次の年、ワシは中学3年生になった
実は中学2年生の冬の三者面談で『このままの成績やと行ける高校無くなるぞ』というくらい成績が悪かったのである
当時はいまと違い『偏差値』によって進学先が当てはめられる『偏差値偏重』の時代
そりゃ子ども多かったから仕方ないわね
偏差値が◯~◯の子はここしか受けさせないからね、というトコロテンみたいな時代である
実際、ワシは偏差値が40あるなしくらいしかなかった
そりゃ行ける高校減る一方だわね😅
兄貴の母校なんて受けても記念受験やし、受けさせてくれるワケもない
中2の冬から猛勉強が始まった(いや、始めた)
塾へ通い、寝る間も惜しんで勉強した
受験勉強、ってたぶんこの時期一番やったんちゃう?毎晩夜中までラジオ聴きながら勉強した
いまみたいにネットなんてあったらあそこまでやれなかったと思う😅
いままで勉強してなかったから、やりだすと面白いように成績が上がった
気付けば偏差値50になり、50を超えた
しかし約2年勉強サボりたおしてきてたから上位クラスまで上がるにはもう時間が足りなかった
が、だいたい模試で偏差値55くらいは取れるようになった
いまは滑り止めの私立を受けなくても公立を受ける機会が増えたので比較的緩い進路指導をしている(うちの娘の時にそう思った)が、当時はまず滑り止めを受けて合格してくることが必須だった
滑り止め落ちると公立はランクを下げて受験しなさい、となる
いまは特色選抜なる試験があるからだいぶ日程的に違うと思うが、当時は1月下旬に奈良県内の私立→2月に大阪や京都の私立→3月に奈良県公立、という受験のスケジュールであった
ワシは奈良県の私立を受けずに大阪の私立を受けた
ワシの受ける前の年にいとこが受けており(滑り止めで)、行くには遠いけど良い高校と聞いてたのでそこにした
合格したが、なんせか遠く、『こりゃ公立行かんと通学がしんどいなー』と思い、是が非でも公立に行こうと決心した😅
ワシが受ける公立は2校に絞られた
1校は奈良県北部の限りなく大阪に近い高校
学ランが制服なのでここ行きたいなーと思っていた
もう1校はその高校から近いには近い山の上にある高校
制服はブレザー
でも新設されてしばらくしかたってない高校で楽しそうやなーと思っていた
最終的に、山の上にある高校を受けることになった
偏差値は1~2違う(うちの高校のほうが下)ので一応安全策ではあった
結果、320人の定員に対し、350人くらいが受け、ワシは合格した😄
ちなみにもう1校は約400人の定員に対し、10人ちょいが不合格だった模様
たぶんもう1校のほうを受けても受かってたとは思う
晴れてワシは高校に入学することとなる
いやーもうあんな遅れを取り戻さないといけない受験勉強なんてしたくない!勉強も?やるんや!と思いながら、また高校でも同じように短期集中受験勉強するとは、我ながら学習能力が無いというのはその後の話なのである😅