こんにちはブーケ2

有馬温泉から帰ってきても川瀬敏郎さんのお花のことが、気になってました。


川瀬敏郎さんとは??


いったい誰なんでしょうかブーケ2


本もたくさん出されてます[?]





(画像アマゾンより)


この本をじっくり見てみたいですブーケ2



人物についてもネットで調べてみました。

(ウィキペディアより)

川瀬 敏郎(かわせ としろう)・・・・京都府出身。


幼少のころから、池坊に学び、日本大学芸術学部を卒業後、フランスのパリ大学に留学。


1974年に帰国後は、流派に属さず、生け花の原型である「たてはな」と、


千利休が大成した自由な花「なげいれ」をもとに創作活動を続けている。



流派に沿った生け方も熟知されているのに、あえて流派に こだわらず、花をいけられてるってスゴいですね[?]

川瀬 敏郎氏のHPに 花に対する姿勢が書かれてたので なるほど!と思ったので 載せておきます[?]

(HPより抜粋。)
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利休にはなれないけれども、心の扉を開く一輪の花をいけたいと思うなら、


「花をならう」のではなく、「花にならう」こと。

花をならうことは単にスタイルをならうだけで、それではその人の人生や品性を表わす花にはなりません。

本来の「花をいける」ことが、江戸時代中期以降に生まれた流派いけばなと結びつき、


「いける」が「いけばな」と同義語と化したことは、日本の花の不幸かもしれません。


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人間が花を見てるのと同じように、花も人間を見ています。


春風にそよぐ芽吹きの柳を見ていると、


ふと「この枝を切ってほしい」と柳のほうから呼びとめられたような気がして、心が柳に向かいます。



しかし、実際に切るのかというと、それが生かされることのないものなら、私は切りません。



花を切るという作業は本来、とても覚悟のいることです。


そこに真実がなければ一本たりとも切ることは許されません。



切ったものが新たな心を宿して、人を浄めたり喜ばせることがないのならば、文字どおり花を殺すことになります。


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川瀬さんのHPの文を読んで目からウロコです。

お花を習わないといけられないと思ってました叫び


習ってない私でも お花をいけていいんですね~[?]

どうやっていけるか?


それは、「花にならう」。[?]



どういけたらいいかは、


花が、教えてくれるんですね[?]

素敵ですねブーケ2

そして、無意味に、花を切ってはいけないということ。


花のいのちに対する謙虚な姿勢が大切なんですね[?]

忘れないようにしなくっちゃ[?]



そして習ってなくてもお花をいけていいって


なんだかワクワクします[?][?]

いけるお花は、何にしょうかな~[?]



川瀬 敏郎さんHP(メッセージ)のサイトも載せておきますあじさい

http://kawase-toshiro.net/note_02.html