闘争があるから平和を、仕事があるから人間は娯楽を望む。これらがなければ人間は生を担うことはできないであろう。

冷たさを憂い、暑さを憂う。自由を得れば自由を嘆く。そして我々は動物よりも高尚だと考える動物こそが人間である。

道徳的であることは同時に排他的でもある。攻撃的な人間と道徳的な人間は紙一重だ。

娯楽の享受は社会的束縛を対照にして存在するものであり、束縛は娯楽を解放的に強調する。

他人の感情を保持することが信用ならば媒体は評判となり、貨幣が自己増殖能力があるかの如く振る舞う要因は人間にある。感情も一つの通貨なのだ。

自分の感情を愛していることを錯覚しようとする内在的な働きは自己欺瞞という形式をとる。然るにこの錯覚は人を結びつけている。

自己欺瞞の為に人は繋がりを求め、自己欺瞞の為に孤独に苦しむ。