こんにちはブーケ2


先日、大山崎山荘美術館に行きました。


『志村ふくみ ~源泉をたどる~』 を見に行きたかったからです[?]





志村ふくみさんの事は、また、書くとして[?] (志村ふくみ展は、3/15日までやっています!)




大山崎山荘美術館を書いてみたいと思います[?]



今回、初めて行きました[?]




JR山崎駅を降りるとひっそりと静かです。






駅を出て左手には、以前に行った妙喜庵(みょうきあん)があり、


ここには、秀吉が、利休につくらせた国宝の茶室 『待庵(たいあん)』
が、あります
(予約が必要)



大山崎山荘美術館へは、JR山崎駅から送迎バスが出ていますバス





バスをおりると、山荘へつづくトンネルが・・・・・


「大山崎山荘」って書いてあります。


個人の別荘に行くトンネルをつくるなんて!叫び 






大山崎山荘は、大正から昭和初期に、実業家 加賀正太郎が、別荘として自ら設計した山荘です。


設計を自分でされたのは、スゴいですねニコニコ




山荘の入り口ですニコニコ


大山崎山荘に入ると加賀正太郎氏のこだわりをいたる所に感じます[?]



加賀氏は、朝ドラ『マッサン』でおなじみの竹鶴政孝夫妻とも親交があったそうです。


ニッカウィスキーの製造にの創業にも参画していました。


説明が、書いてあったので載せておきます[?]



~goo ウィキペディアより~


☆大山崎山荘

大山崎山荘は実業家 加賀 正太郎によって建てられた。


1888年大阪高麗橋の株相場師の息子として生まれた彼は、現在の一橋大学を卒業するとイギリスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけとなった。


日本帰国後は証券会社(加賀証券)を設立したほか、1934年には壽屋山崎蒸溜所を立ち上げ、


契約期間満了後に自らの理想とする独自でウイスキー製造に乗り出した竹鶴政孝を支援して


大日本果汁(後のニッカウヰスキー)創立に参加するなど、イギリスから持ち帰ったモダンな生活様式を日本に定着させようとした。・・・・・・・・



☆保存運動


バブル経済末期には建設業者が買収し、一帯を更地としマンションを建てる開発計画を立てた。


天王山の横腹に大きなマンション群が林立し景観が一変することに反対する地元住民は山荘の価値を見直し、山荘と周囲の森林の保全を訴えた。


これが大山崎町や京都府を動かし、さらに当時の知事荒巻禎一の友人だったアサヒビールの社長樋口廣太郎が知事の申し出に応じて企業メセナ活動として保存に協力することになった。・・・・・・・




地元住民が大山崎山荘や周りの自然を残そうと反対してくれたおかげで 私もこんなにステキな山荘を見る事ができたんですねニコニコ