わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

播磨が大変なことになる回です。

 

秀吉記憶喪失って。

圓教寺の柱に小一郎の名前が刻んであることからサブストーリーを作った面白いフィクションですね。

 

今回初登場キャラは安国寺恵瓊。

普通に戦国の物語読んでれば秀吉が備中高松城を水攻めしてる途中で本能寺の変があって、毛利と和議を結ぶ時の使者として出てくるので有名なお坊さんです。

 

その後も毛利と秀吉の繋ぎ役になってたびたび登場するのですが、お坊さんなのに大名になっちゃって、戦にも兵を率いて出陣するようになります。

文禄、慶長の役でも朝鮮に出陣しました。

そして、関ヶ原で西軍になって死にました。

 

というわけで、ゲーム上では戦のパラメータはとても低いのですが、内政、謀略キャラとしてはピカイチでトップクラスの能力をもっています。

ゲームの能力だけ見れば何で関ヶ原で一軍率いてるんだよ、この部隊どうすればいいんだよ、となります。

 

戦国時代は僧侶が活躍した時代でもありました。

著名なのは江戸幕府創立期に活躍した南光坊天海や金地院崇伝などがいますが、今川義元の軍師として活躍した大原雪斎とか、ドラマにも僧侶出身の宮部継潤や筒井順慶も出てきてます。

 

武将となるのは元々が武家出身で滅亡からの回避や後継者争い防止のために寺に入れられていたのが武士に復帰したり、僧兵など自前で武力を持っていたのがそのまま大名に召し抱えられたりしたものが多く、官吏は僧侶の知恵や教養を欲した領主に召し抱えられたものですね。

 

それ以外にも僧には需要があって、それが外交の使者としての活躍です。

 

建前上はどこの大名にも属さない僧侶は中立の者として戦をしている勢力同士の仲介を頼まれることがありました。

武士を使者にすると直接戦った恨みつらみもあるし、警戒しなきゃいけないし、警戒されるなら行く方も来られる方もピリピリしちゃいます。

 

僧ならば護衛等の武力を連れずに単身で行けるし、殺される可能性も少ないので”外交僧”って言葉ができるくらい大名同士の交渉役として活躍していました。

 

安国寺恵瓊はこの時既に毛利家臣のポジションでの外交僧になっていました。

ウィキによると、信長は追放した将軍足利義昭を京に戻そうとして秀吉と朝山日乗という僧を使者に出し、対応したのが安国寺恵瓊と書いてあるので、実は秀吉と恵瓊は既に会っているのでした。

 

荒木村重の元を訪れたのはフィクションだと思うけど、恵瓊は以前にも毛利の対大友戦で国衆調略で活躍していたので対織田での調略をやっていた可能性もあります。

 

「信長は一度疑いを持ったら……」みたいなセリフを言ってるけど、信長は謀反は許します。

荒木村重の謀反もこの後「許すから家臣に戻れ」って使者を何度も送ってるし、今までも松永久秀を許そうとしたりしてるし。

むしろ逆に一度家臣になったら裏切っても許そうとします。

味方になる前に約束を破ったやつには容赦ないけど。

たぶん本能寺の変も上手く逃げ延びてたら明智光秀許してます。

 

安国寺恵瓊、適当なこと言いやがって。

 

で、記憶を失った上月城の件ですが、「信長公記」には秀吉が見せしめのために上月城の残党を毛利との国境に向けて磔(はりつけ)にしたって書いてあります。

 

磔とは、貼り付けるだけじゃなくて貼り付けて串刺しにするまでが磔なので、ドラマのはフィクションですね。

秀吉は調略で敵を降してったイメージがあるからあまり殺さないようにしてたイメージもあるけど、武士の仕事はちゃんとやります。

 

で、上月城は尼子再興軍に与えられるんだけど、もちろん主な武将は山中鹿介以外にもいますよ。ドラマに出てないだけで。

 

余談だけど、小学生の時に「山中鹿之介」の伝記を図書室で読んで読書感想文を書いた記憶があります。

”之”は入ったり入らなかったりするけど、正しくは鹿介で”しかのすけ”と読むらしい。

読めないから鹿之介の表記が広まったんだろうけど、そう広まるくらいに有名で、戦国時代当時も武勇の名高く、江戸時代には忠義の士としても有名で、明治以降も小説等で人気のキャラクターでした。

 

有名な鹿介のセリフ、「三日月よ、我に七難八苦を与え給え」っていうドM発言も江戸時代に創作されたものですが、尼子家再興のためならどんな苦労も引き受けるというのが真意なので勘違いしないように。

 

ただ、わんさんが小学生の頃はテレビで出てくるキャラでもないからどんな人か知らず、何か名前聞いたことある人の伝記がある、と思って読んでみたのでした。

 

そう、テレビに出てくるとしたら秀吉が主人公のドラマの中国征伐中のほんの一瞬出てくるだけのキャラなのです。

 

で、読んでみたところ、すげえ強いって評判で尼子再興軍の幹部になったのに、負けまくる。

特に吉川元春には全敗。

吉川元春は毛利元就の次男で猛将キャラだからゲームでの智謀パラメータは低いんだけど(既に小学生から信長の野望やってた)、その吉川元春の策略にハマって負ける。

 

”山中鹿之介”弱くね?っていうのが正直な感想でした。

 

なので、感想文は困って「マイナー武将なのにがんばってるとこが良かった」的なことを書いたら先生から「山中鹿之介は有名ですよ」ってコメントがつきました。

 

補完しておきますと、山中鹿介は幼い頃から猛将と名高い敵を結構討ち取っておりまして、若いうちから武勇の名が高かったのです。

尼子滅亡後は逃れて各地を巡って自身を高めながら再興のためのパトロンを探し、京で尼子の遺児が出家しているのを見つけて再興軍を作りました。

尼子再興軍は一時出雲を奪還する勢いになりましたが、毛利がそれまで戦ってた敵と和睦して本腰を入れて対応を始めると徐々に押されて再び拠点を失います。

 

で、「武功夜話」には以前から秀吉と親交があったと書いてあるのでパトロン探しの際に会ったことあるんだろうね。

秀吉の支援を得て上月城をゲットしたのです。

 

そして、泣く泣く見捨てられて、鹿介は捕らえられるのですが、移送中に殺されます。

これも鹿介の武勇が広まってた証拠の一つなんだろうけど、降伏の条件に鹿介の首を要求すると兵が反対して抵抗が強まるので命は助けると偽り、生かしておくと脅威になるから殺す、といったところでしょうか。

 

吉川元春にはさっぱり勝てなかったけど、山中鹿介はちゃんと強い武将だったのです。

 

まあ、吉川元春の智謀パラメータ上げると小早川隆景が霞むし毛利強くなりすぎるしだからゲームバランス的な話ね。

 

ちなみに上月城の開城が7月1日、尼子勝久切腹が7月3日。

陰暦は月の形と日付が同じなので三日月は毎月3日なんだけども、三日月に七難八苦を祈った結果が主君切腹って。

 

なお、秀吉も指を食わえて上月城が包囲されてるのを見てたわけではなく、備前の宇喜多調略とか色々手は尽くしてます。

 

そしてここで大胆なifが考察できます。

 

もし上月城を救う選択をして防衛に成功した場合、そのまま毛利を圧倒して史実より深く毛利領に食い込んだ羽柴軍は本能寺の変の後の大返しが間に合わなかった可能性があるのと、そもそも備中高松で手こずらずに水攻めもせず、したがって信長を援軍に呼ぶ必要も無かったので本能寺の変が起こらなかった可能性があります。

 

上月城を見捨てるという選択はその後の歴史を大きく変える選択なのでした。

 

あと解説しときたいのは、書写山圓教寺の柱に掘ってあった名前かな。

古村義長と湳景隆。

もちろんどちらもググって出てきません。

 

実際に彫られているのを再現したのか、演出の人が郷土史で見つけた人物名か、何か意図があってその名にしたのか、なんとなく適当なのか、、、

 

古村の方は全国に存在する苗字で、新たに村を開拓して新村ができたらそれまであった村は古村になるので珍しくありません。

なので、秀吉の軍にいる武士に古村っていう名の者がいても特定できないですね。

 

湳の方は、なぜこの字を選んだのかもさっぱり謎です。

ググったところ苗字にこの字を使ったものは無いそうで、実は滴なのかなとも思ったけどやっぱり滴がつく苗字も無いそうで。

 

演出として使う意図がさっぱり不明なので、何かのメッセージなのか、、、

 

”湳”は泥や湿地のある地名に使われる字だそうで、この後の備中高松の水攻めに向けてこのあたりはそういう地名があって洪水しやすい地域だよっていうフラグなのか、、、

 

予言めいたちょっぴり怖い演出ですね。

 

実際にあるのか実物の写真ググってみたけど、さっぱりわからなかった。

小一郎の名は彫られているんだけど、正しくは「羽柴小一良内高井丁助」とあって、小一郎の軍の高井丁助って人が彫ったらしく小一郎本人が彫ったのではないっぽい。

 

というわけで、今回の解説はこんなところで。

 

次回は、半兵衛が死んでしまいます。

悲しいけども、お楽しみに!

 

 

竹田城を落とす回です。

 

いきなり官兵衛が出てきました。

官兵衛については岡田准一主演の大河「軍師官兵衛」で詳しくやっていました。

 

官兵衛は父は黒田氏だったけど黒田氏が仕えていた小寺氏に気に入られて養女と婚姻し、小寺の姓をもらったので、秀吉と出会った頃の名前は小寺官兵衛です。

 

その小寺氏は赤松氏の重臣で、赤松氏が一応播磨の大名ということになっていました。

 

赤松氏は鎌倉時代まで家系が遡れる名家で、室町幕府成立期に勲功があり、一時4カ国を持ったり応仁の乱の主力の一つにもなったりした大大名でしたが、それからの戦国時代でどんどん勢力が弱まっていって家臣らが独立、織田が播磨に侵攻した時は播磨の国衆の一つ、くらいになってました。

 

で、ドラマでやってた通り播磨の国衆は織田派と毛利派に別れていましたが、織田派の勢力をまとめていたのが官兵衛です。

 

荒木村重はここまで波乱万丈でここからも波乱万丈なのですが、元は摂津の国衆の池田氏の家臣だったのが下剋上して上手いことやって信長の家臣となって信頼を得て、摂津の伊丹城を有岡城と改称して治めていたので畿内の戦で転戦していたし、播磨との国境に近いとこを治めてたので対播磨の交渉もしてました。

 

家臣として登場した中川清秀はゲームでは脳筋タイプだけどそこまで強くもないキャラでして、後に秀吉家臣として山崎の戦いで功を上げるも賤ヶ岳で討ち死にします。

なんともパラメータ付けるのに悩みそうなキャラですが、子孫は大名になって幕末まで続きます。

 

高山右近の方はキリシタン大名として有名になります。

ゲームでは昔は中途半端な能力でしたが、近年は再評価されて大幅に能力値が上がっています。

秀吉のバテレン追放令で追放されるからドラマ後半にも出てくるかな。

最終的に家康のキリシタン追放によってルソンに追放されます。

 

賤ヶ岳までは中川清秀と高山右近はセットで動きます。

 

別所氏については今後も出てくるのでまた後日。

なかなか強敵です。

 

上月城の城代になった尼子勝久と山中幸盛は、毛利に滅ぼされた尼子氏の最高を目指す流浪の軍団です。

山中幸盛は山中鹿介と言った方が有名かな。

 

尼子氏は山陰地方の出雲を本拠として、伯耆、石見、隠岐を支配し、美作、備前、備中、備後の合わせて8カ国に勢力を伸ばす大大名でしたが、二十年以上に亘って周防の大内氏や大内氏の内紛を勝ち上がった毛利元就と戦い続けて滅亡しました。

 

それを再興しようと残党を率いて毛利にゲリラ戦してたのが尼子勝久を担いだ山中鹿介らでした。

織田軍と出会って迎え入れられて上月城をゲットしますが、次回大変なことになります。

 

で、本題の竹田城。

 

城主の太田垣氏は山名氏の家臣で、山名氏は応仁の乱の西軍総大将になった家ですが、こちらもかつては全国66カ国のうち11カ国を治めて”六分の一殿”と呼ばれていたのが信長の時代ではかろうじて但馬、因幡の2カ国を保持してる状態でした。

 

かろうじてというのは、内紛があったり尼子、毛利の圧力があったりして、一応2カ国の大名だけどバタバタしてる感じ。

 

太田垣輝延はそんな山名氏から竹田城を任されていましたが、この人はよくわかりません。

家臣の上垣なんとかもさっぱりよくわかりません。

郷土史の史料が必要です。

 

竹田城攻めに関しては「信長公記」ではあっさり攻め落としてるし、「武功夜話」でも簡単に降伏させています。

「武功夜話」では支城に太田垣出雲守、竹田城に太田垣土佐守がいたそうで、これが本当なら輝延は太田垣土佐守と名乗っていたことになります。

支城はあっさり開城、竹田城は3日間攻撃したら降伏、周辺の国衆も合わせて20日ほどで降伏させたり討ち取ったりしたらしい。

 

無血開城の話はフィクションですね。

 

今回はたくさん武将が出てきました。

小一郎がわかりやすく活躍するのはこの山陰攻めのあたりなので、実はドラマで一番盛り上がる数週間かもしれません。

なので、フィクションも多いだろうけどかっつり調べこんだマイナー武将が出てくるかもなので楽しみです。

 

今回はこんな感じですかな。

次回は上月城を巡る攻防です、

 

次回もお楽しみに!

 

 

平蜘蛛爆発の回です。

 

平蜘蛛は爆発しなかったね。。。

伝説では松永さんが信長に平蜘蛛を渡したくなくて、平蜘蛛に火薬詰めてもろとも爆死したというのもあるけども、叩き割った説などもあります。

 

今回解説ポイントはいろいろあるんだけど、まずは茶器について語りましょう。

 

とりあえず、日本に茶が伝わったのは奈良時代、中国からで、烏龍茶的な感じだったので茶色は緑茶色じゃなくて烏龍茶色なのでした。

 

それが国内でも栽培できるようになり、現在の緑茶スタイルになったのは江戸時代半ばですが、茶道の形は戦国時代に千利休らによって確立されます。

 

茶道は”わび茶”、すなわち粗製の道具を使ったスタイルが禅宗の思想とマッチしてオシャレっていうことで成り立っています。

なので、あからさまな中国から輸入した陶磁器とかの高級品じゃなく、ぱっと見その辺に転がってそうなもので気軽に茶を飲むのが流行ったのです。

 

室町時代には庶民にも茶は普及していたけど、貴族や身分の高い武士は高級品で茶を飲んでいたから、戦国時代の茶道確立期は茶器の価値観が大きく変わった時期でもあります。

 

その時期になぜ”一国に替えられる”ほどの価値のある茶器があったのでしょうか?

 

ぶっちゃけ、信長が「この茶器は一国の価値がある」「一城と同じ価値がある」と言ったから、ということで過言ではないと思います。

 

もちろん名のある芸術家が作った、有名な文化人が作った、高貴な人が好んで使っていたということで価値が高まったものもありますが、信長は有名な文化人かつ高貴な人であったので、信長が「これは良いものだ」と言えば良いものになってしまうのでした。

 

松永久秀も有名な文化人かつ高貴な人で、信長に臣従する時に献上した九十九茄子は現在重要文化財になって現存していますが、本能寺で燃え、大坂の陣で割れ、修復されたもので明治になって三菱財閥の二代目岩崎弥之助に渡って静嘉堂文庫に置いてあります。

 

平蜘蛛は松永久秀と共に失われてしまいますが、この爆発エピソードによってプライスレスな価値になりました。

 

松永久秀が400年経って戦国のボンバーマンとあだ名されるエピソードでもありますが、松永久秀が爆弾を駆使したエピソードはありません。

 

松永久秀については以前の大河のブログでも今回のブログでも多々語っていますが、キャラ設定上では戦国で一番悪い人ですね。

将軍を殺し、東大寺を燃やし、主君三好長慶の子らを殺し、主君三好長慶も殺し、主君の子も傀儡にしようとしたというようなことになっていますが、長慶大好きだったと大河ドラマでセリフがあったのは快挙だと思います。

 

まあ、今更松永さんのキャラが変わると色んな物語の設定が崩壊するので一般に浸透するのはなかなか時間がかかると思いますが、実は旧主三好長慶一筋、長慶の子を守るために奔走し、長慶に託された大和を手放さないようにするために信長に謀反を起こした裏切りとは真逆の人だった、と主張していきたいと思います。

 

信貴山城を囲む織田の武将たちの陣では荒木村重や筒井順慶が関西弁だったのが、なんでその設定入れたのが違和感でした。

だったら尾張の織田の武将もっと名古屋弁じゃなきゃダメでしょうに。

信長も信忠も丹羽も柴田も佐々も前田も全員名古屋弁じゃなきゃダメだし、徳川の武将は三河弁じゃないとダメだし、石田三成とか滋賀の方言使わなきゃだし。

 

公家や幕府の人が京都弁なのはそういうキャラ立ちだからまだ良いとして、武将にまで方言にしたらキリが無いのでは。

 

実際は各地で方言コッテコテなので、それでスパイかどうか確かめたくらい。

だから戦国時代に転生する話は方言でスパイ容疑で捕まって即終了なのよ。

だから文語と口語が違うわけで、古い文章が文語で読みにくいのは地方の人が東京弁で書かれた口語文わからないからなのよ。

だから幕末で地方から京や江戸に集まった志士たちが意思疎通できずに斬り合ったのよ。

 

で、”拙者”。

松永久秀と対談してる時に秀吉と小一郎の一人称が”拙者”だったんだけど、これは方言ではありません。

時代劇ではおなじみで、司馬遼太郎の「関ヶ原」の映画版でも家康役の役所広司が”拙者”を一人称にしているシーンがあるけど、AIによると江戸時代に定着した一人称で戦国時代には無かったらしい。

 

拙者の意味はもちろん拙い者ということでへりくだった一人称なわけで、相手が目上の時に使う一人称だから江戸時代でも常時使ってた一人称では無いのですが、拙の後に名詞を付けて自分のものを表現することは古代中国からありました。

拙宅(自分の家)とか拙妻(自分の妻)とか拙僧(僧の一人称)とか。

 

戦国時代に”拙者”はちょっと違和感な感じです。

 

 

話は冒頭に戻りまして、柴田勝家が上杉謙信に手取川で負けました。

 

柴田勝家は負けてばっかりです。

何でこんなに負けてばっかりなのに織田の重臣で色んな戦の大将任されたりしてたのでしょうか。

 

こちらもAIに聞いたところ、織田で一番強かったから一番強い敵に当たらされた結果負けまくった、らしいです。

 

勝家より前の家系はよくわからず、信長の父の代から仕え、信長が元服する頃には既に織田の重鎮となっていて、弟信勝の家老になっていました。

ちゃんと勝ったのはこの後の尾張統一戦での坂井大膳を討ち取ったのと清州城攻めた時くらいなのでは。

 

その後、弟に与して信長に謀反を起こして負け。

対松平の最前線で戦うも福谷攻めて酒井忠次に負け、他もあまり成果上げられず。

墨俣築城は創作っぽいけど失敗、他の対斎藤戦でもあまり手柄無し。

上洛戦や信長包囲網初期の信長と一緒にいる時は手柄を立てた模様。

”瓶割り柴田”のあだ名もこの時ついた。

長島一向一揆1回目では大惨敗だけど、信長も一緒だからノーカンで良いかな。

信長と一緒の時は勝ったり負けたりしてます。

で、どこに特別出世する要素があったのかわからないけど北陸方面軍の司令官になって、手取川で上杉謙信に惨敗。

でも特に降格とかはなく、翌年上杉謙信が病死して巻き返す。

本能寺の後は賤ヶ岳で秀吉に負けて滅亡。

 

強いというキャラ設定が先走りして、史料見ると柴田さんが大将の時はかなり負けてるという。

織田の重臣だからいろんな戦国作品に登場して、よく知ってるようであまり知らない柴田勝家でした。

 

上杉謙信の方は、マジ強い。

ただ、こちらも謙信がいる時は最強なんだけど、家臣が軍を率いてる時の戦績が良くないのと、重臣が謀反起こしまくってあまり身動き取れてない。

武田は信玄がいなくても強いんだけど、上杉軍はゲームでは家臣団のパラメータ高い割にはなかなか勝てないのね。

そして、パラメータ高い家臣が謀反を起こすっていうね。

でも新潟から小田原まで道中の敵を蹴散らしながら攻め込んだ猛者たちです。

そんな猛者を長年食い止めた能登や越中の武将も実はとても強かったんでしょうか。

 

そんな手取川の戦いの前に秀吉が勝手に帰ってきてしまうのだけど、そんなこと有り得るのか、というと、有り得るのです。

織田軍ではとても稀だけど、戦国大名って豪族連合の盟主みたいなもんだから家臣も独自に軍団を持っていて、結構勝手に動きます。

 

裏切りとか命令違反までとはならなくても、出陣拒否や出陣してるけど参戦しないとかいろいろありました。

マンガ「センゴク」で有名になった仙石秀久は九州征伐の軍監だったけど一戦して負けると軍を置いて逃げ帰ったし、小田原攻めでは家康は勝手に陣を抜けて新たにもらう領地の江戸を下見しに言ったし、伊達政宗は命令違反な大遅刻。

関ヶ原エピソードも西軍がほぼ戦ってないとか有名だよね。

 

朝倉滅亡の折の戦いも朝倉景鏡は出陣拒否だったし、細かく調べるといっぱい出てくるのですが、これで主君と揉めて戦の後に出奔とかもあるので納得のいかない戦に参戦しないはある程度セーフだったのかな。

揉めるけど。

松永さんも本願寺攻めから勝手に離脱してからの謀反でした。

 

「武功夜話」では秀吉が勝手に帰ってきた理由は間諜で上杉有利の情報を得たからではなく、柴田さんが身内ばっかり贔屓して羽柴軍に手柄を立てさせないようにしたから、みたいな感じなのと、竹中半兵衛がしきりに「こっちが攻めなきゃ向こうから攻撃してこないから攻めなくて良い」みたいなこと言ってたりしたからと書いてあるんだけども、ちょうど松永さんが謀反で畿内の軍が足りなくなってたとこだったからほんとにラッキーなのでした。

 

そういえば、信長の呼び方が”上様”に変わってました。

足利義昭を追放し実質的に武士の頂点になってるのと、官位も右大臣になって実質的天下人なので、この頃から”上様”なんだろうと推測されます。

「信長公記」がずっと信長のことを”上様”と書いてるからはっきりいつからかはわからないんだけども、信長家臣が書いた史書で上様だから最終的に上様と呼ばれてたんだろうね。

 

徳川実記等では家康のことは権現様だし、家臣が書いた史書は最終的な呼び名になります。

 

そんなところで、今回も長くなったけど、解説はこんなところかな。

この間に、ちょっとドラマで触れてたけど紀州攻めてたり、触れられてないけど伊賀攻めてたり、どんどん天下統一へ向かって行ってます。

 

次回は黒田官兵衛も登場していよいよ中国攻めが始まります。

次回もお楽しみに!

 

 

 

 

 

過去からの刺客、与一郎を養子にする回です。

誰が刺客だったんだろう。。。

 

与一郎役の子、近年の大河ドラマでずっと主要キャラの子役をやっている人ですね。

去年は主役の子供の頃の役をやっていました。

今後どんな役をやるようになるのか楽しみです。

 

えと、先週のが時代飛び飛びになってたのでブログにもろもろ間違いがありまして、こちらで訂正していきます。

 

まず、先週秀吉が越前から帰ってきたのは手取川の戦いから勝手に帰ってきたやつだと思ってましたが、朝倉滅亡後の越前一向一揆との戦いですね。

 

ここで朝倉から織田に降伏した武将が結構死んでます。

例の、朝倉景鏡さんとか。

 

奇襲に近い形での襲撃で朝倉旧領を任されていた朝倉旧臣たちは討たれて一時織田は越前を失ってしまいますが、越前を支配し始めた一向一揆衆の高官たちは重税を課すなど悪政を敷いて一揆内で一揆が起こるほどグダグダになります。

ゲームでは本願寺の家臣として登場する下間頼照、下間頼俊、七里頼周らですね。

そこそこ良さげなパラメータ持ってるのに、史実ではグダグダな人たちです。

 

そして、長篠で武田を撃破した織田軍は矛先を越前に向け、ジェノサイド戦となりました。

そこかしらの戦場で首を数千獲った、みたいな書状が残っていて、万を超える一向宗が死んだ戦です。

 

ここから帰ってきたとこから先週のが始まったわけですね。

 

なお、ここで越前がからっぽになってしまったので織田の家臣に領地が与えられ、柴田勝家が北陸方面軍の司令官となり、前田利家や佐々成政らがその与力となります。

 

訂正その2が、先週の冒頭ナレーションで松永久秀死んだかと思ってたんだけど、次回予告で平蜘蛛爆破する感じなので生きてたのね。

もう解説しちゃったよ。

平蜘蛛の件に関しては次回で。

 

で、今回の話に移ろうかと思います。

 

冒頭で織田の一門たちが集められて信忠に織田の家督が譲られました。

と言っても次男はおらず、いたのは信長の兄弟もおらず、嫡男信忠、三男信孝、殺しちゃった弟信行の子信澄ですね。

 

さらっと弟の子出してるけど何か説明して欲しいよね。

ネットで信孝の隣に信澄座らせちゃダメと騒がれてるし。

本能寺の変の直後の混乱の勢いで信孝が信澄殺すので。

 

家督譲ったのが越前の一向一揆殲滅の数ヶ月後なので、前回の話からも時系列がちょっと遡ってますね。

 

で、手取川で秀吉が柴田勝家と揉めて帰ってくるところなので、今回の話の中で2年ほど経過しています。

 

ものすごい迫力の喧嘩シーン、良かったと思います。

今回の柴田勝家は無意味に秀吉を毛嫌いするのはなく、ちゃんと認めていて、成り上がりだけども信頼する同僚みたいな感じがあったのだけど、売り言葉に買い言葉で暴言まで吐いてぶん殴るっていうのが、秀吉が気に食わないから進言を聞かなかったのではなく自分の策に自信があるから秀吉の言葉を受け入れなかった感じだし、秀吉も秀吉で、単に柴田勝家が嫌いで突っかかったわけではなく、本気で負けると思っていたからぶつかった感じでこれまで描いてきた世界観が活かされた喧嘩シーンだったんじゃないかと。

 

先週のブログでも書いたけど、勝手に軍を離脱ってもちろん重罪なので大変な事件です。

 

そんな中、小一郎が嫁とすったもんだしてたのが今回の話のメインですね。

 

堀池氏、ウィキでは美濃にいた揖斐氏の重臣という情報くらいしかないのでよくわかりません。

ドラマで登場したキャラは架空のキャラかと思われます。

 

与一郎、こちらもウィキによると小一郎の実子とされてるので、今回の話まるまるフィクションなわけですが、秀吉の弟で後の大納言で100万石の領主になった小一郎の妻も子もよくわからないという謎を埋めようとするフィクションですね。

 

史実での小一郎の実子与一郎は大人になる前に死んでしまうのですが、この子はどうなるのでしょうか。

 

こちらの件はフィクションなので解説のしようがないので、冒頭の織田の家督うんぬんの件に戻って解説します。

 

セリフで岩村城について触れられてたけど、かなりドラマチックな戦を繰り広げた城です。

 

何度か触れてる遠山氏の城で、遠山氏はいくつか分家があるんだけど、織田と武田に両属していた城で、岩村城の遠山氏には信長の叔母おつやの方が嫁いでいました。

 

それが、織田と武田の戦が始まると、岩村城の遠山氏は当主が死んで子が幼いためおつやの方が女城主となっており、武田に包囲された岩村城は、おつやの方が敵将秋山虎繁と結婚する形で降伏したのです。

 

そして、長篠で武田が負けると岩村城は織田軍に攻撃されることとなり、捕らえられた秋山信繁とおつやの方は逆さ磔にされてしまいました。

 

逆さ磔とは、頭を下にして磔にし、そのままだと頭に血が登ってすぐ死んじゃうから頭の血管をちょっと切って血が抜けるようにし、長い時間苦しませて殺す処刑方法です。

目ん玉飛び出たりするらしい。

 

で、この戦で活躍した嫡男信忠は家督を譲られるわけですが、信長が現役バリバリの年齢で家督を譲ったのには理由がいくつかあります。

 

まず一つが、他の戦国武将でもあるのんだけどお家騒動回避のため。

後継者を定めていても急に当主が死んじゃうとお家騒動が起こるものなので、自分が目を光らせているうちに家督を譲って後継者の基盤を固めておこうとする策です。

 

もう一つが、織田の領地経営と天下統一事業を分けるため。

織田家と織田直臣は信忠に任すけど、天下の主は自分、みたいな感じでしょうか。

 

あと、朝廷とか、まだ将軍とか幕府とかあるので、それらの兼ね合いもあるかと思います。

織田の当主はいろんな官位とかをもらうけど、自分はその上、みたいな。

 

家督に関しては信長がどういう意図であったか明確な史料は無く、家督継承前後の状況からの推測になってしまうわけですが、高度な政治テクニックだったのかもしれないし、息子に「社長譲るよ、俺会長やるから」みたいなノリだったのかもしれないし、面倒な実務を息子に任せて自分が専念したいことやりたかったのかもしれないし。

 

長篠で武田を撃破した時点で天下統一への目処は立った感じだったんでしょうね。

本願寺も毛利も上杉も北条もいるけど、国力差、特に経済力での差は圧倒的だったので。

あと、その前に畿内を制していた三好が後継者争いでグダグダになったのも見てれば早々に後継の基盤は固めたかったのではないかと。

 

そして安土城。

丹羽長秀が責任者な感じで作られていきます。

 

現在の安土城は電車で安土駅に行って駅前のレンタサイクルで行けるのですが、かなり整備されて観光しやすくなりました。

私有地だから発掘や整備がしにくかったようで、しばらく前は放置された城趾な感じでした。

 

ただ、ぼちぼち急な山なので、それなりに気合いが必要な城です。

 

資料館もあって見どころは十分なんだけど、いかんせん駅が田舎駅だし観光都市になってるわけでもないので、レンタサイクルもずっと畑の横走る感じ。

 

近江八幡駅に行くと安土の繁栄からの豊臣政権化での対応と江戸時代への変化の様子が見られて楽しい。

 

今回の解説はこんなところかな。

 

次回は死んだと思ってた松永さんが謀反します。

どんな爆死をしてくれるか、次回もお楽しみに!

 

 

羽柴兄弟になった回です。

 

えーと、長篠の戦いが冒頭ナレーションで終わった!

あんだけ出てた松永さんも冒頭ナレーションで死んだ!

 

衝撃の冒頭でした。

 

長篠の戦いとは、信長が蹴鞠に目覚めた戦いであったと言えます。

前回やってた通り、信長の趣味は相撲大会の開催で、公家への接待もだいたい相撲大会でした。

 

それが、先日触れた奥平さんが籠る徳川領長篠城を武田軍が囲み、援軍を求めるために信長に遣わされたのは家康の下に身を寄せていた今川義元の子、氏真。

氏真は飛鳥井流宗家の蹴鞠の手ほどきを受けていて、信長と公家たちに蹴鞠を披露、ちょっと険悪になっていた信長と朝廷の関係を見事に修復し、長篠への織田軍出陣が決まったのでした。

 

秀吉は一軍の将として出陣してたけど、特筆すべきことは無いのでばっさりカットになったのですね。

 

松永さんの件に関しては、1度目の裏切りを許し、2度目の裏切りも許して宥めようとしてたので浅井長政の裏切りに怒り狂ったのと矛盾しちゃうからカットだったのでしょうか。

 

そう、信長は裏切り者に対して結構寛容です。

荒木村重が裏切った時も許そうとしてました。

 

松永久秀はイメージが戦国でトップクラスの悪いやつなのでどうしても裏切りキャラになっちゃうのですが、史料を調べる限りでは旧主三好長慶大好きで、跡継ぎの三好義継と長慶にもらった大和国を必死に守ろうとしてた一途な人というイメージを個人的に持っています。

 

明智光秀が足利義昭と信長に両属していたように、松永久秀も三好義継に両属していて、三好義継を殺そうとした信長に対しての謀反、それと大和国の国主の座を筒井順慶と争っていて、筒井順慶有利の待遇を信長がしたことに対しての謀反であったと思います。

 

なので、明智光秀が本能寺の変を起こしたことと共通する状況があるので、本能寺の変の研究においては対比できて面白い考察ができるんだけども。

 

で、筒井順慶。

別にこのタイミングで新たに家臣になったわけではないんだけども。

 

信長が上洛する前からずっと大和国を巡って松永久秀と戦っていて、戦いに熱中するあまり信長が将軍連れて上洛してたのに気づかず松永久秀に上のポジション奪われてしまったうっかりもの。

 

大和は信長子飼いの家臣原田直政が国主に任じられていたけども、大坂の本願寺を攻めている時に討ち死にしてしまいその後につ筒井順慶が大和国主となりました。

これが松永久秀謀反の一因なのだから、一向宗との戦いは混迷を極めていきます。

 

なお、筒井順慶はお父さんが死んだ時は幼少で、その死を隠すために木阿弥という盲目の法師を影武者にし、無事に順慶が成長したら役目を終えて元の木阿弥に戻ったという、”元の木阿弥”という故事を残しています。

 

また、順慶自身も、明智光秀の与力だった順慶は本能寺の変のあと光秀の味方になるかちょっと出陣して洞ヶ峠というとこで日和見してた”洞ヶ峠の筒井順慶”として歴史的日和った人として名を残しています。

 

”日和る”って、どっちの陣営に付くのが有利か日和見するとか優柔不断ではっきり決断できないという意味だけど、東京リベンジャーズのせいで”びびる”って意味になっちゃってますね。

それなら”貧弱る”って漢字当てればいいのに。

 

冒頭ナレーションの間に4年ほど経って織田の激戦がすっ飛ばされてしまいました。

 

そこまで冒頭でやっておいて、ドラマは年代が不明なところになります。

越前の一向宗討伐から帰ってきたシーンがあるので天正5年(1577年)だと思うけども、家臣登用の試験はフィクションで、石田三成、平野長泰、片桐且元、藤堂高虎が仕えた時期はバラバラです。

 

「武功夜話」にはぐんぐん名を上げる秀吉に仕えようとたくさんの人が押しかけたというシーンが何度か出てくるけど、長浜城主になった後もそんなシーンがあったような。

 

ここでもなろう小説バリのご都合展開なんだけど、近所に住んでた子や身内の縁者が天下無双の猛将だった件。

加藤清正と福島正則が虎と戦って勝つなんて。

 

ねねのお父さんが死んだのはウィキによると1575年なので、この辺はもう年代気にしちゃいけないね。

 

ちなみに、秀吉が越前から帰ってきたのは大将の柴田勝家と揉めて勝手に帰ってきた話なのだろうか。

それならここですったもんだがあるから飛ばしちゃダメなとこだと思うけど。

 

とりあえず本編を解説しますと、苗字が羽柴になったくだりも飛ばしちゃダメでしょう。

織田の重臣の柴田と丹羽から1字ずつ貰ったそうです。

 

官位が筑前守なのはいずれ九州を統治する時に馴染みやすいように九州の官位を与えられたらしい。

前述の原田直政も塙という苗字だったを九州の名家である原田という苗字を与えられたし、明智光秀も惟任(これとう)という同じく九州の名家の苗字と日向守の官位を貰ったし、丹羽長秀も惟住(これずみ)という九州の苗字を貰いました。

あと、桶狭間で信長に今川義元の陣の場所を伝えた簗田政綱の子も別喜(べっき)という九州の苗字を貰ってます。

”べっき”というと、雷神立花道雪の前の苗字の戸次(べっき)と同じ読みなので、九州の名家なのね、って実感が出るね。

 

今回登場した人物について語ると、賤ヶ岳七本槍になった片桐且元と平野長泰はこの後賤ケ岳の戦いまで出てこないかもしれないので書いておきます。

 

先に言っておくと、賤ヶ岳七本槍とは本能寺の変の後の秀吉と柴田勝家の戦いである賤ヶ岳の戦いで功を挙げた秀吉家臣7名のことですが、前のブログで書いた西美濃三人衆と同じく後世にそう呼ばれるようになった人たちです。

甫庵太閤記が初出だそうで。

読みは「しちほんやり」です。

リアルタイムでは「賤ヶ岳七本槍」とは呼ばれていません。

ちなみに賤ヶ岳で表彰されたのは9人いますが、除外された2名は江戸時代まで生き延びられず、甫庵太閤記が書かれた時には誰それ?状態だったため、生き延びた七人が七本槍とされました。

 

片桐且元、「真田丸」では大活躍してました。

後年の立場から文官な感じだけど、賤ヶ岳では七本槍に数えられる武勇を発揮しています。

戦での活躍は少ないけど、内政や戦での事務で活躍し、大坂の陣の際は豊臣と徳川の戦を回避しようとがんばりました。

願い叶わず、豊臣の滅亡20日後に病死。

最後まで豊臣の存続に尽くした忠臣です。

 

平野長泰は賤ヶ岳七本槍で最も出世できなかった人です。

他の6人、加藤清正と福島正則は大大名、他も数万国の大名となったのに、平野長泰だけ5000石の旗本です。

そして、主なプロフィールがそれだけです。

賤ヶ岳で活躍して七本槍となるも唯一大名になれなかった男。

個性が無いのが個性です状態だけど、ウィキによると家は血統は絶えたものの養子で家は続き、明治維新後になぜか大名になったそうな。

 

あと、そもそも浅野長政が内政に音を上げての家臣登用だったけど、浅野長政はのちに五奉行の一人になるほど有能な官吏だし、五奉行のもう一人増田長盛は既に秀吉家臣にいるはずなので、ちゃんと長浜の行政回ってたでしょ、と思われます。

残りの三人のうちの一人が石田三成で、あと前田玄以は信長家臣、長束正家は丹羽長秀家臣でした。

 

ちなみに三中老のうちの二人も既に秀吉家臣にいます。

 

今回の解説はこんなところなんだけど、長浜観光楽しいよ。

城下町風の商店街にはいろんなお店があって、ご当地グルメもスイーツも美味しいし、秀吉ゆかりの寺や神社もあるし、もちろん長浜城も復元されて天守は博物館になってます。

 

長浜港からは竹生島に行けるし。

一押し観光スポットです。

 

ここまでやれば次回あたりからそろそろ中国地方に遠征するのでしょうか。

次回もお楽しみに!

 

小谷落城の回です。

 

大変ドラマッチックでした。

将軍足利義昭が信玄を訪ねるところから始まり、三方原の戦いがあって信玄が死に、義昭が追放されて、朝倉滅亡、浅井滅亡。

 

とても濃いシーンをそれぞれ強烈なインパクトで演出してくれまして、史実かどうかなんてどうでもいい勢いで楽しめました。

やはり歴史を使ってエンターテイメント作るならこのくらいしてくれなければ。

 

うん、ほぼフィクションです。

 

順を追っていきましょう。

 

まず、足利義昭は武田信玄と会ったことがありません。

というか会えません。

足利義昭が武田信玄に会うには、信玄は京に行ってないので足利義昭が甲斐躑躅ヶ崎館まで行かねばならないのですが、京から甲斐までは約10日、往復20日。

既に征夷大将軍になっている足利義昭が隠密で行ける距離ではないので、行くとしたら幕府高官と護衛を伴った大所帯、各地で有力武将にもてなされつつの移動になるので更に日数がかかります。

そして、記録に残ります。

義昭が信玄に直接会った可能性は極めて少ないです。

 

ここで信玄は「お屋形様」と呼ばれています。

なんとなく戦国時代は家臣が主君を呼ぶ時に「殿」と呼ぶか「お屋形様」と呼ぶもんだと思ってる人は多いかと思いますが、「お屋形様」は幕府より屋形号を与えられた家柄の当主だけなので、屋形号を持っていない、例えば徳川家康がお屋形様と呼ばれていたら間違いということになります。

 

「麒麟がくる」では斎藤道三は屋形号持ってなかったけど、かつての主君の土岐頼芸は屋形号を持っていたので道三は「殿」と呼ばれ頼芸は「お屋形様」と呼ばれていました。

武田信玄は屋形号を持っていたので「お屋形様」と呼ばれてオッケーです。

 

信長に関しては微妙なところで、もちろん京制圧前は屋形号持ってなかったんだけど、その後は屋形号もらってるはずなんだけど、信長が「お屋形様」と呼ばれてる史料がありません。

屋形号持ってたけど本人が好まなかったのかも。

 

なお、意味的には「お館様」でも同じだし、なんなら「殿」も同じでどちらも建物を指して住んでる人の敬称としたものだけど、史料上は「お館様」は無いので、見るとしたら小説とかゲームでだけですね。

 

ググったところ、「お館様」と書くと鬼殺隊を統べる家の当主を指すらしい。

 

続きまして、フィクションだけど足利義昭と武田信玄の会話内容。

 

ドラマでは武田信玄と織田信長が盟約を結んでいるという初見びっくり情報が出ましたが、史実です。

信長は叔母が嫁いでる東美濃の遠山氏を通じて武田信玄と交渉を持ち、子の婚姻の約束もありました。

 

ただ、織田と武田の盟約がいつからかははっきりしません。

婚姻の約束は1565年(桶狭間の5年後、美濃制圧の2年前)あたりですが、もっと前から遠山氏を通じての交流があり、じゃあ織田と遠山の交流はと遡ると桶狭間前になります。

 

なお、遠山氏は織田と武田の両属状態です。

織田と遠山の交流はいつからかはっきりしないけど、武田と遠山は武田の信濃攻略後の1550年代には交流してる手紙が残ってます。

 

桶狭間の前は、解説ブログでもちょいちょい触れてるけど、信長は今川領に反乱工作を仕掛けまくって今川領では織田派と今川派で争っていて、織田方の反乱が奥三河とか武節とか武田領を掠めるあたりでも起こっています。

で、当時は武田と今川は同盟関係なので、武田領の付近というか武田領を通過しないといけないような兵の動きは阻止するのが普通だと思うんだけど、武田は黙殺しています。

 

この頃から織田と武田が結んでいたとするならば、徳川と同盟するよりもずっと長い盟友ということになります。

 

ドラマでは義昭と会見して信玄が織田と戦うことを決意して徳川を攻めていますが、実際はこの6年ほど前から武田と徳川は戦っています。

 

今川が滅んだのが信長の美濃制圧の翌年の1568年、その直後から徳川と武田の戦が始まってます。

このあたりは「どうする家康」で詳しくやってたけど、武田は今川を完全に滅ぼすつもりだったのに家康は講和という形で今川氏真を逃がしたため戦が始まった、となっていました。

他にも今川領の分配で揉めたとか、武田はすぐに駿河を平定したのに遠江攻略に手こずる徳川の隙をついて徳川領になるはずの遠江領を奪ってしまおうとしたとか色々原因はあります。

 

とにかく武田と徳川はとっくに戦になっていたのです。

 

っていうかドラマでも姉川の戦いの時に家康が「武田への対応が大変」みたいなセリフ言ってたじゃんか。

 

でも織田が徳川を助けなかったのは武田と同盟を結んでいたからなのです。

 

で、「信長はいつ裏切るかわからない」みたいなこと言われてたけど、これまで信長の方から裏切ったことってあったっけか?

あったわ!

ドラマではカットだけど息子を養子にして乗っ取った北畠氏を皆殺しにしてました。

 

でも武田の西上作戦は織田に対しては武田側が同盟を破棄した形になります。

将軍からの命令だったけども、武田が織田との同盟を破って将軍の命令に応じた形です。

 

なので三方原でやっと織田は徳川に援軍を出すのですが、三方原は徳川軍の惨敗でした。

家康は「このことはすぐ忘れる」と言ってて、忘れないようにと描いてもらったと言われる敗戦直後の絵があるのだけど、これは史実か確認できないとのこと。

 

織田の援軍は佐久間さんが行ったけど、他の援軍武将が討ち死にしてる中でほぼ無傷で引き上げてくるという神業をやっています。

まともに戦わなかった説もあるけど、まともに戦ってなかったとしてもほぼ無傷は凄くね?って思う。

 

そして、なろう小説だったら絶対”ご都合展開”と批判を浴びるであろう武田信玄死亡。

創作物語で主人公がやられる寸前のピンチで敵のボスがいきなり死ぬって、鬼滅で言ったら最終バトル直前で無惨事故死みたいな展開よ。

そんなのクソマンガじゃんか!

 

武田信玄の死因は病死説が有力で、他にも狙撃とかの暗殺説があります。

餅を喉に詰まらせるのは斬新でした。

 

そもそも信玄の西上作戦自体が、死期を悟った信玄が死ぬ前に天下獲ったろうとした、みたいな説もあります。

 

信玄の死は秘されて端から見れば全く謎の武田軍撤退でした。

リアルタイムでは信玄が死んだという噂というか推測はあったようだけど確信が持てず、確定情報をもたらしたのは武田軍に攻められて降伏していた奥平さんでした。

武田軍に従軍したけど武田軍内ですら信玄の死は隠されていたのに、情報を掴んだ上にドンパチやって脱出してきたのです。

そのせいで人質になっていた長男の婚約者が殺されます。

 

これにて信長包囲網は崩壊、調子こいて挙兵した足利義昭は信長に滅ぼされて追放されてしまうのでした。

 

一般的にはここで室町幕府滅亡とされていますが、当時の人たちはそう思っていなかった可能性があります。

足利義昭は追放になったのに征夷大将軍のままでした。

征夷大将軍を返還するのは1588年、本能寺で信長が死んで秀吉が天下統一する直前の頃です。

 

また、幕府の役人が何十人も義昭についていって、追放先の鞆の浦で幕府の政務をしていたからです。

再び信長包囲網作ろうとしたり、例によって戦してる勢力和睦させたり、幕府の役職を武将に与えたり、五山の住職任命したり。

 

信長も困って京に呼び戻そうとしたりしました。

義昭も戻らないで毛利と仲良くしてた方が信長困ることがわかって戻りませんでした。

 

ただ、結局上手くいかなかったので、後になって実質的に1573年の追放で幕府終わったな、ってことになったわけで、リアルタイムではここで室町幕府滅んだ、とはなってなかったようです。

 

つまるところ、ドラマで秀吉たちに言った「わしの家臣になれ」は本気だった、と。

 

ずっと引っ掛かってるんだけど、将軍の一人称が「わし」で良いのか・・・

書物上では「余」なんだけども、まあ、プライベートな時は何でも良いのか。

 

 

で、ここからが本番。

 

浅井朝倉が滅亡するところです。

三方原の戦いで既に比叡山焼き討ちから年が変わって(旧暦では同じ年の12月だけど)1573年になっています。

で、上述のようなことがあって、1573年8月、小谷城が再び包囲されました。

 

早々に裏切ったアツジさんとは阿閉(あつじ)貞征のことで、信長公記にも結構名前が出てくる人です。

だけど、ゲーム上の能力がめちゃめちゃ低い。

なのに信長公記では色んな戦に出陣してるし信長に褒められたりしてる。

不思議キャラです。

 

ただ、名前が出てる割にエピソードは少なく、ただ出陣武将として名前が挙がってる他は、主に寄り親になった秀吉と領地で揉めてるのと、本能寺の変後の山崎の戦いで明智方について死んだくらい。

 

だけど、山本山城っていう要衝を領地にしてたことから対浅井戦ではキーマンになっていて、阿閉さんが織田に付いたからサクッと朝倉も浅井も滅んだようなものです。

なので、この人も後世の評価で雑魚キャラになってるけど、リアルタイムでは結構なVIPでした。

 

で、阿閉さんが裏切って小谷城を包囲したのに援軍に来た朝倉が先に滅ぶという不思議な戦。

 

阿閉さんの裏切りと織田の奇襲で砦2つが落とされたことに朝倉さんがビビって撤退を決め、刀根坂の戦いという撤退戦で壊滅的な打撃を受けたのでした。

 

姉川の敗北よりは刀根坂の方がダメージが遥かに大きく、朝倉氏はここで首脳陣な家臣を多数失ってしまいました。

斎藤龍興もここで討ち死にしたとされてますが、これだけ粘って登場させておいて死ぬシーンも、てか死んだナレーションすら無いんかい。

 

一応生存説もあるので終盤でひょっこり出てきたりするのかな。

 

なおこの時に追撃する織田軍の動きが悪くて信長が怒ったのに対し、佐久間さんが「そう怒られてもうちらほど優秀な家臣は他にいないよ」的なこと言って更に怒られるっていう謎シーンがあります。

信長公記に書いてあるんだから著者の太田牛一がその場にいたのでしょうね。

 

三方原の合戦でまじめに戦わなかった件とここでの一言が後年佐久間さんが追放される一因となっています。

 

ま、戦術的にも織田の勝利なんだけど、信長包囲網が崩れたのと、浅井朝倉軍の士気が低いのとで戦略的にも織田が勝つ環境ができてたわけですね。

 

むしろ長期にわたる継戦能力が織田が強すぎる。

恐らく浅井朝倉は経済的にもうダメだったんじゃないかな。

苦しい経済状況で武田軍参戦で勝利は目前、となったところで武田軍引き上げ、またいつ終わるかわからない戦が続く、じゃ音を上げてしまうよね。

 

越前に戻った朝倉義景は、朝倉景鏡の領地に避難するよう呼ばれ、行った先で殺されてしまいます。

ドラマではヤケになって一乗谷燃やそうとした義景を止めるために景鏡が殺したことになってたけど、実際のところは不明です。

結果としては多くの朝倉家臣が織田に組み込まれることになりました。

 

そんで引き返して小谷城総攻撃。

激戦の末に市と娘三人を引き取って落城させることができました。

お市は長政の介錯はしてないと思います。

重臣の赤井清綱(ドラマの地図でも赤井屋敷が本丸のすぐ横にあった)と弟も一緒にいたのでどちらかが解釈したのでしょう。

 

ちなみに、素人介錯は上手く首が切れなくて、首の骨に当たったりして余計に痛いらしい。

市も武士の妻だから多少の心得はあっても、介錯は武士ですら難度が高いとされるので。

 

えと、万福丸。

ドラマでは朝倉に人質に出したまんま行方不明(たぶん死んでる)でしたが、史料上では織田に捕まって処刑されています。

信長公記では万福丸とは書いてないものの、「浅井長政の10歳の嫡男を処刑」とあって、わんさんが持ってる現代語訳だと注釈で万福丸と書いてあります。

また、ウィキによると「浅井三代記」では万福丸は家臣に連れられて脱出したものの、信長は「万福丸が心配だ」と市を騙して呼び戻させて串刺しにしたと記述されてるとのこと。

 

まあ、この方向だとドラマのこれまでの流れと矛盾しちゃうし、長政許す方向なのに万福丸殺しちゃったらどういうこと?ってなるので。

 

ちなみに、浅井長政には兄弟もいるしお市以外にも側室いて子がいます。

 

 

ふう。

長かった。

読んでくれた皆様ありがとうございます。

 

今回の解説はこんなところで。

 

次回は、いよいよ秀吉が城主に、なるのかな?

一応情勢は、浅井朝倉は滅んだけど武田はまたすぐ攻めてくるし、一向一揆とも戦闘中。

てか一向一揆との戦はここからが本番。

三好残党もうろちょろしてるけど、信長は権威を高めるために朝廷や公家と交流もたくさんしなきゃならない。

そんな感じです。

 

どんな感じで戦勝シーンが描かれるのか、乞うご期待!

 

 

比叡山焼き討ちの回です。

 

詳しいことは「麒麟がくる」の比叡山焼き討ちの回の時に書いたのでこちらをご覧ください。

 

 

ざっくりまとめると、「神も仏も信じない信長が敵対する寺社に対して暴虐の限りを尽くした」というような簡単な話ではない、ということです。

 

戦国時代までの寺社勢力ってヨーロッパの教会と似た点がありまして、支配者が手を出しにくいのです。

それは単に民が信仰しているから攻撃すると民が怒るよ、というだけでなく、社会システムの一部になっていたというのもあるし、数々の権力者がいざという時に出家して逃げ込むところ、というのもあって色んなパワーバランスの上で手を出しにくいわけです。

 

現代日本で例えるならば、寺社は金融機関の一面もあったので、日銀が政府の経済政策に従わなかった時に解体させる、くらいの暴挙です。

 

戦国時代以外の大河でも、例えば平安時代の「光る君へ」でも源平時代の「平清盛」でも寺社が強訴(寺社が僧兵を伴って政府に圧力をかけて要求を通すこと)のシーンがあって、古代から寺社は支配者にとってはままならぬ存在でした。

 

それが戦国時代になると武士たちに寺領が奪われてしまうようになります。

それに対抗するため、寺社は一揆を組織したり、寺領を奪った武士に敵対する勢力と結んだりします。

 

信長の時代ではあらかた奪われるものはもう奪われてるので、逆に寺領を奪った武士を倒して寺領を回復してあげることが勢力拡大の大義名分になったり、統治の基本戦略になったりしてきます。

 

ゲーム「信長の野望」では寺社勢力は倒せない武装NPC勢力になってたりします。

仲良くしとくか、定期的に討伐するしかない、という。

 

ちなみに、浄土真宗の寺社の一向一揆はまた別物なので別けて捉えてくださいませ。

一向一揆はひたすら南無阿弥陀仏ですが、ドラマでも宮部継潤は般若心経でした。

 

この比叡山焼き討ちで信長は一気に歴史的悪者になってしまうのですが、別に信長は寺社勢力が嫌いなわけではありません。

ちゃんと寺領の保護もしてるし(比叡山にはしてない)、桶狭間の前も熱田神宮に戦勝祈願してるシーンは有名だし戦勝後に寄進もしてるし、伊勢神宮の式年遷宮のお金も出してるし、安土城天守は仏教的絵画で装飾されてるし安土城内にお寺もあります。

っていうか本能寺に住んでるし、菩提寺もいくつかあります。

 

つまりはピンポイントに比叡山延暦寺と揉めたわけですね。

 

その原因は、足利義昭。

ドラマでは自分のせいだというのか、と明智光秀に詰め寄ってましたが、足利義昭のせいです。

 

室町幕府は以前のブログでも書いたけど、とても基盤の弱い幕府で、権威を示す活動として武士の争いを調停するってことを頻繁にやってました。

と同時に、上述の寺領の回復もやってました。

 

姉川の戦いで負けた朝倉、浅井はまだまだ兵力に余裕があって、織田に攻撃を仕掛けてきました。

一方で、ドラマではカットされてたけど、京を追われていた三好が挙兵して攻撃を仕掛けてきて、一向宗も挙兵して信長に攻撃を仕掛け、一向宗の要請で比叡山も信長に攻撃し始めました。

 

この方々から攻撃を受けてる中で、森可成が討ち死にするシーンとなります。

しばらく出てなかったから森可成って誰?な感じだと思うけど、蘭丸のお父さんです。

信長が家督争いしてる頃からの股肱の家臣です。

そんな大事な家臣と、これまたカットされてたけど信長の弟の信治も一緒に討ち死にしてます。

 

ドラマの都合で弟は信長が殺した弟しかいない感じになってるけど、信長の弟はいっぱいいます。

兄もいるし。

 

ついでに言うと、森可成と織田信治は討ち死にしたけど残った家臣ががんばって宇佐山城を守りきってます。

 

で、宇佐山城攻略を諦めた朝倉、浅井軍は京に迫り、各戦線から引き返してきた織田軍と対峙、比叡山に籠る、という流れです。

これらのバタバタの攻防はまとめて”志賀の陣”って呼ばれたり、三好との戦いのところは別で”野田、福島の陣”って呼ばれたりしてます。

 

なので、この状態での足利義昭による調停はドラマでやってたような一概に朝倉、浅井を助けるためのものではないんだけど、朝倉、浅井が引き上げた後の比叡山が手薄になってしまうということになりました。

 

金ケ崎の退き口が4月、姉川の戦いが6月、比叡山に朝倉浅井軍が籠るのが9月、足利義昭の調停が11月です。

 

ちなみに、調停は将軍足利義昭だけでなく朝廷も動いていて、信長の要請とされてるのでドラマでは何がなんだか。

 

で、朝倉浅井軍が籠もってる時に信長は比叡山にたくさん交渉を持ちかけたのですが応じてもらえなかったので、1年後の9月に比叡山焼き討ちとなったわけです。

 

ドラマではすぐ焼き討ちしてるような感じだったけど、1年経ってるのです。

 

この間、将軍を傀儡にして天下に号令したい信長と、幕府の権威を回復して自分で天下を動かしたい義昭との確執が広がっていきます。

 

つまり、比叡山の寺社勢力も義昭の手駒と見做されるようになるし、金ケ崎の時は信長は幕府軍として朝倉討伐に出兵したのに織田と浅井朝倉の戦いで義昭は信長の味方ではなくなっていきます。

 

なので、単に比叡山が敵方というだけでなく、将軍の力を削ぐ目的であったり、他の敵の逃げ場を奪う目的であったりするのもあるし、軍事的な理由以外でも社会的や倫理的に矛盾を抱える比叡山を焼き討ちすること自体が信長の統治スタイルのアピールになったりと、考えると多くの目的が見つかります。

 

社会的や倫理的な矛盾については冒頭にリンク貼った以前のブログをご覧ください。

 

まあ、分析すると色んな目的が見つかるけど単に怒り心頭だっただけっていう可能性もあるけども。

 

ただ、歴史の結果としては他の戦国武将がやったような「ただ寺を燃やす」「ただ寺から略奪する」ではなく、仏教の歴史的代表勢力である比叡山を灰燼に帰した”比叡山焼き討ち”は大きな衝撃となりました。

 

単に寺が焼き討ちされるのは全国各地でたくさん起こってます。

寺は塀に囲ってあって軍事勢力の拠点になるので進軍ルートや戦場付近に寺があれば燃やされたり占領されて陣になったりします。

 

だけど比叡山焼き討ちはそれとは一線を画す歴史的な意味合いが強いのです。

虐殺された人数も大きいけど、たくさんの歴史的遺産や書物も失われてしまいます。

 

他の武将が寺を焼いてもそこまで悪評は強くならないけど、信長が悪逆非道の戦国武将とされてしまうのはその規模もさることながら、多方面で衝撃が大きかったからなのです。

 

そしてこの後10年に渡って一向宗との泥沼の戦いになるという謎仕様の戦国時代です。

どんな小説家にも書けない複雑怪奇な世界設定だよね。

 

スターウォーズでレジスタンスと帝国軍が戦ってる最中に宗教勢力が挙兵して双方の領土で暴れまわったら物語が破綻する。

 

でもどんだけ分析して情勢や目的を見つけたところで比叡山焼き討ちは悪逆非道であることは間違い無く、この一点においてはどんなに信長が革新的で歴史的偉業を残した人物であろうと擁護はできないと思います。

 

比叡山が世界を滅ぼす悪魔召喚しようとしてたり核兵器ばりの大量破壊兵器開発してたなら別だけど。

 

なお、天台座主の覚恕は逃げたのではなく、京に行っていて不在だったとされています。

そのまま京都で過ごし、焼き討ちの2年後に病死。

 

というわけで、比叡山焼き討ちに関してのコメントはこのくらいにして、あと突っ込みたいのは、信長に差し入れされた魚。

 

鮭っぽい感じだったけど、戦国時代の鮭は高級品です。

江戸時代には新巻鮭の製法が普及して庶民も食べられるようになりましたが、戦国時代では塩漬けで京に運ばれるものはかなりの有力者でなければ食べられませんでした。

 

信長に差し入れられてたのは横山城なので敦賀から運ばれたものと推測できますが、信長の家臣が持ってくるのは相当がんばって手に入れた品だと思われます。

 

横山城は琵琶湖沿岸なので普通ならば魚が食べたければ琵琶湖で獲れたものを用意すれば良いのですが、わざわざ鮭を持ってくるのは信長への愛が凄い、と思ったシーンでした。

 

ちなみに酒も戦国時代では一般的には濁り酒で、現代の清酒とは異なります。

清酒もあったけど、こちらもかなりの高級品なので公家等を招いた公的な宴会とか本能寺の変直前の天下統一手前の信長なら清酒が出てくるだろうけど、前線の城で家臣主催の宴会ならば「良い酒持ってきましたぞー」と言ってもやっぱり濁り酒だったと思います。

 

こんなところで今回の解説は終わりにします。

 

次回は、小谷城攻め、なのかな。

このあと信長包囲網で苦戦を続けて武田信玄参戦でてんやわんやしてくるのだけども、一気に進みそうな予告になっています。

 

というわけで、次回もお楽しみに!

姉川の戦いの回です。

 

姉川の戦いだけでまるまる1話使ったよ!グッジョブ!

姉川の戦いをこんな派手に演出してくれたドラマは今まで無かったはず。

大迫力の合戦シーンでした。

 

前回のブログで姉川の合戦には謎がある、と書いて締めくくりましたが、合戦自体は多くの史料があって、参戦した武将の動きが良くわかります。

 

謎なのは、これだけ派手にやっておいて、甚大な被害で負けた側の浅井、朝倉の勢力が全然衰えず、それどころかここから織田包囲網が形成されて何年も信長が苦境に陥るという流れです。

ま、これはこの後のドラマでも描かれていくので追々書いていくとして、この点から見て、「戦国時代の合戦(野戦)意味無い説」が浮上してきます。

 

合戦というと城攻めの攻防戦も合戦と言われているので野戦に限定なのですが、大名と有力武将がたくさん討ち死にして壊滅した桶狭間の戦いですら今川の勢力は健在で、滅ぶまで7年かかっているし、この後の長篠の戦いでも武田軍は四天王のうち出陣していた3人が死ぬくらいの被害ですが、6年持ちこたえています。

というか、長篠の戦いは三方原で大敗した徳川が巻き返して勝った戦だし。

 

織田、徳川以外の合戦もいっぱい例があり、例えば戦国を象徴するような合戦である川中島の戦い。

武田上杉が何度も川中島を戦場に合戦をして、有名なのは4回目ですが、勝っても負けてもさほど変わらず、両軍ボロボロになっただけ。

歴史の結果を見れば上杉謙信が武田信玄を釘付けにして信玄の天下統一を阻んだという成果はあるけども、上杉、武田の決着の決め手にはなりませんでした。

 

他にも九州では耳川の合戦というのがありまして、6カ国持っていた超大国の大友氏が島津軍に壊滅させられた戦ですが、そこから大友の勢力は傾くものの8年持ちこたえ、秀吉の九州征伐に臣従することで滅亡を免れました。

 

同じく九州の沖田畷の戦いでは3カ国以上保持していた龍造寺隆信と四天王5人が討ち死にする大敗しましたが、隆信の右腕にして後継ぎの後見だった鍋島直茂が立て直し、佐賀藩となって明治維新後も活躍する家を残します。

 

厳島の戦いですら、毛利元就が陶晴賢を討ち取ったにも関わらず滅ぼすまでそこから2年だし、毛利と尼子なんて何年戦ってるのよ、っていう。

 

あと、東北の合戦はマジ意味無い。

激戦して勝って、「俺が上でお前が下な」という取り決めして終わりとか、伊達と最上の戦なんて伊達政宗の母が最上義光の妹の義姫なんだけど、義姫が「もう止めろ」と言って終わりとか。

東北は大名同士がみんな親戚だからトドメを刺そうとすると一族が離反するとか、雪降ったら戦できなくなって終わりとかなので相手を滅ぼすのが難しいのでした。

 

例外は関ヶ原くらいなんだけど、これは巻き返しが不可というか、これで石田三成は終わりという面があったからかな。

あ、山崎と賤ヶ岳もか。織田の中の内乱なので首謀者の拠点は少なく、野戦で決定的な優劣が決まったのでした。

 

逆に言えば、それ以外の合戦ではたとえ壊滅的な負け方をしても巻き返しの余地が十分にあった、という意識が当時の人たちにはあったということになります。

 

金ケ崎で負けた織田軍は十分に巻き返したし、姉川で負けた浅井、朝倉も十分に巻き返せたのです。

 

その理由の一つとして、城攻めに時間がかかるということがありました。

織田の勢力が急激に拡張したのは調略によって敵の城主を寝返らせていったからで、普通に城攻めすれば一つの城に対して数ヶ月を要してしまうのです。

 

なので、野戦で大敗したところですぐ滅亡するわけではなく、また野戦には全兵力持っていくわけではないから領地にはまだまだ兵はいるし、他家から援軍を得られれば全然巻き返せるというのが常識でした。

だから、後年の秀吉の小田原征伐で北条氏は20万の軍勢に囲まれてもなかなか降伏しなかったのです。

 

というわけで、合戦意味無いじゃん、ということになるのですが、意味の有る無しではなく、必要だったのです。

 

桶狭間の戦いは大高城が包囲されたことに対する救援のための後詰め合戦だった、というのは桶狭間の戦いの時のブログに書きましたが、姉川の戦いも同じく包囲された横山城を救援するための後詰め合戦でした。

 

”後詰め”とは援軍の意味ですね。

 

戦国時代の主従はざっくり言うと寄親寄子制を大きくしていったものです。

寄親寄子制とは、小さな領主が大きな領主の庇護下に入り、小さな領主は大きな領主の指示に従う代わりに大きな領主は小さな領主を守るという契約システムです。

 

つまり、横山城が攻められた時、浅井は救援をしなければこのシステムが破綻してしまい、合戦に負けるよりも多くの家臣が離反してしまうのです。

姉川の戦いは互角の勢力同士でしたが、劣勢だとわかっていても援軍は出さなければならないのです。

どうしても援軍を出せない時は、城主に対して「降伏しろ」と指示が出ます。

 

前述の大友氏が滅亡ギリギリの時、岩屋城に籠る大友の風神こと高橋紹運は味方からの降伏指示も無視して抵抗を続けて城兵ことごとく討ち死にするまで戦って半月持ちこたえ、豊臣軍が九州に上陸までの時間を稼ぎ出して大友の滅亡を回避しました。

味方から降伏して良い許可が出るのです。

 

なので、城を攻めると合戦になっちゃうわけですね。

 

姉川の戦いで信長が得た城は横山城だけですが、ドラマでやっていた通り横山城を得ることで、佐和山には浅井の勢力があるものの岐阜から京へのルートを確保することができました。

 

また、ドラマでは触れられてなかったけど鉄砲の産地である国友村もゲットできたのです。

 

なので、姉川の戦いで得られるものは大兵力を動員したのに見合う成果でした。

合戦は相手を滅ぼす決め手とはならないけど、目的を見定めてそれを得られるよう戦略を立てるのが大事ですね。

 

だからウクライナもイランも目的がよくわからずただ相手を従わせたいがために武力を用いてる無用の戦です。

東北の大名か!

だけどいくら目的に価値があったとしても、いかなる紛争にも武力を用いないと定めた国が巻き込まれないことを祈るばかりです。

 

姉川の戦いに話を戻しますと、概ね信長公記の流れで進んでいて好感でした。

一般的なイメージだと金ケ崎で負けた信長が怒り狂って(ここまでは合ってる)一気に浅井朝倉を滅ぼそうとして2か月で再出陣、合戦になったという感じだと思うんだけど、ちゃんと一旦小谷城に迫り、横山城を攻め、浅井朝倉軍が姉川を挟んで布陣して合戦っていう順序を踏んでくれました。

 

指摘しておきたいポイントとしては、織田の評定にいる面々が増えましたね。

 

最初は佐久間、柴田、丹羽、林秀貞くらいだったのが、前田利家や佐々成政がいて、竹中半兵衛と主人公小一郎も当然のように評定の場に座ってるようになりました。

 

これは、前田、佐々は柴田勝家の寄騎だけど信長直臣、半兵衛、小一郎も秀吉の寄騎だけど信長直臣なので織田の評定に出席してるわけで、ドラマだから主要キャラがいるわけではなく、ちゃんと信長直臣っていうポジションだからいるという主張です。

 

寄騎(与力)は戦国時代においては寄子とほぼ同義です。

 

本戦は大迫力の戦闘シーンでしたが、まず第一に指摘しておかねばならないのは、渡河して朝倉軍に横撃かましたのは徳川四天王の榊原康政です。

 

そう、なぜ姉川の戦いの史料が多いかというと、この合戦に参加していた徳川軍の武将の多くが江戸幕府の大名となったからです。

なので、各大名家で家譜が作られた時に、姉川の戦いで挙げた手柄が記入されることになり、史料として残るのです。

 

信長の有力家臣はだいたい秀吉が殺しちゃったから柴田勝家とか佐々成政とかの出典がだいたい信長公記になっちゃうのですが、徳川が参加してると史料が豊富になるのです。

と言っても寛政重修諸家譜とか三河物語とか徳川実紀とかだけど。

 

で、榊原康政の若き頃の数少ない特筆すべき功績が、ドラマでは家康に取られた><

 

そもそも榊原康政は四天王の中でも地味なのよ。

有名だしかっこいいしゲームでも強い能力値持ってるんだけど、たぶんKoeiも困った能力値の付け方で、数字で表示される戦の能力は高いんだけど兵科適正がいまいちで、他3人に全体的にちょっと劣るから、強いのになんとも使い勝手の悪いキャラなのです。

後年の活躍からすると恐らく政治的な能力も高かったんだと思うけど、徳川軍には江戸幕府の基盤を作った超絶政治能力特化キャラが何人もいるからゲーム的に榊原康政の政治能力高くできないだろうし。

 

そんな榊原さんの貴重な活躍シーンが家康に奪われるなんて。

ちなみに、徳川軍は石川数正以外にもちゃんと「どうする家康」のレギュラーメンバー連れて来てます。

酒井忠次も本多忠勝もいるんだから出せばいいのに。

 

ちとだいぶ長くなってきたから、初登場のキャラにも触れて終わりにしたいと思います。

 

朝倉景健さん。

朝倉氏は歴史が長くて一門で権力を分配してるから有力武将も苗字が朝倉が多いんだけど、こちらも一門の中では上位の家の人で、血筋的には朝倉義景の従兄弟の子。

たぶん年齢は信長と同じくらいかちょい若いくらいの世代。

ちょうど姉川の戦いの年に家督を継いで、いきなり総大将。

この後も信長を苦しめます。

 

藤堂高虎。

あの登場の仕方だと、大太刀じゃないけど真柄さん突撃してきたシーンかと思ったよ。

姉川の戦いでは身長2m超え、持ってる太刀も2m超えの化物が、徳川の12段陣のうち8段まで突き破って突撃してくるのです。

太刀は熱田神宮にあります。

 

藤堂高虎は槍を振り回していましたが、戦国時代の武器は基本槍です。

秀吉と小一郎が刀で戦ってるのがおかしい演出で、たぶん合戦の残酷さを表現したくてビューっと血が吹き出るようにしたかったんだと思います。

 

なので藤堂さんの方が正確なのですが、身長が190センチあったそうで、槍が小さく見えますね。

いろいろ大活躍のキャラで小一郎とは関わりが深くなるから後半からたくさん出てくるようになると思うけど、最終的に家康の側近的なポジションになって伊勢の津藩で江戸時代の最初から最後まで国替えも無く続いた家の藩祖となる人です。

築城の名手で、今も史跡として観光名所になってる城をいっぱい作ってます。

設計や一部関わったとか含めると多数で、津城、伊賀上野城、大和郡山城、今治城、宇和島城、聚楽第、伏見城、江戸城など。

 

今までの大河にもちょいちょい出てくるんだけど、一瞬しか出てこないのでたくさん活躍してくれるのを楽しみにしてます。

「影武者徳川家康」を読むと、敵役で嫌なキャラだけどたくさん出てきます。

 

そんなわけで、大興奮の姉川の戦い、楽しめました。

次回予告がよくわかんなかったけど、次回から信長が勝ったのにピンチになります。

足利義昭とどんどん仲悪くなっていくんだよなあ。

足利義昭、良い人なキャラになってるのに。

 

あ、姉川古戦場は公共交通機関で行くのはなかなか大変でした。

 

次回もお楽しみに!

 

 

※追記

書いた後に思い出したけど、ともが連れてた子供はきっと摂政関白だよね。

金ケ崎の退き口の会です。

 

ゲーム「太閤立志伝」では墨俣築城の次のビッグイベントです。

 

美濃を攻略し、流浪の将軍候補が信長の元を訪れて上洛を依頼し、それに応えた信長が一気に京を制圧。

天下をまとめるために諸侯に上洛を要請し、従わなかった朝倉を討伐して緒戦で撃破、敦賀の金ケ崎城、天筒山城を落としてついに信長の勢力圏が日本海に達し、このまま一気に朝倉も滅ぼせるか、というところで近江の義弟の浅井長政が裏切って、北に朝倉、南に浅井と挟み撃ちにされて大ピンチ、もはや退却するしかない、というところで秀吉が撤退戦の殿に名乗りを上げたのでした。

 

というストーリーなんだけど、あらすじだけで劇的っていう。

 

太閤立志伝のこのイベントで殿(しんがり)って言葉を知ったよ。

殿軍と書いてもシンガリと読むこともあるし、普通にデングンって読んでもオッケー。

軍の最後尾の部隊のことで、撤退戦においては敵の追撃を食い止める役割があって、だいたい死ぬ。

 

ただし、ぶっちゃけ他の撤退戦の例をあまり知らないのと、有名な撤退戦はなんだかんだすげえ武将が撤退戦で逆に無双してるのでよくわかんなかったりします。

 

戦に負けた側の記録で殿が誰でどんな被害が出たかなんてなかなか史料無いからね。

負けた側の記録は戦死者数と討ち死にした著名な武将の名前が残るくらいなので。

 

逆に、負けても巧みな撤退戦で武勇を鳴り響かせた場合はしっかり史料に名が残ってるので、「あれ、殿って意外と死なないね」みたいになっちゃうわけだけど、それでもやっぱり兵はたくさん死んでるのです。

 

で、金ケ崎の退き口。

 

「どうする家康」では金ケ崎でカニ食べながら撤退を決意するところまでで1話使って撤退戦はナレーションで終わりました。

家康も殿にいたとされているけど、具体的にどう戦ったかはわからないので。

 

「麒麟が来る」でも本戦は無かったような気がします。

 

大河でこのシーンでちゃんと戦ったのは「功名が辻」以来ですかね。

主人公山内一豊は秀吉の寄騎として、郎党数名は従えてるもののほぼ一兵卒の身分で参戦してました。

 

「功名が辻」は原作の司馬遼太郎の小説でも山内一豊がめっちゃ戦います。

特に武勇に秀でたキャラではないのですが、全身血みどろになる負傷をしながらギリギリ敵を倒すシーンが数回ありまして、金ケ崎の退き口もそんな戦いに描かれています。

 

原作は古本屋で100円で買えると思うのでぜひ読んでみてくださいませ。

 

史書の方では「武功夜話」に詳しく書かれています。

ドラマでも前野長康が秀吉の側にいましたが、「武功夜話」はこの時参戦してた前野長康の家臣から聞いた話として書かれていて、合戦の様子がよくわかります。

 

「武功夜話」では殿を務める秀吉に、信長は旗指物等を全て残して与え、兵がたくさんいるように見せかけました。

浅井軍が到着すれば一気に挟み撃ちで攻めかかれるけど、到着前で信長がどっしり構えていたなら朝倉軍はうかつに攻撃できず、様子見で4時間稼いだ、と書かれています。

 

ドラマで「2刻(4時間)持ちこたえよ」はこれが根拠でしょうね。

 

で、兵数は秀吉軍が千余人に対し朝倉軍が数千人と書かれています。

4時間稼いだ後に引き上げを開始して撤退戦になるのですが、狭い山道に三段の防御拠点を設置して敵を食い止めながら退却しました。

 

ドラマでは鉄砲で敵を防いだのは明智光秀でしたが、「武功夜話」では佐々成政隊がやっています。130人だそうです。

 

最終防衛拠点に着いた時には千余の兵が600余人で、そこから更に2,3時間戦ったそうで。

 

なので、ドラマでは4時間かけての撤退戦ですが、「武功夜話」では4時間睨み合いをしてからの撤退戦で数時間戦い、ドラマではあまり味方が死んでるシーンは出てこなかったのですが、半分は死んだか逃げたかしたようです。

「甫庵信長記」には3人に2人は死んだと書かれているらしい。原文未確認。

 

ドラマでは敵と向かい合って色々口上たれながら緩く戦ってましたが、史料上では激戦でした。

が、主要な武将は誰も死んでいないという、まるで赤壁の戦いのような感じです。

なので、かなり脚色があるんじゃないか説はあるんだけど、実際のところは謎です。

 

ドラマの秀吉の口上のように、信長が逃げてしまった以上は浅井、朝倉軍にとっても特に意味の無い戦だから本気で追撃してなかったのかもしれないし、秀吉がほんとに巧みな撤退戦をしたのかもしれないし。

 

ただ、逃げ切ったゴールは京じゃなくて、朽木元綱を味方にできていたのだからゴールは朽木谷でした。

京都まで走って逃げたわけではないはず。

もちろん京に着く前にある程度身だしなみも綺麗にできたと思います。

 

朽木谷は琵琶湖西岸にあって、かつての将軍たちが京を追われた時に匿われていたところです。

 

そうそう、ドラマで「おっ」って思ったのが、松永久秀。金ケ崎に参戦していて、信長の撤退は朽木谷(琵琶湖西岸)経由だったんだけど、そこの領主朽木元綱(この時22歳)を説得して味方にしたのが松永久秀で、この時松永久秀63歳。

63歳が敦賀から朽木谷まで走って逃げたよ、という驚愕の史実をドラマ化してくれたのはグッジョブです。

しかもその描き方が「足が棒になったわ!」っていうセリフという。

 

で、ドラマでは出て来なかったんだけど、63歳に説得された22歳の朽木元綱はこの時の決断が戦国を生き延びる決断となりました。

一般的にはマイナー武将だと思うんだけど、「信長の野望」には必ず出てくるので戦国ゲームやってる人は知っている。

この後信長家臣になって、重臣ではないけど琵琶湖高島郡の代官っぽい感じになり、本能寺の変後は秀吉家臣になって主要な戦に参戦、関ヶ原でも最初西軍だったのがちゃんと東軍に寝返り、大阪の陣にも出陣して大名にはならなかったけど秀忠側近にまでなったのでした。

末子が大名になり、子孫は福知山藩主となって明治維新を迎える。

松永久秀グッジョブ。

 

そんなわけで、ここから数ヶ月という驚異のスピードで軍を立て直して、次回は姉川の戦い、になるのかな?

姉川の戦いは史料がいっぱいあるくせに謎、という戦いなので、どこが謎かは次回解説致します。

 

次回もお楽しみに!

小一郎が結婚する回です。

 

妻が、何で安藤守就の娘っていう設定になってるんだろう。。。

もちろん名前の”慶(ちか)”も大河オリジナル設定ですが、なぜ慶と書いてチカと読ませるのか。。。

漢字変換できん。

 

一応解説するけどウィキペディア以上の情報は持ち合わせていません。

秀長の妻は法名しか伝わっておらず、慈雲院という名になっています。

 

当時の女性は”誰々の娘”とか法名でしか史料に名前が残らないのはごく一般的なことなので、特別謎が多い人物というわけではありません。

男性だって名を挙げた武士しか名前わからないし、そういうのも市長クラスの領主だし、その人の家系を調べても先祖はやっぱり法名しかわからなかったりするのです。

 

なので、情報が遥か未来まで残るお墓が大事で、苗字が大事だと思うんだけど、現在はマイナンバーがあるのでお墓も苗字も不要ですね。

 

で、秀長の妻の父と推定される人がやっぱり詳しいことわからないので、ドラマのストーリーの都合で安藤守就の娘になったのかな。

 

でもそうなると竹中半兵衛の妻も安藤守就の娘なので、半兵衛の妻と秀長の妻は姉妹ってことになるんだけど、半兵衛的には妻の姉妹がヤリマンで良いのでしょうか。

 

なお、安藤守就にはまだ娘がいまして、郡上八幡の遠藤慶隆っていう武将の妻になっています。

こちらは超激戦の人生で、信長と戦って斎藤滅亡後に降伏し、だけど身内が従わず反乱したり、飛騨から攻められそうになったり、一向宗や武田信玄からの接触を信長に疑われつつも疑惑を逃れ、姉川、長篠など主要な合戦に参加しつつ信長包囲網をくぐり抜け、本能寺の変後は途中で郡上八幡を追われたり奪回したりしつつ、秀吉の小田原征伐、会津征伐にも加わり、朝鮮にも渡ったし関ヶ原でも自領の動揺を納めながら本戦にも参加、大阪の陣にも出陣っていう。

 

妻の姉妹の人生激しすぎね。

父の安藤守就追放されちゃうし。

 

まあ、ドラマオリジナルの設定なので深く考えないようにする方が面白く見れると思います。

 

ドラマではだんだん信長と将軍義昭の仲が微妙になってきました。

ここで13年続いた永禄って元号が元亀に変わるのですが、「麒麟が来る」の解説ブログでも書いたけどこのネーミングセンスどうなのよ、って思います。

 

元亀は義昭が追放されるとこで終わるので4年しかないのですが、永禄の前の弘治は3年しかなかったので特別短かったわけではありません。

当時は天災や戦乱が酷いと改元して新たな元号で解決を期待したり、その時の権力者が権力を誇示するために改元を迫ったりしたのでちょいちょい元号が変わります。

 

そんな中で相撲大会やってるのですが、信長は相撲大好きで、誰かをもてなす時はだいたい相撲でした。

あの、自分がやるんじゃなくて観覧する方ね。自分でやることもあったろうけど。

「信長公記」ではやたら相撲大会やってます。

 

ちなみに、相撲で西、東というのは信長が相撲の猛者に西、東という苗字を与えたかららしいよ。

チコちゃんに叱られるでやってた。

 

今回名前テロップが出た新キャラに、宮部継潤って人がいました。

ゲームではなかなか使える能力値のキャラです。

割と早めの段階でさくっと織田に寝返ります。

ドラマであんなに長政に文句言ってたのに。

 

その後、秀吉の家臣になって大活躍で鳥取城主やりました。

秀吉の死後、関ヶ原前に継潤も死にましたが、息子が東軍から西軍に寝返るという歴史に残る大失敗をしました。

が、死罪は免れて子孫は自由民権運動しました。

 

宮部継潤は割と有能キャラだと思うんだけど、ドラマでは頭の固そうなセリフ言ってましたね。

そこから寝返るんだからおべっかキャラになるのかな。

 

前回のブログでちょっと褒めてみた朝倉景鏡はたちの悪い詐欺師みたいになってました。

せっかく褒めたのに。。。

 

で、最後は金ケ崎城攻略したところで浅井が裏切って次回へ続く。

 

戦国のドラマでこのシーンになった時に毎回思うんだけど、尾張から来た織田軍全員ここで日本海を初めて見るんですよ。

現代の平和な時代でさえ、太平洋側の人が日本海を見ると感動するのに、戦国時代、ましてや織田の版図が日本を縦断した瞬間なわけです。

しかも、金ケ崎城は実際行ったことあるけど海に面した山城で、城跡からの眺望がすごく綺麗なのです。

 

これを捨てて退却なんて、悔しかったろうなあ。

 

というわけで、次回は金ケ崎退却戦ですね。

ものすげえ大ピンチです。

 

次回もお楽しみに!