少し前に、私が自分で言ったことをすっかり忘れてしまったために、友人から指摘を受けました。

 

「あの時、こういったじゃないか。」

 

それが2~3年前のことだったためか、跡形もなく忘れ切っている自分には驚くばかりです。

 

世の中には忘れてもよいことと、それなりに注意していなければならないことがありますが、その出来事がきっかけで自分自身が成長できたにもかかわらず、その時の肝心な記憶が抜けてしまう経験をされた方もいるかと思います。

 

この世に生を受けてから、日々、様々な日常を経験し、覚えているわけで、つまりは人生における回想をすべて自分が所有しているのです。

 

しかしながら、そのほとんどの記憶を思い出す能力を人間は持っていません。

 

我々は、日々の体験や教訓からその人の人格が形成され、成長をしていくものですが、残念ながらそのほとんどを忘れてしまうのですが、その忘れてしまう回想とはいったいどのようなものなのでしょうね?

 

そもそも、それらの回想は自分が生まれて以来に限定する必要があるかどうかも定かではなく、生前にも延長をさせて考えてもよいのかもしれません。

 

生きている間のことも思うように思い出せないのですから、生前の失われた記憶は存在し、ただしそれを回想できる能力がないだけであるといえるかもしれません。

 

私が死んでしまえば、これまでの記憶は忘却という形で抹消されますが、その記憶自体は不滅なのでしょう。

 

今、自分が生きて学んでいることは、生前に達成できなかったことなのかもしれませんよ。

 

物には恵まれていたかもしれませんが、人を思いやる気持ちがなかったからこそ、今、学ぶべきために人生をやりなおしているのかもしれません。

 

話は存在するのかも分からない前世にまでいきましたが、失われた記憶を取り戻すことはできないものの、それがあるからこそ今の自分がいるということには変わりはありません。