人は多様な感情を持つ生き物であり、そして悲しみや苦しみなどの

負の感情をコントロールしながら自らの平衡を保っています。

 

日々、自分としっかりと向き合い、「一体何が苦しいのか、何が辛いのか」と自らに問いかけて、その原因を追究し、改善へと導きます。

 

その原因を突き止め、いくらかの苦痛を和らげることができれば

それは自らの気持ちをコントロールできたことになるとばかりに、

自分という人格を理解し、自分の心の底まで良く知っている気持ちになります。

 

人間は知性でもって心をコントロールする能力には長けていますが、

しかしながら、心を自由自在に形作ることはできません。

 

私の知人女性は、夫を比較的若くして失ってしまいまいましたが、

その現実に周囲はもちろん、本人さえも大変驚くべきものでした。

 

その方は、ご主人が生前の時は、夫婦仲が大変悪く、

「離婚を考えている」「いなくなってほしい」と本気で考えていたのです。

 

夫の良い面など語った試しもなく、常に不満を抱いており、

それならば、早くに縁を切った方がよいのはないかと周囲も周りも思いつつも、そのままになっていた矢先でした。

 

しかしながら、いざ夫が急死したと分かった瞬間に、ご本人は大変なショックを受け、解放されたと思うどころか、深い悲しみに襲われたのです。

 

女性は一定期間を過ぎると、一人になったことに解放感を感じ、

元気になる方も多いのですが、その方は全くの真逆で周囲も驚いたのです。

 

以前は、自分の気持ちなど嫌というほど理解をしていたつもりだったのですが、環境の変化と同時に想定外の苦痛という感情に飲み込まれてしまったのです。

 

「失って初めてそのことの大切さに気が付く」とはよく言われていますが、人は日常に埋もれている、当たり前と思っている感覚には気が付かないものです。

 

その日常の中で日ごろ知性でもって感情のコントロールに成功しているつもりになるのです。

 

しかしながら、この苦しみや悲しみの苦痛の感覚が、知性に勝るときに、その事実に気が付きます。

 

どんなに日常の感覚が嫌な面があったとしても、日常の中で生活している我々はそれが当たり前です。

 

知人女性は、大嫌いな夫と時間をともに過ごすことが日常であり、

その憎むべき日常そのものが、実はその人にとって心の平衡を保つ

要素の重大な一つであったのでしょう。

 

失って思い出されるものは、良い思い出ばかりでなく、あの頃は見向きもしなかった些細なつまらない日常であったりします。

 

面白くないと思いつつ、背を向けていた日常は、それを失った途端に、

牙を向け、知性による感情コントロールなど無効なものとなり、

我々に苦痛をなめさせることになるのです。