「人は若さに価値を見出しがちだけど、
年をとるということは逆に良いことだよ。」

最近、体が劣化したのではないかと嘆いていた私に対して
そのように友人は言ってくれました。

年を重ねることで知識や経験も増えますが、
何事もなくこの世で生きていられることは有り難いことですね。

日々、思い出が更新されていく過程で、
来月私は誕生日を迎えることになります。


そんな中、ある男性の死をふと思い出しました。

彼は私とは比較的近い関係にある方で、
今の私と同じ年齢で亡くなってしまったのです。

死因は自殺と推測されていましたが、
ご家族の言葉も忘れられません。

「部屋で亡くなっているのを発見した時、
まだぬくもりがあった。」

生きている人間と亡くなっている人間には
はかり知れぬ距離があると思っています。

ほんの数時間前まで、話したり、笑ったり、泣いたりしていた
人物とは到底思えないのです。


その男性とお付き合いをされていた女性がいましたが、
ほんの数か月、数日前の彼との思い出を語られていました。

彼が思い悩んだことで音信普通の時期もあったこと。

それにもかかわらず、その彼女の誕生日は覚えててくれ、
ディズニーランドに連れて行ってくれたこと。

その時に買ってもらったものが、まさか最後のプレゼントになるとは
思わなかったこと。

まだまだ若く、人生はこれからだというときに、
自らの人生を断ち切ってしまったことは、本人にとっても
その周囲の人々にとっても残酷なことに他なりません。

深い悲しみや憐れみは当然ともないますが、
ただ、本人も残された人もその運命を甘受するしかないのでしょうか。


愛する人を失うこと、自分の所有している財産を失うこと、
自分の人生を不幸と考えること。

そこには幸福という幻想があるからこそ、
不幸という考えが先立ってしまうのかもしれません。

自らの幸福の尺度を投げ捨てたとき、
また、別の尺度で図ることができれば、力がより湧いてくるでしょう。


来月、私は誕生日を迎えることで、また一つ年を重ねることになります。

いつ終わるかもしれないこの人生ですが、
限りある中で最後までしっかりと生きたいです。