先日、電車とバスを乗り継いで移動をした際に、それぞれ一人づつ席を譲りました。
一人は80歳代と思われるご夫婦で、二人分の席を確保することができなかったため、奥様だけを座らせてご主人は立っていたようです。
そこで、私は声をかけてお譲りしたところ、「いえ、大丈夫ですよ」と返ってきましたものの、私は立ち上がって「ぜひ、どうぞお座りください」と促したところ、「ありがとうごさいます」と言って、座ってもらうことができました。
その間も、特に奥様は気にされていたようで、本当に席をゆずってもらったことが嬉しかったようで、幾度もお礼を言い、立ち去るときにも丁寧に接してもらいました。
このような言い方はよくありませんが、ご夫婦席を譲るにふさわしい状態であったと、一般的に見て分かるような状況であったのです。
その後に電車を降り、バスに乗り継ぎ、席に座っていたところ、70歳を過ぎたと思われる比較的元気そうな女性が乗ってきたために、果たしてどうするべきかと考えた挙句に、席を譲ることを決めました。
その女性は、「いえ、結構ですよ」と言っていたので、同じように座るように促したところ、その女性は快くこのように言ってくださいました。
「私は大丈夫です。でも、お言葉に甘えて座らせていただきますね。
ありがとうございます。」
その女性も去り際にはお礼を言ってくれたりと、こちらも丁寧に対応していただき、嬉しく思いました。
誰しも明らかに席を必要としていると思われる高齢者に譲るのは当然であると分かっていますが、一見すると微妙な状況の方も多くいることは確かです。
後者の女性の場合には、下手をすると「自分は年寄り扱いされた」と気分を害されてしまう可能性があるために、敬遠してしまうケースがよくあることでしょう。
特に私は以前に福祉の仕事をしていたために、そのことがよく分かっているので、なおさら考えてしまいます。
「元気そうでしょ?
口は達者だし性格は明るいし、ちょっとした外出もできるからね。
でも、私は内部疾患もあるし、膝が痛くてね。結構、辛いのよ。」
そのように話す70歳ほどの方を幾人も見てきたからこそ、人は外見では判断できないということが分かっているのです。
身体には加齢とともに必ず支障をきたすものであり、高齢者こそその可能性が高いことは間違いありません。
それにしましても、後者の女性が私に対し快く申し出を受けてくれたことはありがたいと思っています。
「確かに自分は元気で大丈夫かもしれないけれども、自分よりも年配の高齢者、あるいは自分と同世代の人も何らかの要因により席を必要としているかも知れない。
譲ってくれた人の気持ちをおろそかにしてはいけないし、自分が快く受けることにより、本当に必要としている方に少しでもその気持ちが届けばいい。」
案外、譲られた方は自分のことだけでなく、この社会的に人のことも考えてくれているのかもしれません。
もしここで、「年寄り扱いしやがって!」などと不快な表情を浮かべてしまったら、席を譲った若者は委縮してしまい、前者のように本当に席を必要としている方への配慮を怠ってしまう結果となるかもしれませんね。
人に対する親切や気遣いは、それを行う側だけではなく、受け止める側の感じ方によって効果がまるで変わることがわかります。
今回の人に席を譲るという小さな行為で本当に嬉しかったのは、譲った側と譲られた側のどちらでしょうか?
小さな気遣いが及ぼす効果について学んだのはどちらでしょうか?
それは双方ともによかったのではないかと思っています。