遺族・家族への説明会開催、福島県の「お詫び」も公表
2012年10月1日
福島第一原発事故に伴い、患者と入所者、計400人超の緊急避難を余儀なくされた双葉病院と介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」を経営する医療法人博文会は9月30日、患者家族と遺族向けの説明会を開催、独自調査の結果を基に、「原発事故と個々の患者の死亡の間には因果関係があるものと考えている。一般論として原発事故の損害賠償の要件を満たすものと考えている」との見解を明らかにした。説明会に出席したのは、病院と老健施設を合わせて、67家族、124人。
2011年3月11日の東日本大震災当時、双葉病院には338人の患者、ドーヴィル双葉には98人の入所者がいた(『“双葉病院事件”の真相、当事者医師、語る』を参照)。3月12日の早朝、第一原発から半径10km圏内に避難指示が出て、患者と入所者、職員の全員が緊急避難を迫られたが、自衛隊などによる救出が遅れた。院内、搬送中および搬送後に死亡した患者と入所者は、2011年3月末までに計50人に上り、その後、死亡した患者もいる。
原疾患による死亡も想定し得る患者もいるため、最終的には原子力損害賠償制度の対象になるか否かは、個別の事例で判断されるが、今後、博文会では引き続き調査を続けるとともに、遺族が損害賠償請求を行う場合や、原子力損害賠償紛争解決センターに仲介を申し立てる場合には、関係資料を用意したり、福島県弁護士会への取り次ぎなどを行うという。
さらに、説明会では、今回の緊急避難に伴い、福島県が事実とは異なる記者発表を行ったことについて、「配慮を欠き、適切ではなかった」とお詫びしたことも明らかにされた。双葉病院からの避難については当初、一般紙で「患者置き去り」などと報道され、病院がバッシングを受けた。これは福島県が、「自衛隊が患者救出に向かった際、病院関係者は一人も残っていなかったため、患者の状態等は一切分からないままの救出となった」と記者発表したことに基づく報道だった。福島県は、経緯の説明を求めていた福島県医師会に対し、今年7月20日付けで、双葉病院院長の鈴木市郎氏は、患者救出に向かった自衛隊との行き違いなどから、救出に合流できなかったという事実を認め、「関係者の方々に多大なご迷惑をおかけしたことをお詫びする」と回答している。7月の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(いわゆる政府事故調)の最終報告でも、6ページ強を双葉病院の経緯分析に割き、「県の広報内容は、事実に反する」と結論づけている(資料は、同委員会のホームページに掲載)。
30日の説明会は午後1時30分から開始、約2時間に及んだ。代理人弁護士の井上清成氏らが、独自に調査した結果を基に避難の経緯を約1時間30分説明、その後、質疑応答が約30分行われた。鈴木院長は、説明会の冒頭、双葉病院等に入院していたために、患者や入所者が大惨事に遭遇する結果となったこと、また家族と遺族への説明が原発事故から約1年半後と遅れたことについて、お詫びの言葉を述べた。
しかし、質疑応答の際に、遺族からは、「悪くないのは分かっている。しかし、院長に謝ってほしい。それだけを聞きに来た」「誤るだけでも、謝らないとおかしいのではないか」「土下座しろ」などの発言があったという。説明会後の記者会見で、鈴木院長は、「亡くなられたのは断腸の思い」と述べた上で、遺族の発言については「かなりショックだった」とコメント。ただ、鈴木院長自身は、患者の救出に尽力しており、患者の死亡に対する法的な責任はないとの判断から、その意味での謝罪は毅然と断ったという。説明会から帰る遺族からは、「あれだけパニックの状態だったのだから、救出に問題があったことを責めても仕方がない。ただ、院長から『申し訳ない』との一言を聞きたかった」と感想も聞かれた。
もっとも、遺族の発言を参加者の多くが拍手などして支持したわけではなく、避難の経緯についての質問もなく、参加者の多くは博文会の説明に納得したものと見られる。鈴木院長は避難直後から、死亡した患者に対して何らかの補償ができないかという思いとともに、マスコミ報道で毀損された自身の名誉回復を求めていた。7月の県の回答や“政府事故調”の報告書、30日の説明会でこれらの道筋が付いたと言える。
なお、この10月にプラハで開催される世界精神医学会(WPA;World Psychiatric Association)で、東日本大震災関連の特別企画があり、双葉病院も今回の避難の経緯も含め、大震災が精神医療に及ぼした影響などを講演する予定になっている。「精神病院の患者は社会的弱者。二度と今回のような問題が起きないように、また一病院だけで対応できる問題ではないため、社会のシステムとして対応していく必要性を訴えたい」(前双葉病院医師で、博文会ラ ルース クリニック院長の石井秀典氏。『双葉病院、復興への一歩踏み出す』を参照)。
鈴木院長、「補償と名誉回復が目的」
説明会は、報道関係者には非公開で行われたため、説明会の後、1時間強、記者会見が開催された。
会見の冒頭、井上弁護士は、この時期に説明会を開催した理由について、7月に“政府事故調”の報告書と県の県医師会への回答が出たことに加え、独自調査で避難の経緯がかなり判明したことや、鈴木院長の名誉回復が進んで来たことを挙げた。
鈴木院長が井上弁護士に、今回の件で相談したのは、2011年のゴールデンウイーク後だという。「補償をするのは、県、警察、自衛隊、町、東電などが考えられるが、相談を受けた最初の段階で、何らかの過失を認定するのは難しく、このままでは補償が得られないだろうという懸念があった。過失を認定するのは、患者の死亡を回避するために、どのようなことができたかという結果回避可能性、およびその予見可能性と結果回避義務を立証しなければならないからだ。このため、原発事故損害賠償を使うのが一番だろうと考えた。これは無過失賠償であり、患者の死亡との因果関係を立証することができれば、過失が認められなくても、補償の対象になるからだ」(井上弁護士)。
しかし、当時はまだ双葉病院と鈴木院長へのバッシングの風潮があり、何かを説明しても、「双葉病院の自己弁解にすぎないと取られる」と考えたという。そこで井上弁護士らは、大熊町、福島県、福島県警、自衛隊など、関係者への調査を続けた。「事実調査を行うとともに、原発事故と死亡との因果関係を立証し、それを信用してもらえる状況を作らなければいけないと考えた。十分な回答をもらったところもあれば、不十分な回答しか得られないところ、調査続行中のものもあるが、事実が明らかになり、名誉回復も進み、現時点で見解を公表すれば、信頼してもらえると思い、今日説明会を開催した」(井上弁護士)。
“政府事故調”と独自調査、基本は一致
博文会が作成した避難経緯の報告書は、A4判20ページ。震災直後の双葉病院とドーヴィル双葉の状況、3月12日の政府の避難指示以降の状況、避難後の対応、死亡した患者・入所者の想定し得る死亡原因などが記載されている。避難は、数回に分けて実施されたが、最後の患者が病院から救出されたのは、12日の1号機、14日の3号機の水素爆発を経た後の3月16日の未明。鈴木院長が、大熊町、自衛隊、警察などに何度もバスの手配を要望してもなかなか応えてもらず、2回目に救出された患者の搬送は、約230kmにも及ぶなど、避難に相当の苦労が伴い、第一原発から半径5km圏内にある他の病院と比べて避難が遅れたことを記載。その上で、最終的に「原発事故のために、20km以上の避難を余儀なくされ、また避難指示のために、インフラの補給や修理、救助が困難な状況に置かれた。一般論として、これらのダメージがなければ、患者・入所者は亡くならずに済んだということができる」と結論づけている。
7月の“政府事故調”と基本的な食い違いはなく、井上弁護士によると、「“政府事故調”の方が、自衛隊に対し、より厳しい指摘をしており、過失に近いミスを言っている部分がある」と言う。
説明会では、これらの経過説明に対する質問はなく、「一言で言えば、事故後の対応について、なぜいつまで経っても謝罪に来ないのか、という点に質問が集中した。これについては、法的な意味での責任はないと説明した」(井上弁護士)。
遺族からは、「なぜ院長が説明に来なかったのか」との質問も出た。実際には、まず鈴木院長自身が、約10軒の遺族宅を訪問したが、ほとんど門前払いされたという。それ以降は、事務職員に任せて対応した。それでも電話連絡がつながらなかったり、弔問の予定が合わないなどの行き違いで、不満が募った遺族もいたようだ。
また、この約1年半の間、病院側からオフィシャルには情報を出さなかったことに対し、不満を抱く遺族も見られた。この点について、井上弁護士は、「強制力や公権力がない我々が事実関係を調査するのは大変なこと。(東電に補償を求めるという)我々の考えが相手に分かった場合に、十分な調査ができるかどうか、懐疑的だった。鈴木院長の名誉回復という理由で進めたところ、一定の調査が可能だった」と説明する。
記者会見では、「避難訓練をしていれば、もう少し(被害を)軽減できたのではないか」との質問も出された。井上弁護士は、「これは正直、大きなシステムの問題だろう。東京電力、国、県、町などのシステムと大きく関係する問題。全体のシステムが最低限動かないと、個別の病院で対応するのは無理なのではないか。また、結果から見て、『これはできるだろう』ということと、当時できたことは別のこと」と回答した。