続きます。
私はこの本に対して否定的な感想を持っていない為、割と元少年Aに肩入れしたような感じ(?)の意見を述べています。
そんな私の意見と、世間の意見とはかなりの温度差があります。
きっと不快に思われている方も多いことでしょう…
『こういう意見もあるのだ』と、ひとつの意見として読んで頂けると嬉しいです。
始めの方で私は
二度と同じ悲劇を繰り返さない為に…遺族の思いを守るためにモンスターが人間になることを許さない
というのが世間の総意なんだろう
と書きました。
もう少し詳しくいうと
・少年Aが犯した罪は許されるものではない。
・その存在自体を世間の戒めとし、新たに類似の事件を起こさせない
・その為に少年Aのままでいてもらわないと困る!
という感じでしょうか…
他にも
・守られるべきは『遺族(被害者)』であり加害者側ではない
・だから『加害者は救われるべきではない』
という思いもあるかもしれません…
…矛盾、していますよね…
『少年Aの更正を望む』
『だけど更正するのは許さない』
世間がどちらを望んでいるかはわかりませんが、少なくとも私は
『元少年Aを許す』ということはその罪をも認め、なかったことにすることではない、と思います。
『元少年Aを許す』ということは、その罪故に苦悩する彼を見守り続けること、だと思います。
もし、彼が再び罪を犯すことがあるとしたら、それは再び心を失った時だと思います。
では何故『再び心を失う』ことになるのか?
それはおそらく『救われたい』と願うも『救われるべきではない』と自らを戒める彼自身の葛藤と
追い討ちをかける様に『そうだ、お前は所詮犯罪者なんだから救われたいなど願うな!!』という世間の声が、徐々に徐々に心を蝕み、弱らせていくのではないかと思います。
元少年Aが犯した罪は許されることではありません。
どんなに悔やんでも、何をしても時間は元には戻りません。
でも未来はまだわかりません。
元少年Aが再び心を無くし、凶行に走ってしまうか…心を無くすことなく『更正』出来るかはわからないんです。
未来を分ける分岐点は『彼を見る周りの目』だと思います。
『所詮犯罪者!』『救われたいなどと望むな!』という目で見続ければ、追い詰められやがて心を無くしかねない…
けれども少なくとも『追い詰められなければ』心を無くすことはないかと。
それは世間の、私達ひとりひとりにかかってくるかと思います。
あなたは『元少年A』に何を望みますか?