2011.7.11 20:58

衆院東日本大震災復興特別委で答弁する浜田和幸総務政務官=11日午後
 復興担当の総務政務官に就任し、自民党を除名された浜田和幸参院議員が、11日の衆院東日本大震災復興特別委員会で、就任前の被災地訪問は「一度もありません」と答弁した。

 その上で「東北地方には数多くの友人、知人がいるし、さまざまな情報を得ていた」と釈明、「国際社会から寄せられているがれき処理の支援などと現地のニーズをマッチングさせるのが私の使命だ」と述べた。

 質問したみんなの党の柿沢未途氏は、浜田氏が論文などで、人工的に地震や津波など自然災害を引き起こす環境・気象兵器を米国が敵対国に使用した可能性があるとしている点を取り上げ、復興に関する国際協力を得る政府の担当者に不適格だと指摘した。

 これに対し浜田氏は「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事上で常識化されている」と持論を改めて展開。同時に「だからといって米政府などが日本のために援助をしないことはない」とも述べた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110711/plc11071121050010-n1.htm

※いわゆる【一本釣り】された、浜田氏はどこまで復興を建て直せるのだろうか、多くの疑問が残ると思われる。
ご意見メッセなどでお待ちしております。

(参考)
1)浜田和幸公式ホームページ
http://www.hamadakazuyuki.com/profile/index.html

2)浜田 和幸(はまだ かずゆき、1953年3月17日 - )は、日本の政治家、国際政治学者。菅内閣 (第2次改造)総務大臣政務官。参議院議員(1期)、国際未来科学研究所主宰。かつては自由民主党に所属していたが、2011年7月5日に同党から除名され、無所属となった。

記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。このタグは2011年6月に貼付されました。

鳥取県米子市生まれ。父は国鉄職員、母は農家の出身[1]。高校時代に父を亡くし、県の奨学金と母の内職に支えられた[1]。米国人の神父と知り合い、彼の自宅で英語のニュース雑誌を読みふけった[1]。深夜、ラジオから聞こえる中国語の放送に耳を澄まし、世界への興味が深まった[1]。鳥取県立米子東高等学校を経て、1975年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業、新日本製鐵に入社。その後、ジョージ・ワシントン大学大学院で政治学博士号を取得し、1987年から戦略国際問題研究所主任研究員、1995年からアメリカ連邦議会調査局経済部コンサルタントを務めた。1997年、国際未来科学研究所を設立した。

国政入り [編集]2010年、「鳥取がなければ今の私はない。お世話になった鳥取に恩返しをしたい。培った自分の考えを国政の場で政策として実行したい」として[1]、第22回参議院議員通常選挙に鳥取県選挙区から自由民主党公認で出馬[2]し、初当選[3]。

国会議員として質問主意書の仕組みを生かし、TPP、中国大使館都内一等地買収問題、エネルギー問題について早期から問題提起してきた。

民主党政権入り [編集]2011年6月26日、枝野幸男内閣官房長官からの東日本大震災の復興担当政務官への就任要請を受け[4][5][6]、翌27日に自由民主党に離党届を提出し[7]、菅直人首相からの総務政務官就任要請を受諾した[8]。

これに自由民主党は反発し、2011年7月5日に離党届を受理せず除名処分とした[9]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%B9%B8

3)浜田和幸後援会事務所の基本情報 名称 浜田和幸後援会事務所
よみがな はまだかずゆきこうえんかいじむしょ
住所 鳥取県米子市加茂町2丁目113
この場所へのルートを調べる
電話番号 0859-37-2822
最寄駅
(直線距離) 米子駅
駅からの直線距離 672m
米子駅からのルートを調べる

http://www.mapion.co.jp/phonebook/M10019/31202/23130122403/