わんぱく紳士のブログ

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高校生とか、一般的に「子ども」って言われてた様な頃に想像してた
「大人」ってジャンルに何時の間にかきてしまった

あの頃は
もっとここまでくるには色んなことがあってもっとおっきな変化があって
まるで別人みたいになってるんだって思ってた
もちろん色んなことはあったけど
結論として、中身は全く変わってないんだなってのが率直な感想なわけで

でもよくさがしてみると色んなところにあの頃の自分と確かに変わってる部分があって
最近はそれをちょっとずつ実感させられる毎日です

そしてそんな実感を抱くと共に、大人になるってのが「限界」を知ってその中で行動しようとすることなのかなってことにも気づいてきた

飽くまで主観的な意見であって
他の人はどうだかわからないけど

ちっちゃいころにみた夢は
その後の自分がどういう生き方をするかなんて全くの未知で
確かに無限の可能性を持ってたとおもう
無限ってのは言いすぎかもわからんけど
でも、そのくらい限界なんて見えない様な数の可能性から
あぁなりたいとか
こうなりたいとか
なんでも想像できた

でも学校とか年齢とかの影響で
それらはどんどん変化した

高校生にもなって全く音楽経験の無い人が楽器を触ろうとか
偏差値が微妙な学校にいって東大にいこうとか

一般論で
「さすがにそれは無理でしょ」っていわれちゃいそうなことがどんどん増える

自分がここにいるから
あんな高いところにいくのは無理だっていう判断
それはそこまで歩いてきた経験がその判断をくだす最大の要因なわけで
そういう限界を感じて
想像する夢はどんどん現実味を帯びて
自由度を失って
そしてちっちゃいころに想像してた夢が何時の間にか死んじゃってることを思い出して

自分は本当は一体何がしたいのか
そうやってどんどん消えてく道を前に迷っちゃう

もちろん同年代の中には
ずっと同じ夢をもって頑張ってて
そして成功してる人もいる

でもそれはすっごく運のいいことで
周りの環境がそれをすることになんの疑問も抱かせずに
本当に好きなことを精一杯がんばれて、上をみたら進める場所にいる
勿論個人の頑張りが主だけど
そういう環境に恵まれずに閉ざされる道も確率的には少なくないと思う

例えば
どんなに音楽の感性をもってたって
お金のない家だったらバイオリニストの道には極力いかないように育てるとおもう
ちっちゃい頃からバイオリンを練習するには身体のサイズにあったバイオリンを数年おきに買い換えなくちゃならないし

極端だけどあり得なくはないと思う

でもそんな自由度を欠いた中でも
ちっちゃい頃にみた夢を
違う形でもそれを実現することはできると思います

僕のおもちゃ屋さんになる夢は
今飛行機にカメラを乗せて人を楽しませるロボットを作ることに変換されて
明日もやるべきことがちゃんとある

大学にもそれをやらせてもらえる環境につけたし
やれることやるべき事がいっぱいで

正直勉強してて何に役立つのかもわからずに
ただのその場しのぎだったけど

今頑張ってることが
はっきりとどうなるのか見えてます

すんごい清々しいです

今は彼女もいなくてたまに寂しくはなりますが、いっぱいじゃないけど気の許せる友達と
尊敬できる先輩がいて
それなりに充実した毎日なんじゃないかと思うわけです

でもね
彼女ほすぃいいいいいいいい!


iPhoneからの投稿
今日のコンディションを一言で言うならば"Clear"
小説の文字も
音楽の歌詞、メロディも
なんの抵抗感もなく
そのままクリアに入ってくる
まるでいつもは何かフィルターをかけていたかのようにぼやけたものに感じるくらい

いきなりブログを更新して
いきなりこんな発言をしたら間違いなく「なんだこいつww」
だと思うけど

やっぱり程よい恋愛は精神状態を安定化させると思う
人間だれしも不変の安心感が欲しくて
いつだって不安
それゆえに人を知りたいとか求める心は
人間が「孤」であるがゆえの大いなる欺瞞であり、悲しみだと思う。

物理的な例でいえば
触れなければ人は他の温度、感触をうかがい知る術がないという事
身体が発生させる微弱な振動を温度として理解することで、人は安心感を得るのだと思う。
離れてしまえばすぐに曖昧なものになってしまうから

理論としてはこんなところか
だから心とか非物理的な部分も同様だとおもう。
コミュニケーションを通して心の状態を知り、相手の温度を知ることで安心感を得る
そして安心感こそがその人の行動をより効率化させる

まぁ難しいことはさておき
恋愛はいいですねってこと

iPhoneからの投稿
最近のアニメやらドラマやらマンガやらゲームやらで
タイムトラベルものの物語を見聞きしすぎたせいで過去への重要性の欠落というか、過去になる今の時間を軽んじて考えてしまっているような気がする
無意識にではあるけど

なんでこんなこと思ったのかというと高校の頃の後輩が来年成人式だからと、着物の試着しているのを見て何故か虚無感をおぼえてしまったからだ。

虚無感というかさみしさ
もうあの頃にはもどれないんだなぁと実感できた
そんな感情だった

多分
その子とは高校に入ってから知り合ったのでその子に対する僕の中にあるイメージは高校生の彼女のままで
制服をきてあどけない表情をしているものだからだとおもう

頭ではいくら絶対不可能だとはおもってても
いつかタイムトラベルしてあの頃の自分に戻れるとどこか期待しているのかもしれない
個人的にはタイムリープの方がしたいけど

自分でいっといてあれなんですけど、正直タイムスリップを期待しているというのはあったとしてもすごく小さい影響だとおもいます。

余り会わなくなった人
つまり過去にある程度の頻度で接触していたがそれがめっきりなくなった人とかに久しぶりにあったりすると

その人の一番強いイメージは頻度が多いときのものとなり
自分の生活において大きく関わった人となるとそれはひとしお

そんな自分のなかで生きてた人の死への悲しみなのかもしれない

過去が消えちゃったみたいで
すこし寂しくなる
これ僕だけなのだろうか

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