共同通信社  4月16日(火) 配信


 2012年10月19日夜、自宅にいた井上誠(いのうえ・まこと)(43)=仮名=の携帯電話が鳴った。妊娠30週に入った妻陽子(ようこ)(41)=同=が通う病院の医師が、言いづらそうに検査結果を告げる。「21トリソミーでした」。その言葉は、わが子がダウン症と確定したことを意味していた。

 最初の病院で受けた妊婦健診時の超音波検査で「足が短い」と指摘されたが、忙しそうな医師に気兼ねして詳しくは聞けなかった。インターネットでダウン症に多い特徴の一つと知り、夫婦は「はっきりさせたい」と希望。紹介された次の病院で受けたのが羊水検査だった。羊水を採取して胎児の細胞を調べる、確定診断のための検査だ。

 その夜、井上は別の部屋にいた陽子に一言、伝えるだけで精いっぱいだった。「ダウン症やった」。それから3日間、2人は泣き続け、食事も喉を通らなかった。

 ダウン症は発達の遅れを伴うことが多いが、重い合併症がなければ学校に通ったり働いたりして、社会の中で生きていくことができる。

 だが夫婦のショックは大きかった。「差別される」「子どもがいることを誰にも言えない」。不安にさいなまれ「死にたい」と追い詰められた。

 ▽結婚6年

 技術の進歩でダウン症を含む染色体異常が分かる機会が増え、人工妊娠中絶に結びつくケースもある。井上自身、自分たち夫婦について、こう述懐する。「もしダウン症と判明した時期が早かったら、おろしていたと思う」

 母体保護法で中絶が許されるのは妊娠22週未満に限られ、井上夫婦にその選択肢はなかった。これまで「努力すれば何とかなると思って生きてきた」という井上だが、今回ばかりは「何ともならない」と現実を受け止めるしかなかった。

 12月6日、3200グラムを超える娘が生まれた。生まれてみればかわいかった。

 「僕にそっくり(笑)」「その顔をみたら、ダウン症のことなどどうでもよくなりました。あんなに苦しんだのに...」。誕生の8日後、井上はブログに書き込んだ。

 好きなリンゴの名前と同じ音で「小美津(こみつ)」と名付けた。毎朝目を覚ますたび、小美津は生まれてきて幸せなのかと考えた。結婚して6年、やっと授かった待望の子だ。一生懸命生きる姿を見ると、できるだけ長く一緒にいたいと思う。

 ▽ある疑問

 以前なら「ダウン症と分かったらおろしていた」という井上。今、あらためて考えをめぐらすと分からなくなる。「小美津はすごくかわいい。この子の存在を否定したくない」という気持ちは強い。

 出生前診断を受けるなら、障害があると分かった時にどういう選択をするのか最初から考えておくべきだと言う井上。妊娠22週未満とされる中絶のタイムリミット。そのころ、胎児はどんな状態なのか。

 「『自分は生きている』と分かっているのかどうか、医者に聞いてみたい」。井上が口にした疑問への答えを求め、取材班は関東地方の大学病院を訪れた。(敬称略)

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 新たな出生前診断が今春、医療現場に導入された。妊婦の血液を検査し、ダウン症を含む3種類の染色体異常の有無を高精度に判別できる。羊水検査などによる確定診断の先にあるのは、中絶するか否かという重い決断だ。

 これまでも、おなかの子の障害や病気を告げられた夫婦は葛藤に直面し、苦悩しながらそれぞれの道を選択してきた。新検査の登場で「命の選別」への懸念が強まる今、子どもを産み育てようとする夫婦に何が起きているのかを探った。

※出生前診断

 染色体異常などの胎児の病気や障害の有無を妊娠中に診断すること。検査にはさまざまなものがあり、妊婦健診で受ける超音波検査もその一つ。羊水に含まれる胎児の細胞を調べる羊水検査や、胎盤の組織を採取する絨毛(じゅうもう)検査は確定診断に用いられる。妊婦から採血するだけで済むものとして染色体異常の有無を確率的に算出する母体血清マーカー検査や、一部の大学病院などで今春導入され、精度が高い「新出生前診断」として注目される母体血胎児染色体検査があるが、確定診断には羊水検査などが必要となる。

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