わんの脳性麻痺がわかるまでの話。いやー、長い。笑もう少し短く終わらせたかったんですがよければ見てくださいm(__)m
③はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで③
予定の時刻を大幅にすぎて、やっと診察に呼ばれました。その時、呼びに来た看護婦さんの顔を見て結果が良くない事にうっすらと気付いたんですよね。。私、昔から悪い予感は当たるんです。
S先生「お待たせしました。画像が届くのに時間がかかってしまってね。ごめんなさいね。」
次に出る先生の言葉を聞くのがすごく怖かった、、
でも、現実は残酷です。
S先生「結果なんですが、やっぱり、形が通常と違う所があってね…」
私は頭が真っ白になりました。
でも、先生の対応は至って明るく、いつもと同じ、静かだけどやわらかくて優しい、そんな口調でした。。。
そのおかげか、私も頭の中は真っ白でしたが、取り乱す事もなく、先生の説明を聞けました。
でも、私達は脳の事なんて全くの無知。先生もゆっくりと、とてもわかりやすく説明してくれたのですが、動揺もあり、イマイチ頭に入って来ず、、。
とにかくその時わかったのは、右側の脳室の形がイビツなこと。
左手足の動きの鈍さの原因はそれだった、という事。
少しでもよくなる為に、これからリハビリをしていかなければならない事。
私も動揺しながらも質問しました。
・将来的にぎこちなさが残ったりするのか。
先生「うーん、言ってしまえば、それは誰にもわからない事なんだよ。しかし、小児の脳というのはダメになった部分を他の部分が補っていく力を持っているので、よくなっていく可能性もあります。とにかくリハビリをはじめましょう。」
・原因はなんなのか
先生「分娩も異常なし、早産でもないよね。原因不明ってことになります。脳ってね、原因不明な事、案外よくあるのよ。でも、一番詳しいのは脳外科だから、原因がわかるか、見てもらう事もできます。でも、だからと言って手術ができるわけでも治療ができるわけでもないのよ。」
・診断はなんになるのか。病名は?
先生「それがないの。何か診断名がつくような所見ではなくってね。」
私「脳麻痺とも違うんですか?」
先生「うーん…不全…麻痺、といえばそうなのかな?でも麻痺っていっても、この子の手足、動くからね?麻痺じゃないよねぇ。笑」
今思うと、先生は私達夫婦を傷つけない為に、気遣ってくれたんだろうと思います。なるべく心配しないように。たくさん言葉を選んでくれて、深刻ではないような言い方をしてくださったんだと、今はわかります。その辺りはさすが、療育センターの先生だなぁと思いました。
そして、リハビリをはじめるにあたって、施設を紹介してもらったのですが、近くにはなく、市外に通う事に。
その内の1つが私の実家の近くでもあり、S先生がいるセンターだったので、そこに即決。
診察が終わり、病院から出てすぐに予約の電話をしました。
とにかく早くはじめたかったんです。1日でも早く。わんの将来の為に。
そのセンターは、予約がとりにくい事で有名で、だいたい3ヶ月待ちは当たり前。
しかし、私達は以前からS先生の診察を受けていた事もあり、初診扱いにはならず、特別に早く診てもらえることになりました。
その辺りは本当に運が良かったと思います。たまたま翌日に空きがあったので、すぐに予約。
そして帰宅。センターの予約など、行動は前向きでしたが、気持ちは絶望していました。わんの将来を案じて…
生活も不安です。
落ち着いたら働こうと思っていたので、頑張って建てた家。
でも、わんがこうなってしまった以上、働くべきなのか?保育園は?
何より、リハビリ頑張らないといけないのに。。
とにかく不安だらけでした。
でも、主人は持ち前のプラス思考全開。
「わかってよかったやん!多分、こんくらいのこと、気付かず大人になってるやつ山ほどいるで!」
と、かなり前向きでしたね。
でもこのポジティブ発想、時々すごーくイラつきます。。。
夫婦で翌日に控えたはじめてのリハビリ施設見学の話をしていた時。
たまたま主人は翌日の勤務が夜からだったので、初回だし、当然一緒に来るだろうと思っていました。
しかし、今日も朝まで仕事してそのままわんの病院行って、睡眠不足だから無理。1人で行って来て。と言われたんです。
それを聞いて私の苛立ちはMAXに。
寝たい気持ちもわかったんですが、息子がこんな時に、ましてや診断を聞いた当日にその言葉出るか?と。息子の事が、どうでもいいのか。そして、平然と私任せにしようとした事。診断もまだ受け入れられない中でのリハビリ開始という、私の心細さをわかってくれない寂しさ。
怒りと悲しみがふつふつと込み上げて来ましたね。
わんは、私達の喧嘩を見てとてもびっくりしていました。
笑わせようとしたのか、気を引こうとしたのか、得意のヨダレ風船作り(笑)を一生懸命やってくれました。
多分、いつもそれを見て主人と笑っているから。
不安そうな顔で、ヨダレだらだらになりながら一生懸命声をだして、やって見せてくれました。
わんのあんな姿見たことない。
その姿を見ると可哀想で、、喧嘩やめなきゃ!と思ったのに…それなのに、怒りが止まらない自分、それと同時に、診断結果への動揺や、健康に産んであげられなかった自分を責める気持ち、、とにかく色んな思いで涙が止まりませんでした。
喧嘩は中断。
寝る前、少しでもわんと似た症状はないか探しました。ヒットするのはPVL。脳室周囲白質軟化症の事ばかり。でもわんは早産でも、未熟児でも、仮死でもありません。お産も、破水が先だったので促進剤は使用しましたが、6時間で産まれてきてくれました。なのになんで?私がちゃんと酸素を送ってあげられなかったのかな?妊娠中にツワリで偏食だったから、脳にちゃんと栄養がいかなかったのかな?
初期と中期に切迫流産になったから?
それとも産まれて2ヶ月の時にうっかり頭をぶつけてしまったから?
考えれば考える程、後悔しかありませんでした…。
でも、わんの症状がPVLに近いという事がわかったので、先生に聞いてみようと思いました。
結局、主人はついて来ると言っていましたが、次の日は、朝になっても起きてこなかったので、声もかけず私とわん2人で出かけました。
多分、主人はこの時まだ、事の深刻さに気付いていなかったんだと思います。普通は気付かないレベルの事なのに、わんはたまたま病院に行ったから気付いただけ、と思っていたようです。
③はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで③
予定の時刻を大幅にすぎて、やっと診察に呼ばれました。
その時、呼びに来た看護婦さんの顔を見て結果が良くない事にうっすらと気付いたんですよね。。
私、昔から悪い予感は当たるんです。
S先生「お待たせしました。画像が届くのに時間がかかってしまってね。ごめんなさいね。」
次に出る先生の言葉を聞くのがすごく怖かった、、
でも、現実は残酷です。
S先生「結果なんですが、やっぱり、形が通常と違う所があってね…」
私は頭が真っ白になりました。
でも、先生の対応は至って明るく、いつもと同じ、静かだけどやわらかくて優しい、そんな口調でした。。。
そのおかげか、私も頭の中は真っ白でしたが、取り乱す事もなく、先生の説明を聞けました。
でも、私達は脳の事なんて全くの無知。
先生もゆっくりと、とてもわかりやすく説明してくれたのですが、動揺もあり、イマイチ頭に入って来ず、、。
とにかくその時わかったのは、右側の脳室の形がイビツなこと。
左手足の動きの鈍さの原因はそれだった、という事。
少しでもよくなる為に、これからリハビリをしていかなければならない事。
私も動揺しながらも質問しました。
・将来的にぎこちなさが残ったりするのか。
先生「うーん、言ってしまえば、それは誰にもわからない事なんだよ。
しかし、小児の脳というのはダメになった部分を他の部分が補っていく力を持っているので、よくなっていく可能性もあります。
とにかくリハビリをはじめましょう。」
・原因はなんなのか
先生「分娩も異常なし、早産でもないよね。原因不明ってことになります。脳ってね、原因不明な事、案外よくあるのよ。でも、一番詳しいのは脳外科だから、原因がわかるか、見てもらう事もできます。でも、だからと言って手術ができるわけでも治療ができるわけでもないのよ。」
・診断はなんになるのか。病名は?
先生「それがないの。何か診断名がつくような所見ではなくってね。」
私「脳麻痺とも違うんですか?」
先生「うーん…不全…麻痺、といえばそうなのかな?でも麻痺っていっても、この子の手足、動くからね?麻痺じゃないよねぇ。笑」
今思うと、先生は私達夫婦を傷つけない為に、気遣ってくれたんだろうと思います。
なるべく心配しないように。
たくさん言葉を選んでくれて、深刻ではないような言い方をしてくださったんだと、今はわかります。
その辺りはさすが、療育センターの先生だなぁと思いました。
そして、リハビリをはじめるにあたって、施設を紹介してもらったのですが、近くにはなく、市外に通う事に。
その内の1つが私の実家の近くでもあり、S先生がいるセンターだったので、そこに即決。
診察が終わり、病院から出てすぐに予約の電話をしました。
とにかく早くはじめたかったんです。
1日でも早く。わんの将来の為に。
そのセンターは、予約がとりにくい事で有名で、だいたい3ヶ月待ちは当たり前。
しかし、私達は以前からS先生の診察を受けていた事もあり、初診扱いにはならず、特別に早く診てもらえることになりました。
その辺りは本当に運が良かったと思います。
たまたま翌日に空きがあったので、すぐに予約。
そして帰宅。
センターの予約など、行動は前向きでしたが、気持ちは絶望していました。
わんの将来を案じて…
生活も不安です。
落ち着いたら働こうと思っていたので、頑張って建てた家。
でも、わんがこうなってしまった以上、働くべきなのか?保育園は?
何より、リハビリ頑張らないといけないのに。。
とにかく不安だらけでした。
でも、主人は持ち前のプラス思考全開。
「わかってよかったやん!多分、こんくらいのこと、気付かず大人になってるやつ山ほどいるで!」
と、かなり前向きでしたね。
でもこのポジティブ発想、時々すごーくイラつきます。。。
夫婦で翌日に控えたはじめてのリハビリ施設見学の話をしていた時。
たまたま主人は翌日の勤務が夜からだったので、初回だし、当然一緒に来るだろうと思っていました。
しかし、今日も朝まで仕事してそのままわんの病院行って、睡眠不足だから無理。1人で行って来て。と言われたんです。
それを聞いて私の苛立ちはMAXに。
寝たい気持ちもわかったんですが、息子がこんな時に、ましてや診断を聞いた当日にその言葉出るか?と。
息子の事が、どうでもいいのか。
そして、平然と私任せにしようとした事。
診断もまだ受け入れられない中でのリハビリ開始という、私の心細さをわかってくれない寂しさ。
怒りと悲しみがふつふつと込み上げて来ましたね。
わんは、私達の喧嘩を見てとてもびっくりしていました。
笑わせようとしたのか、気を引こうとしたのか、得意のヨダレ風船作り(笑)を一生懸命やってくれました。
多分、いつもそれを見て主人と笑っているから。
不安そうな顔で、ヨダレだらだらになりながら一生懸命声をだして、やって見せてくれました。
わんのあんな姿見たことない。
その姿を見ると可哀想で、、喧嘩やめなきゃ!と思ったのに…
それなのに、怒りが止まらない自分、それと同時に、診断結果への動揺や、健康に産んであげられなかった自分を責める気持ち、、とにかく色んな思いで涙が止まりませんでした。
喧嘩は中断。
寝る前、少しでもわんと似た症状はないか探しました。
ヒットするのはPVL。脳室周囲白質軟化症の事ばかり。
でもわんは早産でも、未熟児でも、仮死でもありません。
お産も、破水が先だったので促進剤は使用しましたが、6時間で産まれてきてくれました。
なのになんで?
私がちゃんと酸素を送ってあげられなかったのかな?
妊娠中にツワリで偏食だったから、脳にちゃんと栄養がいかなかったのかな?
初期と中期に切迫流産になったから?
それとも産まれて2ヶ月の時にうっかり頭をぶつけてしまったから?
考えれば考える程、後悔しかありませんでした…。
でも、わんの症状がPVLに近いという事がわかったので、先生に聞いてみようと思いました。
結局、主人はついて来ると言っていましたが、次の日は、朝になっても起きてこなかったので、声もかけず私とわん2人で出かけました。
多分、主人はこの時まだ、事の深刻さに気付いていなかったんだと思います。
普通は気付かないレベルの事なのに、わんはたまたま病院に行ったから気付いただけ、と思っていたようです。