モノローグ「さぁ!前を向いて。時々泣いて220615」 | Wanna Oneのお家とご近所さん

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2017.8.7にデビューし、決まっていた活動期間である1年半。惜しまれつつも、その活動を終えて解散した伝説のグループWanna Oneとメンバーのその後の活動やその周辺で気になる、プデュ関係、KPOPアイドルたちをゆるーく追うブログです。

すアンニョン~!

お久しぶりです。お陰様で私は元気です(・∀・و)!

ちょっと前にも、同じようなご挨拶をしたような気がしますが(笑)私の母の事では、皆さんが暖かな慰めの言葉を寄せてくださったので、次第に心は落ち着きを取り戻しつつあります。家は仏式ではなく神式ですので、仏壇はありませんが祭壇といいますか、後飾りというものをしつらえて、遺影と少しのお供え物と供花を置いて母を祀っています。

そこに、我が子同然だった初代猫の「ぶんた」の遺影も一緒に飾っています。

不思議と亡くなる前よりもそばにいるような気がします。実は...突然の事だったので、まるで嘘のようで涙も出なかったんです。先日遺品の整理をしていて母の書いた手帳が出てきたんですね。

1999年の手帳でした。脳梗塞で倒れる2年前の手帳...。母は昔から悪筆なのがコンプレックスだったのか、とにかく何か書類を書いたりするのをとても嫌がりました。なので、学校などに持っていく書類を自分で書いたり、姉に書いてもらったりしていました。保護者が書かなければいけないような書類でさえ書かなかった人なのに、手帳?とても、不思議でした。

(母ちゃんが手帳??ありえない)それが正直な感想です。手帳を貰ったかして、その年だけ書こうと思ったのか。あるいは、世紀末だからその記念にとっておきたかったのか?今では知る由もありませんが、書くことが苦手で、手帳も日記も書いたことを見たことがなかったのに、一体どんなことが書いてあるか?とても興味をそそられました。パラパラとページをめくると、案の定ほとんど何も書いてない(笑)私たち兄弟の連絡先、親戚の連絡先。(やっぱり。日記っぽいもの書いてるわけないよね(笑)これじゃアドレス帳だよ)と、毒ずく私でした。

ところが、ポツンポツンと書いてあったページの中の一言二言を拾い集めてみると...全部、私達子供のことばかりでした。「〇〇一家が来る予定」「〇〇に電話」「〇〇から電話」「〇〇の家に行く」等々...。子供たちの事しか書いていない手帳に、読んでいたら何故だか胸がいっぱいになって...

「お母ちゃん...」そう言いながら、大泣きしていました。母が亡くなってから、初めてと言ってもいい程の涙でした。母の人生を思い返せば、私の父親の倒産で背負った借金を払いながら、結局は離婚。二度の結婚と離婚をし、子供は5人。生きていくのに精一杯で、子供のわがままさえ許せない。褒められた覚えも、抱きしめられた覚えもなく、母は子供が嫌いな人。そんな風に私達の目には映っていました。けれども、大人になり、結婚や出産、様々な経験をするうちに、母の気持ちが分かってきた...と、葬儀で姉が言っていたように、私も大人になるにつれ、母のやってきたことを理解し、許せるようになっていました。

母は母なりに精一杯、生きてきたんだな。子供5人抱えて母親1人で育てるのは容易ではなかっただろうと。今の時代と違って、母子家庭に手厚い福祉も無い時代。

自分だったらどうだろうか...。そして、脳梗塞で半身麻痺になり不自由な姿でも、頑張って生きている姿を見ていたら...いつの間にか憎む気持ちも、恨む気持ちもなくなっていました。...

時が癒すとはこの事かもしれませんね。


さて。いつまでも、泣いていても仕方ありません!前を向いて、でも思い出したら時々泣いて。そして、私も生きていきます。またこ、れからも頑張りますのでよろしくお願いします照れ