盗に襲われる、という可能性は無きにしもあらずだけど、恐らく秀吉の実家が襲撃されたならば史料に残るはずなので、創作だとしても限りなく事実である可能性が低い創作だと思いました。

 

野盗とはそもそも何者か、という話になるけども、この時代は敗れた勢力の残党(落ち武者)がいっぱいいたのと、そういうのを援助したり扇動したりする敵対大名がいたりするので、野盗による村襲撃は頻繁にあったかと思われます。

そのあたりは実際に信長が野盗を討伐に行ったりしてる史料があるので。

 

ただ、村人皆殺しみたいなことをやる例は稀で、野盗の目的は村の財や食料、女を奪うことだし、バックに信長の敵対勢力がいるなら経済的ダメージと信長への信頼を損なうことが目的なので皆殺しは効率的には悪くなってしまいます。

 

あと、この時期の野盗が鉄砲を持っている可能性はだいぶ低いと思います。

信長は熱田や津島の港からの収益で大金持ちだったから鉄砲を持っていたけど、それ以外では城持ちの領主クラスの勢力でも数丁しか持っていないものだったし、鉄砲には玉の他に焔硝等も必要でその入手が困難だったから使える状態を維持するのも大変なのです。

 

なので、この野盗が岩倉織田氏や今川の手引で狼藉を働いていたとしても不自然じゃないかな。

この謎が何かの伏線なのか、そのまま放置なのかは今後に期待ということで。

 

で、 岩倉織田氏。

ドラマでは誰も登場してなくて名前だけ戦の相手として出てきて、トドメを刺すところだからいかにも楽勝で、しかも降伏を許さず殲滅しようとして信長の冷徹さを強調してる感じなんだけど、これは演出マジックです。

 

そもそも織田氏は大きく清州織田氏と岩倉織田氏に分かれて長年対立してきました。

長年というのは応仁の乱からなので90年くらい。

 

信長の織田家は織田弾正忠家と言い、清州織田氏の奉行でした。

なので、家柄からしても岩倉織田氏は先祖代々の敵なわけですが、信長の祖父の代から弾正忠家が力を付け過ぎたたため、弾正忠家は清州織田氏に属する他の織田家とも対立することになってわけがわからなくなるのです。

父の代は良好な関係だった他の織田家も信長の代では争っていたり。

 

尾張の中で織田氏同士が対立してる間にも東からは今川が、北からは斎藤が攻めてきて、なぜか他の織田は戦わずに弾正忠家が撃退するのです。

なぜか、それは他の織田家が敵と通じていたりするからです。

他の織田家どころか弟まで裏切ってきます。

 

なので信長はどんどん他の織田家を倒していって、ようやく最後に岩倉織田氏の岩倉城を包囲した、っていうのが2話目のところ。

だから、降伏を許さず灰燼に帰させたのは冷徹とか残虐とかではなく、長年の恨みと将来への禍根を残さずしっかり尾張統一したかったからなのです。

 

これまで結構信長は降伏したやつ許しましたが、再び反旗を翻されるってことも何度もありました。

岩倉織田氏とはこの前年に浮野の戦いで激戦の末に勝利し、やっとトドメをさせるところまで来たのです。

突然の上洛して将軍に謁見したのも、尾張統一を確定させるためという説があります。

個人的な恨みの度合いはともかく、立場的に最も対立していた相手なので、徹底的に潰したかったわけです。

 

と、ここまで説明しておいて、岩倉織田氏の当主と当主の父は助命されて尾張追放で済んでます。

当主の父はその後斎藤氏に行って再び信長と戦い続けるのですが、斎藤氏滅亡後も逃げ延び、それでも許されて安土城内の寺の住職になるという、なにこれ。

 

信長優しすぎる!

 

そんな後日談もある岩倉攻めなのでした。

信長、他にもかなり敵を許してますよ。

 

あと語っておきたいのは小一郎が侍になった時期。

wikiによると秀吉の家臣ではなく信長の直臣になったようで、秀吉の家臣となるのは秀吉がもっと出世してからです。

 

でも、それまでの過程で秀吉には郎党(付き人とか秘書とか補佐役)が必要になるわけで、与力(レンタル家臣)として信長から秀吉に貸し出されたという形になっていた可能性が高いですね。

 

その辺をドラマではどう設定するのか、視聴者にわかりにくいから細かいことは置いといて秀吉の家臣にしちゃうのかも注目のところ。

 

ちょっと他にも織田の重臣団についての突っ込みやお市について語りたいこともあるんだけど、いつも「長い!」と言われているので今日はこのくらいで。

 

柴田さん強そうにしてるけど負けまくってるよね、とか、丹羽さん信長と年近いのにおっさんじゃね?とかいろいろ語りたい。

 

とりあえず、岩倉さんを倒すといよいよ今川が攻めてきます。

 

次回もお楽しみに!

 

さて、始まりました!

今年はいっぱいブログ書くよ。

 

今年の大河は珍しく主人公の子供時代からじゃないな、と思ったけどべらぼうも最初から大人だったわ。

べらぼうはおそらく主人公が数え年で19歳からスタートだったと思うけど、今回は秀長20歳、秀吉23歳です。

 

なんでわかるかと言うと、信長のお忍び上洛は1559年なので、ググって出てくる二人の生年を引いて1足せば数え年の年齢になります。

 

まあ、桶狭間前の秀吉の活躍は史料が曖昧なところもあるし、苦労話であまり面白くないのでばっさりカットなのは良いですね。

 

もちろん、秀長は何してたかはもっと曖昧です。

秀吉が「武士になる」って言って家を飛び出して以降、残った家族を支えて百姓をしていたと思われるんだけど、秀吉自体の木下っていう苗字が、ドラマでは信長に苗字を許されたって言ってたけど父が木下を名乗っていたっぽいのでそこまで貧乏な家ではなかった説もあります。

 

天下人になったのに出自が謎っていうね。

むしろ天下人になったからこそ、逆にマジで貧しい育ちを隠そうとして脚色をしたりされたりしたのかもしれないし、後世の人が木下藤吉郎の父だから、父の苗字も木下だろ、って勝手につけたのかもしれないし。

 

苗字の話を考えると話が逸れちゃうんだけど、妻になった寧々(ねね)、名前も苗字も不明です。

苗字が不明っていうのは、当時の女性は武家であっても苗字を名乗っていたのかどうかがわからないからです。

 

鎌倉殿の時のブログでも触れたけど、北条政子は北条政子と名乗っている文書が無いのです。

同様に、寧々も、手紙の署名に「寧」と書いてはあるけど「ねい」なのか「ね」なのか不明、秀吉の手紙に妻のことを「ねね」と書いたのがあるけど本名の発音なのか愛称としてそう呼んでたのか不明、ましてや苗字を名乗ってる史料はありません。

 

ゲームなどでは「羽柴ねね」とか表記されてるけど、恐らく体外的な名乗りは「羽柴筑前守の妻、寧」か「浅野又右衛門の娘(養女)、寧」だと思われます。

 

なので、苗字も名前も不明です。

 

そして、1559年の時点で通説では11歳という。

どう見てもドラマでは11歳の見た目じゃなかったね。。。

 

ま、話が逸れまくったので戻すと、坂井なんとかってのが秀長の実家あたりを治めてて好きぴの父という設定になってたけど、坂井って苗字の武士はたぶん尾張にいっぱいいます。

有名なのは信長の尾張統一のラスボス的な位置にいる坂井大膳って人がいます。

 

坂井大膳は清州織田氏の重臣で、信長の織田弾正忠家もまた清州織田氏の家臣の家でした。

が、信長の祖父くらいから熱田港をゲットして主家を凌ぐほど力を強めてきたので、坂井大膳がいろいろ謀略を使って対抗してくるのです。

 

で、最終的に坂井大膳を討って清州城ゲット、っていうのがドラマの5年くらい前の話。

 

ただし、ラスボス的なやつ倒しても尾張はまだ統一はならず、他の織田家を倒したり、弟を倒したりして、やっと尾張統一したのがドラマ始まる直前くらいの感じね。

 

つまるところ、苗字が織田のやつも坂井のやつも丹羽も佐久間もいっぱいいてややこしい。

 

なお、横川甚内(秀吉に殺されてた人)は架空の人物だと思う。

 

あと気になったのは、畑耕してるところに騎馬の武士が戦を告げに来るシーン。

 

畑にいた農民がひゃっはーして戦に向かうのは「武功夜話」に出てくる話によく似てました。

 

作者が信長の側室の生駒家っていう富豪の屋敷でだべっていると、戦を告げられて皆喜んで戦に向かうっていうね。

何でだべってたかって、戦の知らせをすぐ知れてすぐ出陣できるから。

 

戦国時代の農民って戦で田畑を焼かれて悲惨なイメージがあるけど、史料には稼ぎフィーバータイムと捉えてテンションマックスで戦に向かう人もいたのです。

 

手柄を立てれば仕官できたり褒美貰えたりするし、そうで無くても死体から身ぐるみかっぱらえるし。

貧しくともたくましく生きていた人がいっぱいいた時代ですね。

 

そんなわけで、今回はここまで。

次回は、、、どんな話だ?

 

だいぶ先の予告までやってて次回がどんなとこまでなのかピンと来なかった。

 

なので、お楽しみに!

 

やばい、あと2日だった。

来年の大河の予告をしてる場合じゃなかったね。

 

2025年、皆様には大変お世話になりました。

メンバー、スタッフ、関係者の方々、ライブや映像やSNSを見てくれてる方々、今年も感謝です。

 

今年の頭のころの記憶は既に曖昧ですが、Youtubeでの配信機材を揃えてる領収書があったので、ツイキャスやミクチャからのYoutubeへ移行してたんだと思います。

 

今年はボーカルになって2年目ということで歌の練習もガンガンしなければならないし、多少上手く歌えるようになったところで配信の音質が悪ければ意味無いから配信環境も整えないといけないしで、新しいものは作る余裕は無かったけどいろいろ前進できたような気がします。

 

なので、2026年は新しいものを作れると良いな、と思ってるけど今年は一応わんたろうボーカルバージョンの音源もリリースして映像も多々作ったので、よりステップアップしたものや、新曲作りたいな。

 

それはそうと、わんさんの今年の一字は「肋」です。

 

近しい人が4人肋を折るという、何の呪いよ。

知り合いが肋折るってだけでもめったに無いことなのに、4人よ。

そのうち2人シンキャスメンバーよ。

 

1年のうちに全く別の理由でメンバー2人が肋折るバンドなんか無いよ。

ギネス申請したら乗るんじゃないかという肋骨骨折率ですよ。

 

というわけで、皆様肋には気を付けましょう。

 

あとは、やっぱりライブしたいな。

配信も楽しいしなんだかんだたくさんの人が見てくれるんだけど、やっぱお客さんが目の前にいるライブやりたいよね。

なので、ライブをやる際はぜひともお越しくださいませ。

初見の方も大歓迎です。

 

歌も上手くなりたいし、曲も作りたいし、音源出したいし映像も作りたいし、ライブもしたいし、やりたいこといっぱいあるのよ。

 

楽しい2026年になるようがんばるので、皆様よろしくお願いします。

 

あ、今これ書いたら年始書くこと無いじゃん、って気づいた。

まあいいや。

それはまた年始書く時考えよう。

 

 

2025年の大河はあまり詳しくない時代だったけども脚本、演出、役者の演技等めちゃめちゃ面白い要素がいっぱいでとても楽しく見ることができました。

 

2026年大河は打って変わって専門分野です。

 

タイトルは「豊臣兄弟」だけど、主役は弟の秀長(小一郎)の方です。

楽しく見るために、わんさん的見どころと、予習的なことを書いておこうかなと。

 

見どころ① 「べらぼう」との時代ギャップ

 

江戸時代も戦国時代も武士とちょんまげの時代だけども、べらぼうの時代と豊臣兄弟の時代は200年ほど離れています。

もちろん豊臣兄弟の方が200年前ね。

 

この200年の間に何が起こったかというと、醤油が全国的に普及します。

戦国時代は醤(ひしお)という調味料を発展させた初期の醤油が京都周辺で使われているだけで、全国的には魚醤か味噌が多く使われていました。

 

「麒麟が来る」で食事の際に使われていたのは魚醤ですね。

 

つまり、醤油ベースの汁物や煮物は無いわけです。

蕎麦も麺じゃなくてだんごの形だし、出汁文化も無い(鰹節は未発達、昆布は北海道から届く交易ルートがまだ無い)し、現在和食としてイメージする食べ物は江戸時代に入ってからのものが多いので戦国時代の食文化は江戸時代と大きく異なります。

 

戦国時代からあるのは味噌、塩メインの食べ物と、天ぷらが南蛮から伝わったくらいかな。

 

と、それくらい文化レベルが違う時代なのです。

 

信長時代(1560~1570年代)と秀吉時代(1580~1590年代)の10年くらいの差でさえ文化レベルはかなり違う、というのは石垣の積み方を見てみるとわかるのですが、信長時代の石垣は見た目はかなり雑な感じで積まれています。

ほんとは穴太衆という石垣専門の石工集団がちゃんと組んで作ったのだけど、それが時代を経るに従って洗練された部分もあるし、金と時間をかけられるようになったのもあるし、現在皇居とか大阪城とか観光地で見るような城の石垣は巨大で綺麗にそろえられているものになっています。

 

なお、信長時代初期には石垣そのものが存在せず、土塁です。

 

つまり、江戸幕府によって天下泰平となってできたものがまだ無く、武士の時代と聞いて想像するようなものがほとんど無かったりします。

 

食べ物も、服も、建物も、衣食住が江戸時代と戦国時代は別物なのです。

それどころか、武士の在り方も違います。

 

忠、孝は概念としては戦国時代も重いものであったと思うけど、そのイメージは「べらぼう」の終盤でもあったけど儒教の考え方を幕府が武士を統べるために刷り込んだということもあるし、

 

そのギャップが見どころとして注目です。

 

 

見どころ② 有名人の側近視点

 

戦国武将の能力は侍個人の能力だけとは限りません。

ゲーム等で見る能力値はその武将の史実や伝承の活躍から算出されたものですが、例えば「織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った」という史実があっても、実際は信長の馬廻り(親衛隊)の服部小平太という武士が槍を突きつけ、毛利新介という武士がトドメを指しました。

 

なので、武将の能力とは家臣団や親族も含めた能力だったりします。

 

ちなみに、服部小平太はそのまま活躍を続けて大名になって秀吉の子の秀次の側近にまで上り詰めたけど、そのせいで秀次切腹に連座っていう悲運を迎えます。

毛利新介は信長の側近として出世したため、本能寺で一緒に討ち死に。

 

そういった一般的には知られていない武将の中で、ものすごく有名になるような活躍をした人や大名になった人はゲームでも家臣の家臣じゃなくて別途登場するわけですが、豊臣兄弟の主人公秀長もその一人ですね。

 

イメージ的には秀吉が破天荒な活躍をする裏で実務的な調整をしていた人、という感じですが、どう描かれるんでしょうかね。

 

秀吉は低い身分からの成り上がりっていう、間違ってはいないんだけどそのイメージのせいですごく見下されていたようなイメージがありますが、「武功夜話」を読むと桶狭間後くらいにはかなり出世株として注目されて伝手を求める人が多くいたように書かれています。

 

伝承的なイメージと史料のあるイメージ、どっちで来るのか上手く組み合わせてくるのか、その中で裏方の秀長はどう活躍するのか、注目です。

 

見どころ③ 秀吉と別行動してる時

 

実はあまり知らない秀長個人の活躍ですが、なぜ知らないかというと留守番だったからです。

いつ一緒にいていつ一緒にいなかったのかも専門の史料を読まないとわからないので、普通に知的好奇心が沸きますね。

 

「軍師官兵衛」「麒麟がくる」「真田丸」「どうする家康」など、近年の戦国時代を扱ったドラマでは秀長は登場してて秀吉の側にいるんだけど、それが監修入ってるのかどうかよくわからない。

 

そういえば「武功夜話」では蜂須賀小六や前野将右衛門といった秀吉側近は秀吉と一緒にいる感じで、誰かが秀吉へ何か頼みたいときは「蜂小」宛や「前将」宛の手紙を書いていたりするシーンがたくさん出てくるけど、秀長宛はあまり無かったような。。。

あれば木下小一郎、羽柴小一郎、羽柴美濃守、、、「木小」「羽小」「羽美」、あったかな。。。

 

ちなみに諱が秀長になるのは本能寺の変後で、最初は長秀でした。

信長から「長」の字をもらったので、もらった字が先に来ます。

 

有名な別行動は秀吉が中国地方へ攻め入ってる時に、秀吉は山陽方面、秀長は山陰方面へと、別働隊の司令官を任されてることです。

雲海で有名な天空の城、竹田城は秀長が攻め落としました。

 

だいたいの小説やドラマでは秀吉が播磨で四苦八苦してるところが描かれていて秀長の方は触れられないので、秀長の方の戦線がどう推移したかも興味があるところ。

 

そして、秀吉の天下統一後は大和郡山を居城として大和、紀伊、和泉に百万石の所領をもらいました。

秀長の寿命がもっと長ければ、秀長の子孫が続いていれば大和郡山は現在大都市になっており、交通も大阪から大和郡山、伊賀上野を通って三重県津市に至るルートが発展していたかもしれません。

 

多くのドラマでは秀長の死をきっかけに豊臣政権が崩れ始める描き方をされています。

それだけ多くの大名に頼られるバランサーだったと思うのですが、主人公が秀吉側の人物でも、石田三成側の人物でも、家康側の人物でも惜しまれるという、非常に珍しいキャラです。

 

敵からも愛されるキャラとかではなく、全員の味方という。

 

そんな秀長さんのドラマが非常に楽しみです。

 

とりあえず武功夜話と太閤記と信長公記を手元に置きつつ来年の大河を見ていこうと思います。

 

なるべく毎週解説ブログも書くのでよろしくね。

 

 

大河ドラマが終わると「押し迫ってまいりましたなあ」って年末感が出てきますね。

 

今年の大河はさっぱり詳しくない時代の話だから解説はできないので、感想だけ。

 

はっきり言って、めちゃめちゃ面白かった!

脚本の森下佳子さんは2017年の大河「おんな城主 直虎」を書いた人ですが、こちらも視聴率は低かったものの内容はすごく面白かったし感動しました。

 

「直虎」もべらぼうも、一般的には知られていない人物だったり、教科書等で名前は知っていても小説とか漫画、ドラマの題材にされることが少なくてキャラがよくわからない世界の話なのですが、その分自由に話を膨らませることができるっていうところで共通しています。

 

わんさんもよくゲームにも出てこないマイナーな武将を調べたりするのですが、ほんとに現地に行かないと読めない郷土史の史料に1行しか記述が無い、なんてことが多々あるのです。

 

そういった人物を、その人が置かれた立場や環境から膨らませ、史実と矛盾しないよう「こういう筋書きも成り立つよね」っていうところを作り上げるのが森下さんはとても上手い作家だと思うのです。

 

「直虎」で主人公の幼馴染でライバルの小野但馬(高橋一生)のキャラの作り方も、主人公を裏切って処刑される人物なのに墓が主人公の家の菩提寺に作られているのは何故、ってところから表向きは裏切り者だけどほんとは汚れ役となって主人公を支えていたっていう、主人公のライバルになるだけの要素を備えたキャラクターに仕上げたのはとてもすごいと思いました。

 

あと、森下さんは役者の演技がとても際立つ脚本を書くのです。

先程の小野但馬役の高橋一生、表情だけで演技するシーンが多くありました。

影で支えてることを悟られぬよう、言葉で伝えられないから表情だけで伝えたりするのです。

役者ってすげえと思った部分ですが、同時に脚本もすげえと思いました。

 

そんな脚本家が描いた今年の大河ですが、やっぱりすごかった。

時代背景に大きく影響されるエンターテイメント業の物語だから、幕府のゴタゴタを絡めて前半は田沼意次、後半は松平定信という歴史の授業では名前を覚えなきゃいけない人を出しつつ、それとは関係があったり無かったりする市中の話のバランスが良く、時代背景とエンターテイメントの関係性がわかりやすくてそれに翻弄されつつ斬新なアイディアで勝負していく主人公っていう構図がすんなり入ってきました。

 

こちらの登場人物は「直虎」とは違って史料は豊富ですが、それでも小説等ではあまり題材にならない人物が多いのでキャラクター作りはかなり幅広く脚色しなければならなかったんじゃないかと思います。

 

逆にたくさん出てくるのは田沼意次ですが、ほぼ悪役、幕府の財政を立て直そうとするも贈賄いっぱいっていうイメージのキャラクターです。

これを、善玉側にしてユニークなキャラにしたのだからこれだけでも斬新な感じがしました。

 

それと同時に考えさせられたのが、倹約令という謎の経済政策です。

現代では景気対策といえば、お金を回さねばならないということで倹約よりもたくさんの人がたくさんのお金を使うようにしていくもので、江戸時代の倹約令は経済をわかっていない武士が考えた愚かなものだと思うかもしれません。

 

ところが、江戸時代というのは税を米で納める(厳密には他にもいろいろあるけど)制度なので、単純に考えても支出を抑えて秋の収穫まで待てば財政は回復するというものでもあるのだけど、米の収穫量以上に貨幣経済が発展して市場に貨幣が溢れると米が高騰するため貨幣経済の発展を抑えなければならないという事情や、貨幣経済の発展によって商人や農民が富裕になると給料を米でもらってる武士が困窮するという事情もあって、米と貨幣の量のバランス調整が必要だったのです。

 

それを、暴れん坊将軍が倹約令を含めた享保の改革で上手く立て直したわけですが、「べらぼう」はその孫の代の話で、田沼意次が商業を重視した政策を採っていたわけで、蔦重はその流れに乗って成り上がるのが前半の話、後半は田沼の失脚と松平定信による倹約令復活で厳しい社会情勢の中で工夫していく話になったのでした。

 

その中で、前半は吉原のメンバーや平賀源内と共に本屋になる話、後半は本屋になった後で多くの画家や作家をプロデュースして世に出していく話になったのですが、やっぱりキャタクター作りが上手いわけですよ。

 

脚本によるキャラ作りもさることながら、役者の演技も素晴らしく、歌麿はもちろん恋川春町とかぶっ飛んだキャラが面白くて、以前の大河なら死んだ時にロスになるキャラが一人ずつくらいだったのが、今回はたくさんいるっていうね、ほんとに良いキャラばかりでした。

 

あ、蔦重がこんな風に思いついたアイディアをどんどん実行していく基盤に、平賀源内から「自由」って言葉を教えてもらったシーンがあるんだけど、江戸時代に現代と同じニュアンスの「自由」という言葉はありません。

 

現代の「自由」のニュアンスは幕末に福沢諭吉がLibertyを訳したもので、江戸時代の自由は仏教用語を語源とする「自らに拠る」ということなので、大きな意味は同じだろうけど、例えば「自由に生きる」みたいな言い方をした時に江戸時代は現代よりももっと”自己責任感”や”自分でよく考えて”ってニュアンスが含まれるんじゃないかな、と思ったりしました。

 

もちろん江戸時代に一般的ではなかった「自由」って言葉を蔦重が平賀源内に教えてもらったというのはフィクションだろうけど。

 

フィクションといえば、終盤の将軍パパ一橋治済を打倒する話、まんじゅう怖いって落語のタイトルを持ってきたのも含めてものすごい展開だったと思いました。

何がすごいって、絶対史実じゃないのに、史実と矛盾しない史料の隙間の突き方よ。

影武者徳川家康だって否定しきれない話なので、影武者一橋治済も否定しきるのは、、、どうだろ。

写楽が個人じゃなくてチーム説も取り入れての、その終盤だけでも映画1本分できそうなストーリーは熱かった。

 

幕府の政争と多少の関係はありつつも切り離して描いてた町人側の主人公を戦いに参加させるっていうのも「戦の無い大河」のクライマックスにふさわしい演出だし、それまで敵だった松平定信たち、かつて世話になった鬼平や田沼の家臣たちと一丸になって戦う設定は「ジャンプかよ!」っていうね。

 

すごく嫌なキャラだった松平定信が最終的に良いヤツになってるし、ずっと嫌なキャラだった一橋治済はちゃんとやっつけるしですっきりした結末となりました。

 

ま、ここですっきりしないと蔦重の死後にできる主要キャラの作品、曲亭馬琴の南総里見八犬伝や十辺舎一九東海道中膝栗毛が出てこないまま終わっちゃうからもやもやしちゃうし。

 

そう、この大河で何が良かったかって、歴史的作品の制作過程が熱く描かれていたところよ。

歌麿、写楽などの有名な絵がどんな熱い気持ちで描かれていたか、っていうのが見れて、次回見るときは見方が変わるな、って思いました。

 

蔦重死後にできる八犬伝などへのヒントも残しつつ、最後の大団円での終わり方も良かったな。

 

というわけで、今年の大河も非常に面白かったです。

 

来年は豊臣兄弟、戦国時代の話なので解説できると思います。

できるだけ書くつもりなので、よろしくだよ。