レポート
最高裁が医師不足や医師の過重労働に警鐘
小児科医の過労自殺裁判、最高裁の異例の勧告で和解成立、和解金700万円
2010年7月9日 橋本佳子(m3.com編集長)
 「最高裁は、本裁判を多くの方々が注目しており、社会的な意義を持っていると受け止めたのだろう。中原利郎氏の死をめぐる労使間の争いではなく、日本の医療制度の改善という大きな視野で捉え、和解条項の前文にあるように、『わが国のより良き医療を実現する』、そのためには双方が和解することが重要だと考えたのだと思う。この最高裁の意向は、和解の準備段階でも、今日の法廷でも強く感じた。最高裁は、和解で解決を図るため、積極的に労を取って、努力していた。それで最終的に今日、和解勧告があり、成立した。最高裁の今回の取り組みは、弁護団としても高く評価している」


7月8日、和解成立後、記者会見する遺族と弁護団。
 7月8日、小児科医だった中原利郎氏(当時44歳)が1999年8月に過労自殺、遺族が病院側に損害賠償を求めた裁判で、最高裁で和解が成立、その後の記者会見で、遺族の代理人である川人博・弁護士は、和解に応じた理由をこう語った。

 和解額は700万円。今回の和解の特徴は、最高裁が「和解条項」の前文を記載している点だ(文末を参照)。「当事者双方は、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して、和解し、本件訴訟を終了させる」という内容。「薬害エイズ訴訟など、国家政策にかかわる集団訴訟などではこうした前文を付けるケースはあるが、最高裁が一個人の訴訟で前文を付け、和解による解決を斡旋するのは異例」(川人氏)。

 故中原氏の妻、中原のり子氏は、「当初は和解の勧めを受けて驚いた。高裁判決の破棄のための上告受理こそが私が求めていたものだったからだ。しかし、夫は最後に書き残した文書で、『わが病院』と表現していた。夫が命がけで訴えたかった日本の小児医療の改善、医療崩壊の阻止につながると信じたこと、また過度な対立は望まないという夫の生き方に沿うという判断から、和解に応じた」と述べた上で、次のようにつけ加えた。「夫が死亡したのは11年前だが、医師の過重労働は今も変わっていない。私たちが救済されただけでは、医療界は変わらない。政治、あるいは行政への働きかけが必要」(中原のり子氏)。

労災の行政訴訟と民事一審で異なる判決

 立正佼成会附属佼成病院(東京都中野区)に勤務していた中原利郎氏が自殺したのは、1999年8月。同院で小児科医の退職が続き、業務が過重になり、うつ病を発症していた(詳細は、『「医師の過重労働の放置につながる判決」、小児科医の過労死裁判』を参照)。

 地元の労働基準監督署では当初、労災認定されなかった。このため遺族は、労災認定を求める行政訴訟と、病院に損害賠償請求を求める民事訴訟の二つの訴訟を起した。

 2007年3月、行政訴訟の東京地裁判決では、中原氏のうつ病が過重労働に起因(業務起因性)するとし、労災であると認めた(国は控訴せず、確定)。しかし、その直後の同年3月の民事訴訟の東京地裁判決では、業務起因性を否定、遺族側は全面敗訴した。

 2008年10月の東京高裁判決では、業務起因性は認められ、「一歩前進した」(川人氏)したものの、うつ病の発症に関する病院の安全配慮義務違反および注意義務違反は否定され、遺族側は敗訴。判決を不服として、遺族側は翌11月、最高裁に上告受理申立をしていた。

 最高裁から今年3月に和解の打診

 上告が受理されるよう、遺族および遺族を支援する会は署名活動を展開、署名は計約3万3000筆に上った。最高裁から、遺族側と病院側の双方に和解に向けた話し合いの打診があったのは、2010年3月。それ以降、話し合いを続けていた。

 「我々は高裁判決に不服を持っていたので、高裁に差し戻され、勝訴になることを求めていた。しかし、医療現場がより良いものにしたいというのが裁判所の和解斡旋の趣旨であり、弁護団もその趣旨に賛同したこと、そして和解の前提として病院側が中原氏の死亡が労災認定された事実を真摯に受け止め、哀悼の意を表したことなどから、和解に至った」(川人氏)。

 弁護団の調べでは、2008年度の司法統計によれば、最高裁に上告申立・上告受理申立が行われた民事・行政事件数は延べ約4500件、うち最高裁で和解になったのは延べ8件、原判決が破棄されたのは56件。同様に、2007年では延べ約4700件中、和解は延べ4件、破棄47件だ。和解・破棄の件数は併せても1%強にすぎず、最高裁が上告受理申立が「不受理」とする可能性があった中、今回の和解は、関係者が納得した形での次善の解決策だったと言えるだろう。


左から、川人博・弁護士、中原のり子氏、長女で小児科医の千葉智子氏。
依然として全国各地で続く過労死裁判

 もっとも、中原氏が言及したように、医師の勤務環境が11年前と比べて改善したとは言い難い。

 中原氏の長女で小児科医の千葉智子氏は現在、子育てをしながら仕事を続けている。和解について、「非常に長い道のりだったが、区切りが付いた」とした上で、「医師は患者を救いたいという気持ちで働いている。自分が疲れていても、なかなか自分から声を上げて、『辛い』『仕事ができない』と訴えられない。そこでがんばってしまい、燃え尽きにつながる。患者のことを自分のことよりも考えている医師が、仕事を続けることが難しい現実がある。医師を大切にする社会が必要。また医師自身にも自分の健康管理をする姿勢が求められるだろう。私自身は今は当直明けは休むことができ、恵まれている環境にはあり、今後も小児科医を続けていきたい」と述べた。

 川人氏は、「過労死あるいは重度の障害が残る過労障害は、外科、産婦人科、小児科、麻酔科の医師に多い。現在でも全国で過労死をめぐる裁判は継続している。確かに中原氏の裁判を通じて、医師の過重労働について警鐘を鳴らすことにつながったが、率直なところ、私が知る限り、医師の勤務環境が大きく変わったとは思えない」との認識を示し、医師の勤務環境の改善が急務であることを訴えている。

 【最高裁の和解条項】
 申立人らは、亡中原利郎医師の遺志を受け継ぎ、小児科医の過重な勤務条件の改善を希求するとともに、労働基準法等の法規を遵守した職場の確立、医師の心身の健康が守られる保健体制の整備を希求して、本件訴訟を提起したのに対し、相手方は、相手方病院の勤務体制下においては、中原医師の死亡について具体的原因を発見し、防止措置を執ることは容易ではなかったという立場で本件訴訟に対応してきたところ、裁判所は、我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から、当事者双方に和解による解決を勧告した。

 当事者双方は、原判決が認定した中原医師の勤務状況(相手方病院の措置、対応を含む)を改めて確認するとともに、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して、以下の内容で和解し、本件訴訟を終了させる。

1.相手方は、中原医師の死亡が新宿労働基準監督署長により労災認定された事実を真摯に受け止め、同医師の死亡に深く哀悼の意を表する。
2.相手方は、申立人らに対し、本件和解金として、労災保険給付金とは別に、合計金700万円の支払義務があることを認め、これを本日、本和解の席上で支払い、申立人らはこれを受領した。
3.申立人らは、その余の請求を放棄する。
4.当事者双方は、今後、本件事案並びにこの和解の経過および結果を公表する場合には、原判決認定事実(原判決が引用する第1審の認定事実を含む)を前提としてこれを行い、相手方病院を含む我が国の医療現場におけるより良い医療を実現することを希求するという本和解の趣旨を十分に尊重し、相手方当事者を誹謗中傷しないことを相互に確約する。
5.当事者双方は、申立人らと相手方との間には、本和解条項に定めるほか、何らかの債権債務がないことを相互に確認する。
6.訴訟の総費用は、各自の負担とする。
レポート
最高裁が医師不足や医師の過重労働に警鐘
小児科医の過労自殺裁判、最高裁の異例の勧告で和解成立、和解金700万円
2010年7月9日 橋本佳子(m3.com編集長)
 「最高裁は、本裁判を多くの方々が注目しており、社会的な意義を持っていると受け止めたのだろう。中原利郎氏の死をめぐる労使間の争いではなく、日本の医療制度の改善という大きな視野で捉え、和解条項の前文にあるように、『わが国のより良き医療を実現する』、そのためには双方が和解することが重要だと考えたのだと思う。この最高裁の意向は、和解の準備段階でも、今日の法廷でも強く感じた。最高裁は、和解で解決を図るため、積極的に労を取って、努力していた。それで最終的に今日、和解勧告があり、成立した。最高裁の今回の取り組みは、弁護団としても高く評価している」


7月8日、和解成立後、記者会見する遺族と弁護団。
 7月8日、小児科医だった中原利郎氏(当時44歳)が1999年8月に過労自殺、遺族が病院側に損害賠償を求めた裁判で、最高裁で和解が成立、その後の記者会見で、遺族の代理人である川人博・弁護士は、和解に応じた理由をこう語った。

 和解額は700万円。今回の和解の特徴は、最高裁が「和解条項」の前文を記載している点だ(文末を参照)。「当事者双方は、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して、和解し、本件訴訟を終了させる」という内容。「薬害エイズ訴訟など、国家政策にかかわる集団訴訟などではこうした前文を付けるケースはあるが、最高裁が一個人の訴訟で前文を付け、和解による解決を斡旋するのは異例」(川人氏)。

 故中原氏の妻、中原のり子氏は、「当初は和解の勧めを受けて驚いた。高裁判決の破棄のための上告受理こそが私が求めていたものだったからだ。しかし、夫は最後に書き残した文書で、『わが病院』と表現していた。夫が命がけで訴えたかった日本の小児医療の改善、医療崩壊の阻止につながると信じたこと、また過度な対立は望まないという夫の生き方に沿うという判断から、和解に応じた」と述べた上で、次のようにつけ加えた。「夫が死亡したのは11年前だが、医師の過重労働は今も変わっていない。私たちが救済されただけでは、医療界は変わらない。政治、あるいは行政への働きかけが必要」(中原のり子氏)。

労災の行政訴訟と民事一審で異なる判決

 立正佼成会附属佼成病院(東京都中野区)に勤務していた中原利郎氏が自殺したのは、1999年8月。同院で小児科医の退職が続き、業務が過重になり、うつ病を発症していた(詳細は、『「医師の過重労働の放置につながる判決」、小児科医の過労死裁判』を参照)。

 地元の労働基準監督署では当初、労災認定されなかった。このため遺族は、労災認定を求める行政訴訟と、病院に損害賠償請求を求める民事訴訟の二つの訴訟を起した。

 2007年3月、行政訴訟の東京地裁判決では、中原氏のうつ病が過重労働に起因(業務起因性)するとし、労災であると認めた(国は控訴せず、確定)。しかし、その直後の同年3月の民事訴訟の東京地裁判決では、業務起因性を否定、遺族側は全面敗訴した。

 2008年10月の東京高裁判決では、業務起因性は認められ、「一歩前進した」(川人氏)したものの、うつ病の発症に関する病院の安全配慮義務違反および注意義務違反は否定され、遺族側は敗訴。判決を不服として、遺族側は翌11月、最高裁に上告受理申立をしていた。

 最高裁から今年3月に和解の打診

 上告が受理されるよう、遺族および遺族を支援する会は署名活動を展開、署名は計約3万3000筆に上った。最高裁から、遺族側と病院側の双方に和解に向けた話し合いの打診があったのは、2010年3月。それ以降、話し合いを続けていた。

 「我々は高裁判決に不服を持っていたので、高裁に差し戻され、勝訴になることを求めていた。しかし、医療現場がより良いものにしたいというのが裁判所の和解斡旋の趣旨であり、弁護団もその趣旨に賛同したこと、そして和解の前提として病院側が中原氏の死亡が労災認定された事実を真摯に受け止め、哀悼の意を表したことなどから、和解に至った」(川人氏)。

 弁護団の調べでは、2008年度の司法統計によれば、最高裁に上告申立・上告受理申立が行われた民事・行政事件数は延べ約4500件、うち最高裁で和解になったのは延べ8件、原判決が破棄されたのは56件。同様に、2007年では延べ約4700件中、和解は延べ4件、破棄47件だ。和解・破棄の件数は併せても1%強にすぎず、最高裁が上告受理申立が「不受理」とする可能性があった中、今回の和解は、関係者が納得した形での次善の解決策だったと言えるだろう。


左から、川人博・弁護士、中原のり子氏、長女で小児科医の千葉智子氏。
依然として全国各地で続く過労死裁判

 もっとも、中原氏が言及したように、医師の勤務環境が11年前と比べて改善したとは言い難い。

 中原氏の長女で小児科医の千葉智子氏は現在、子育てをしながら仕事を続けている。和解について、「非常に長い道のりだったが、区切りが付いた」とした上で、「医師は患者を救いたいという気持ちで働いている。自分が疲れていても、なかなか自分から声を上げて、『辛い』『仕事ができない』と訴えられない。そこでがんばってしまい、燃え尽きにつながる。患者のことを自分のことよりも考えている医師が、仕事を続けることが難しい現実がある。医師を大切にする社会が必要。また医師自身にも自分の健康管理をする姿勢が求められるだろう。私自身は今は当直明けは休むことができ、恵まれている環境にはあり、今後も小児科医を続けていきたい」と述べた。

 川人氏は、「過労死あるいは重度の障害が残る過労障害は、外科、産婦人科、小児科、麻酔科の医師に多い。現在でも全国で過労死をめぐる裁判は継続している。確かに中原氏の裁判を通じて、医師の過重労働について警鐘を鳴らすことにつながったが、率直なところ、私が知る限り、医師の勤務環境が大きく変わったとは思えない」との認識を示し、医師の勤務環境の改善が急務であることを訴えている。

 【最高裁の和解条項】
 申立人らは、亡中原利郎医師の遺志を受け継ぎ、小児科医の過重な勤務条件の改善を希求するとともに、労働基準法等の法規を遵守した職場の確立、医師の心身の健康が守られる保健体制の整備を希求して、本件訴訟を提起したのに対し、相手方は、相手方病院の勤務体制下においては、中原医師の死亡について具体的原因を発見し、防止措置を執ることは容易ではなかったという立場で本件訴訟に対応してきたところ、裁判所は、我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から、当事者双方に和解による解決を勧告した。

 当事者双方は、原判決が認定した中原医師の勤務状況(相手方病院の措置、対応を含む)を改めて確認するとともに、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して、以下の内容で和解し、本件訴訟を終了させる。

1.相手方は、中原医師の死亡が新宿労働基準監督署長により労災認定された事実を真摯に受け止め、同医師の死亡に深く哀悼の意を表する。
2.相手方は、申立人らに対し、本件和解金として、労災保険給付金とは別に、合計金700万円の支払義務があることを認め、これを本日、本和解の席上で支払い、申立人らはこれを受領した。
3.申立人らは、その余の請求を放棄する。
4.当事者双方は、今後、本件事案並びにこの和解の経過および結果を公表する場合には、原判決認定事実(原判決が引用する第1審の認定事実を含む)を前提としてこれを行い、相手方病院を含む我が国の医療現場におけるより良い医療を実現することを希求するという本和解の趣旨を十分に尊重し、相手方当事者を誹謗中傷しないことを相互に確約する。
5.当事者双方は、申立人らと相手方との間には、本和解条項に定めるほか、何らかの債権債務がないことを相互に確認する。
6.訴訟の総費用は、各自の負担とする。

http://www.m3.com/iryoIshin/article/122624/