播磨が大変なことになる回です。
秀吉記憶喪失って。
圓教寺の柱に小一郎の名前が刻んであることからサブストーリーを作った面白いフィクションですね。
今回初登場キャラは安国寺恵瓊。
普通に戦国の物語読んでれば秀吉が備中高松城を水攻めしてる途中で本能寺の変があって、毛利と和議を結ぶ時の使者として出てくるので有名なお坊さんです。
その後も毛利と秀吉の繋ぎ役になってたびたび登場するのですが、お坊さんなのに大名になっちゃって、戦にも兵を率いて出陣するようになります。
文禄、慶長の役でも朝鮮に出陣しました。
そして、関ヶ原で西軍になって死にました。
というわけで、ゲーム上では戦のパラメータはとても低いのですが、内政、謀略キャラとしてはピカイチでトップクラスの能力をもっています。
ゲームの能力だけ見れば何で関ヶ原で一軍率いてるんだよ、この部隊どうすればいいんだよ、となります。
戦国時代は僧侶が活躍した時代でもありました。
著名なのは江戸幕府創立期に活躍した南光坊天海や金地院崇伝などがいますが、今川義元の軍師として活躍した大原雪斎とか、ドラマにも僧侶出身の宮部継潤や筒井順慶も出てきてます。
武将となるのは元々が武家出身で滅亡からの回避や後継者争い防止のために寺に入れられていたのが武士に復帰したり、僧兵など自前で武力を持っていたのがそのまま大名に召し抱えられたりしたものが多く、官吏は僧侶の知恵や教養を欲した領主に召し抱えられたものですね。
それ以外にも僧には需要があって、それが外交の使者としての活躍です。
建前上はどこの大名にも属さない僧侶は中立の者として戦をしている勢力同士の仲介を頼まれることがありました。
武士を使者にすると直接戦った恨みつらみもあるし、警戒しなきゃいけないし、警戒されるなら行く方も来られる方もピリピリしちゃいます。
僧ならば護衛等の武力を連れずに単身で行けるし、殺される可能性も少ないので”外交僧”って言葉ができるくらい大名同士の交渉役として活躍していました。
安国寺恵瓊はこの時既に毛利家臣のポジションでの外交僧になっていました。
ウィキによると、信長は追放した将軍足利義昭を京に戻そうとして秀吉と朝山日乗という僧を使者に出し、対応したのが安国寺恵瓊と書いてあるので、実は秀吉と恵瓊は既に会っているのでした。
荒木村重の元を訪れたのはフィクションだと思うけど、恵瓊は以前にも毛利の対大友戦で国衆調略で活躍していたので対織田での調略をやっていた可能性もあります。
「信長は一度疑いを持ったら……」みたいなセリフを言ってるけど、信長は謀反は許します。
荒木村重の謀反もこの後「許すから家臣に戻れ」って使者を何度も送ってるし、今までも松永久秀を許そうとしたりしてるし。
むしろ逆に一度家臣になったら裏切っても許そうとします。
味方になる前に約束を破ったやつには容赦ないけど。
たぶん本能寺の変も上手く逃げ延びてたら明智光秀許してます。
安国寺恵瓊、適当なこと言いやがって。
で、記憶を失った上月城の件ですが、「信長公記」には秀吉が見せしめのために上月城の残党を毛利との国境に向けて磔(はりつけ)にしたって書いてあります。
磔とは、貼り付けるだけじゃなくて貼り付けて串刺しにするまでが磔なので、ドラマのはフィクションですね。
秀吉は調略で敵を降してったイメージがあるからあまり殺さないようにしてたイメージもあるけど、武士の仕事はちゃんとやります。
で、上月城は尼子再興軍に与えられるんだけど、もちろん主な武将は山中鹿介以外にもいますよ。ドラマに出てないだけで。
余談だけど、小学生の時に「山中鹿之介」の伝記を図書室で読んで読書感想文を書いた記憶があります。
”之”は入ったり入らなかったりするけど、正しくは鹿介で”しかのすけ”と読むらしい。
読めないから鹿之介の表記が広まったんだろうけど、そう広まるくらいに有名で、戦国時代当時も武勇の名高く、江戸時代には忠義の士としても有名で、明治以降も小説等で人気のキャラクターでした。
有名な鹿介のセリフ、「三日月よ、我に七難八苦を与え給え」っていうドM発言も江戸時代に創作されたものですが、尼子家再興のためならどんな苦労も引き受けるというのが真意なので勘違いしないように。
ただ、わんさんが小学生の頃はテレビで出てくるキャラでもないからどんな人か知らず、何か名前聞いたことある人の伝記がある、と思って読んでみたのでした。
そう、テレビに出てくるとしたら秀吉が主人公のドラマの中国征伐中のほんの一瞬出てくるだけのキャラなのです。
で、読んでみたところ、すげえ強いって評判で尼子再興軍の幹部になったのに、負けまくる。
特に吉川元春には全敗。
吉川元春は毛利元就の次男で猛将キャラだからゲームでの智謀パラメータは低いんだけど(既に小学生から信長の野望やってた)、その吉川元春の策略にハマって負ける。
”山中鹿之介”弱くね?っていうのが正直な感想でした。
なので、感想文は困って「マイナー武将なのにがんばってるとこが良かった」的なことを書いたら先生から「山中鹿之介は有名ですよ」ってコメントがつきました。
補完しておきますと、山中鹿介は幼い頃から猛将と名高い敵を結構討ち取っておりまして、若いうちから武勇の名が高かったのです。
尼子滅亡後は逃れて各地を巡って自身を高めながら再興のためのパトロンを探し、京で尼子の遺児が出家しているのを見つけて再興軍を作りました。
尼子再興軍は一時出雲を奪還する勢いになりましたが、毛利がそれまで戦ってた敵と和睦して本腰を入れて対応を始めると徐々に押されて再び拠点を失います。
で、「武功夜話」には以前から秀吉と親交があったと書いてあるのでパトロン探しの際に会ったことあるんだろうね。
秀吉の支援を得て上月城をゲットしたのです。
そして、泣く泣く見捨てられて、鹿介は捕らえられるのですが、移送中に殺されます。
これも鹿介の武勇が広まってた証拠の一つなんだろうけど、降伏の条件に鹿介の首を要求すると兵が反対して抵抗が強まるので命は助けると偽り、生かしておくと脅威になるから殺す、といったところでしょうか。
吉川元春にはさっぱり勝てなかったけど、山中鹿介はちゃんと強い武将だったのです。
まあ、吉川元春の智謀パラメータ上げると小早川隆景が霞むし毛利強くなりすぎるしだからゲームバランス的な話ね。
ちなみに上月城の開城が7月1日、尼子勝久切腹が7月3日。
陰暦は月の形と日付が同じなので三日月は毎月3日なんだけども、三日月に七難八苦を祈った結果が主君切腹って。
なお、秀吉も指を食わえて上月城が包囲されてるのを見てたわけではなく、備前の宇喜多調略とか色々手は尽くしてます。
そしてここで大胆なifが考察できます。
もし上月城を救う選択をして防衛に成功した場合、そのまま毛利を圧倒して史実より深く毛利領に食い込んだ羽柴軍は本能寺の変の後の大返しが間に合わなかった可能性があるのと、そもそも備中高松で手こずらずに水攻めもせず、したがって信長を援軍に呼ぶ必要も無かったので本能寺の変が起こらなかった可能性があります。
上月城を見捨てるという選択はその後の歴史を大きく変える選択なのでした。
あと解説しときたいのは、書写山圓教寺の柱に掘ってあった名前かな。
古村義長と湳景隆。
もちろんどちらもググって出てきません。
実際に彫られているのを再現したのか、演出の人が郷土史で見つけた人物名か、何か意図があってその名にしたのか、なんとなく適当なのか、、、
古村の方は全国に存在する苗字で、新たに村を開拓して新村ができたらそれまであった村は古村になるので珍しくありません。
なので、秀吉の軍にいる武士に古村っていう名の者がいても特定できないですね。
湳の方は、なぜこの字を選んだのかもさっぱり謎です。
ググったところ苗字にこの字を使ったものは無いそうで、実は滴なのかなとも思ったけどやっぱり滴がつく苗字も無いそうで。
演出として使う意図がさっぱり不明なので、何かのメッセージなのか、、、
”湳”は泥や湿地のある地名に使われる字だそうで、この後の備中高松の水攻めに向けてこのあたりはそういう地名があって洪水しやすい地域だよっていうフラグなのか、、、
予言めいたちょっぴり怖い演出ですね。
実際にあるのか実物の写真ググってみたけど、さっぱりわからなかった。
小一郎の名は彫られているんだけど、正しくは「羽柴小一良内高井丁助」とあって、小一郎の軍の高井丁助って人が彫ったらしく小一郎本人が彫ったのではないっぽい。
というわけで、今回の解説はこんなところで。
次回は、半兵衛が死んでしまいます。
悲しいけども、お楽しみに!
