スペシャル企画
- 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏に聞く

水素爆発直後でも個人線量は1週間で約20μSv

2011年6月29日 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして、福島第一原発事故直後から、放射線による健康被害の影響に関する啓発、相談活動に取り組んできたのが、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏。
 様々なエビデンスや福島の放射線量などを踏まえ、「安心」を説く山下氏の言動に対しては批判もあるが、「誰も動かなかった。だから、火中の栗を拾う覚悟で福島に行った」と山下氏は言う。放射線の被曝リスクの考え方やこの3カ月間の活動のほか、今後の福島県民の健康管理のあり方などについてお聞きした(2011年6月14日にインタビュー。計5回の連載)。


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山下俊一氏は、「今の放射線防御の基準は、広島、長崎のデータが基準になっている」とし、疫学調査の重要性を説く。
 ――まず低線量の放射線被曝による健康への影響について、現在分かっていること、科学的なエビデンスをお教えください。

 人類が放射線の存在を知ったのは、わずか100年くらい前のことです。1895年にレントゲンがX線を発見、翌年にベクレルが放射線を見つけた。放射線が発見されてからは、「これは便利なものだ」と、様々な場面で使われるようになった。例えば、いぼ、たこなどの治療にも使われた。

 その結果、すぐには症状が出なかったのですが、放射線を当てた場所に後からがんが生じてきた。キューリー夫人も白血病で亡くなっています。しかし、最初は皆、放射線の危険性が分からなかった。

 戦後、広島、長崎における約12万人の健康影響調査(編集部注:放射線影響研究所が1950年以降、実施している疫学調査)の結果、1回に外から浴びた放射線量が100mSvを超えると、発がんのリスクが高まることが明らかになってきた。まず白血病が被爆の5~7年後をピークに増えたのですが、その後は減少した。放射線の怖さが減ると思った頃、10年後から少しずつ他のがんが増えてきたわけです。

 広島、長崎以外にも、データが結構あります。例えば、イスラエルでは建国時、様々な国から戻ってきた人に、ダニや白癬菌などを殺すために放射線を使った。その時に被曝した子供たちをフォローアップしています。そのほか、医療被曝、つまり放射線で治療をした子供たちなどに関するデータもあります。これらを全部集めてでき上がったのが、今の放射線の安全防御の基準です。

 ICRP(国際放射線防御委員会)の勧告で示されているのが、「いかなる場合も100mSvを超さない」という基準。UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)が、毎年会議を開き、様々なデータを検討している。それを基に、IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健機関)などが放射線に関する健康管理のリスクの基準として使っているわけです。

 このように放射線の安全防御については100年近く議論されており、特に戦後、データが蓄積されてきた。ただし、これらは基本的には1回の外部被曝の影響です。それに対し、チェルノブイリは内部被曝。環境汚染の中で放射線被曝をした結果、どんな健康影響が出るかがこの25年間議論されてきたわけです。

 明らかになった一つが、放射性ヨウ素による内部被曝で、子供の甲状腺がんが増えること。その被曝レベルが議論になったわけですが、線量は実測ではなく、後から計算で出すことになる。しかし、100mSvなのか、50mSvか、あるいは1000mSvなのかが分からない。誤差がものすごく大きい。それでも、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、米国、ヨーロッパ、日本が協力して、いろいろな計算式で国際基準を作り、「100mSvを超すと明らかにリスクが高まる」ことが分かってきたのです。

 ――内部被曝も100mSvが基準になる。

 たまたま外部被曝も内部被曝も、基準が一緒だった。どちらも100mSvを超えると発がんリスクが高まる。ただ、子供については、やはりそれよりも厳しい基準にする、50mSvを超さないようにすることが現在議論されています。ただ今は、100mSvで線引きされています。

 つまり、100mSvの根拠は、非常に明確なのです。世界中の研究者が何百人も集まって、何千という論文を検証して基準が作成されている。これを上回るデータはなく、その根幹を成すのは、広島、長崎の疫学調査です。

 ――「外部被曝で100mSv」という基準が作られたのはいつ頃でしょうか。

 ICRPでも、UNSCEAR も、1970年代、80年代ごろから出ています。原発で働く人は1970年代、80年代が恐らく一番多かったと思うのですが、ILO(国際労働機関)による、「年間50mSvを超えない、5年間で100mSvを超えない」という基準が世界で遵守された。

 ――広島、長崎は一度の放射線被爆とのことですが、瓦礫などに放射線が蓄積され、それにより、低線量で長期に被爆することは想定されていないのでしょうか。

 ありますが、その量は外部被爆に比べると、微々たるものです。ケタが違う。だから、ほとんど無視できるくらいになる。また世界的に見れば、ハイバックグラウンドのエリアは幾つもあります。飛行機のパイロットやスチュワーデスも、年間数mSvを浴びています。そういう方々の長期の影響を見ても、発がんリスクの上昇は見られません。放射線による影響は、閾値がない直線モデルで考えられていますが、100mSv以下のレベルはあくまでもグレーゾーンなのです。

 ――科学者ではなく、一般の方にこのグレーゾン、つまり「分からない」ことを、先生は健康リスク管理アドバイザーとしてどのように説明されるのでしょうか。分からないことをそのまま「分からない」と表現すると、一般の方は不安に思う懸念もあります。

 私が最初に福島に行った3月18日には、ほとんど何も情報がなかった。だからまず100mSvを超えないという自信がないと、「心配は要らない」とは言えないわけです。そこで計算したら、どんなに多く見積もっても、(年間積算線量は)100mSvにならなかった。3月15日から、うちの若いスタッフが福島で活動を開始しています。水素爆発が起きた直後の一番高い時です。その時にガイガーカウンターで測定した空間線量は20μSv/hくらいだった。

 ――それはどこで測定したのですか。

 福島市です。高いところでは25μSv/hありました。しかし、彼らは個人線量計を約1週間つけていましたが、個人線量計の値と、空間線量による年間積算線量の予測値には10倍以上のギャップがありました。今、小学校でフィルムバッチをつけて測定する動きがありますが、空間線量からは年間数mSVになるかもしれませんが、実際測ってみればすごく低い値になるでしょう。

 ――ずっと戸外にいるわけではないからでしょうか。

 はい。生活パターンから考えると、裸で24時間、戸外にいるわけではありません。文部科学省は、「学校の校庭等の年間放射線量は20mSv、空間線量率3.8μSv/hを超えない」という基準を出しましたが、これは外には8時間いるという前提。実際にはそれほど長くいないでしょうし、今の空間線量はそれほど高くはありません。

 ――1週間福島にいたスタッフの個人線量計の線量はどのくらいだったのでしょうか。

  1日3~4μSv、1週間で20μSvぐらいです。一番高い時で。1960年代、70年代の東西冷戦時代、核実験が行われていた時代は、日本国民はこれよりもケタが違う線量の放射線を浴びていました。

 ――米国や旧ソ連などの核実験により、日本の空間線量は高かった。

 そうです。しかし、その結果、がんが増えたという証拠はありません。米国では、ネバダでの実験の状況をオープンにしているため、どのくらい被曝したかが分かります。その量から考えても、今の福島の被曝量は、騒ぐほどでないことは明確です。

http://www.m3.com/iryoIshin/article/138471/