私の自宅は、上野から5駅のところなので、
銀座線で上野まで行く事が出来れば、帰れなくはない距離です。
自宅が遠い友達(うちに泊まることになりました。)を連れ、
意を決し共に帰ることにしました。
しかしまだエレベーターは復旧していないので、
また1階まで階段を使います。
もうこの時点で、足はパンパン。
ふくらはぎも悲鳴を上げている状態だったので、
本当に家まで辿り着けるかがすごく不安でしたが、
たくさんの人が歩いて帰っているのを見て
少し勇気がわいてきました。
家に着いたのは0時30分頃だったかな。
ガスが付かないので、冷たい水でさっくりと体を流し、
TVをつけたところ、一瞬無言に。
TVに写っている光景を理解するのに時間がかかり、
とにかくチャンネルをひたすら回しました。
どの局でも、今までに見たことがないような
悲惨な光景をただただ中継しているだけでした。
私と友達は、何の情報もないままにひたすら仕事をし、
時間をかけ歩いて帰宅したため、
家に着き、TVをつけて初めて、震源が東北で
想像以上に悲惨なことが、大惨事とも言うべく事態が
起こっていることを知りました。
燃え上っている気仙沼市をみました。
津波に飲まれていく陸前高田市をみました。
ヘリコプターで助けられている女性をみました。
海かと思うくらいの水面に、屋根が浮かんでいました。
そこに映っていたもの全て、よくわかりませんでした。
その時、「よくわからない」という言葉ばかり
口をついて出てきました。
その後も余震が続き、地震速報も鳴り続け
不安な中、全く眠れずに朝を迎え、友達は帰って行きました。
その日1日のことは、きっと一生忘れることは
出来ないと思います。忘れたいとも思いません。
地震の傷はまだまだ癒えず、
たくさんの課題や、問題、がれきが山積みとなっています。
2011,3,11
どこかで貼られていたポスターに
大きな文字で
『心まで壊されてたまるか』
と書かれていました。
無残にも倒壊している家・・・だった
瓦礫の前で撮られたその写真には、
その言葉通りの意志が込められた表情をして
20代の男の子が、精悍な顔つきで立っていました。
人は強い!
本当にそう思ったし、何よりも
この出来事を後ろ向きにとらえてばかりいては前に進めないと、
頑張っている人がたくさんいます。
自分に出来ることは、ほんの小さいことだと思いますが
その小さいことで、笑顔が少しずつ増えると信じて、
そして、
被災した地を、被災地と呼ばなくなるように
被災した人を、被災者と呼ばなくなるように
これからも、小さくても自分に出来る何かを
していきたいと思っています。
余談ですが・・・
先日、私の勤めている会社の社長に
ボランティア企画についてのお礼を申し上げたく
声をおかけしたところ、年度末の忙しい時期であろうに
私の席の隣に腰をかけ、自分の被災地への思いなどを
話してくれました。
3月のボランティアには、社長自身もなんとしてでも
行きたかったようでしたが、
スケジュール的にどうしても調整が出来ず
泣く泣く断念をしたようでした。
『今後もボランティア活動を継続できるよう
頑張って行かないとな!今度は絶対一緒に行こうな!!』
きっと私の名前さえ知らないと思いますが
立ち去り際に、大きい声でこう言われるとぐっと来ます。
良い会社だなぁと改めて思いました。
銀座線で上野まで行く事が出来れば、帰れなくはない距離です。
自宅が遠い友達(うちに泊まることになりました。)を連れ、
意を決し共に帰ることにしました。
しかしまだエレベーターは復旧していないので、
また1階まで階段を使います。
もうこの時点で、足はパンパン。
ふくらはぎも悲鳴を上げている状態だったので、
本当に家まで辿り着けるかがすごく不安でしたが、
たくさんの人が歩いて帰っているのを見て
少し勇気がわいてきました。
家に着いたのは0時30分頃だったかな。
ガスが付かないので、冷たい水でさっくりと体を流し、
TVをつけたところ、一瞬無言に。
TVに写っている光景を理解するのに時間がかかり、
とにかくチャンネルをひたすら回しました。
どの局でも、今までに見たことがないような
悲惨な光景をただただ中継しているだけでした。
私と友達は、何の情報もないままにひたすら仕事をし、
時間をかけ歩いて帰宅したため、
家に着き、TVをつけて初めて、震源が東北で
想像以上に悲惨なことが、大惨事とも言うべく事態が
起こっていることを知りました。
燃え上っている気仙沼市をみました。
津波に飲まれていく陸前高田市をみました。
ヘリコプターで助けられている女性をみました。
海かと思うくらいの水面に、屋根が浮かんでいました。
そこに映っていたもの全て、よくわかりませんでした。
その時、「よくわからない」という言葉ばかり
口をついて出てきました。
その後も余震が続き、地震速報も鳴り続け
不安な中、全く眠れずに朝を迎え、友達は帰って行きました。
その日1日のことは、きっと一生忘れることは
出来ないと思います。忘れたいとも思いません。
地震の傷はまだまだ癒えず、
たくさんの課題や、問題、がれきが山積みとなっています。
2011,3,11
どこかで貼られていたポスターに
大きな文字で
『心まで壊されてたまるか』
と書かれていました。
無残にも倒壊している家・・・だった
瓦礫の前で撮られたその写真には、
その言葉通りの意志が込められた表情をして
20代の男の子が、精悍な顔つきで立っていました。
人は強い!
本当にそう思ったし、何よりも
この出来事を後ろ向きにとらえてばかりいては前に進めないと、
頑張っている人がたくさんいます。
自分に出来ることは、ほんの小さいことだと思いますが
その小さいことで、笑顔が少しずつ増えると信じて、
そして、
被災した地を、被災地と呼ばなくなるように
被災した人を、被災者と呼ばなくなるように
これからも、小さくても自分に出来る何かを
していきたいと思っています。
余談ですが・・・
先日、私の勤めている会社の社長に
ボランティア企画についてのお礼を申し上げたく
声をおかけしたところ、年度末の忙しい時期であろうに
私の席の隣に腰をかけ、自分の被災地への思いなどを
話してくれました。
3月のボランティアには、社長自身もなんとしてでも
行きたかったようでしたが、
スケジュール的にどうしても調整が出来ず
泣く泣く断念をしたようでした。
『今後もボランティア活動を継続できるよう
頑張って行かないとな!今度は絶対一緒に行こうな!!』
きっと私の名前さえ知らないと思いますが
立ち去り際に、大きい声でこう言われるとぐっと来ます。
良い会社だなぁと改めて思いました。
2011年3月11日。
新しい1年が始まり、日々が過ぎ、
新しい学期や年度を迎えようとする頃、
春が近くなりそわそわしだす頃、
そんな時に起きた大震災。
私はそのとき、
普段滅多に行かない歯医者に行き、
ちょうど歯医者が終わって
会社があるビルの23階で乗り換えの
エレベーターを待っている最中でした。
私のオフィスは26階(当時)ですが、
高層ビルのため、一度23階で乗り換える必要があるのです。
6台あるうちの1台のエレベーターの扉が開き、
乗り込もうとした時、
エレベーターの電気が真っ暗になりました。
他に乗り込もうとした人達も
「え!なに?」というような反応。
また別のエレベーターの扉が開いたものの、
同じように電気が消灯。
そこにいたすべての人が、明らかに困惑し、
混乱しているところに、激しい揺れが起こりました。
あまりの揺れのひどさに女性は悲鳴をあげたりしていましたが、
私は連れもいなかったので、とりあえずはそろそろ壁つたいに歩き、
ガラス張りのエレベーターから離れ、ブース側へ避難しました。
尋常じゃない揺れの中、ふと思ったのは家族のことと
自分の死のこと。
ビルがどう崩れ、どう死んでいくのか…
一人では不安が膨れ上がるだけなので、
近くにいた他部署の3人組にそばにいさせてくださいとお願いし、
気持ちを落ち着かせました。
そのうちに、非常階段を使い、自分のフロアに戻る人が増えだしたので、
私も3人組にお礼を言い26階へ戻りました。
フロアに戻った瞬間の記憶が不思議とあまりなくて、
覚えているのは、これからご面接を予定している候補者の方達と
他営業部署への連絡などの対応にひどく追われている時から。
市原のコンビナートの炎上が、私の席からはよく見え、
空は近くの火災の煙りも混ざってか、真っ黒な雲が流れているように見えて、
今でも忘れられない異常な光景でした。
どこが震源地なのか、被害がどれほどなのか、
外でなにが起こっているのか全くわからない状態で仕事をしていると、
総務から非常階段で1階まで降りろ!という指示が出ました。
言われるがままに、26階から1階まで降りましたが、
日頃の運動不足がたたり、足はがくがく、膝は笑いっぱなしでした。
その後、1階は人だかりとなり
上空にはヘリコプターが飛び交い、
ヘルメットをかぶった、どこかの企業の
団体が行列をなし歩き、
今までに見たことない光景が
目の前に広がっていました。
幸いにも私の周りには、たくさんの知り合いが
いたので、心には余裕がありました。
みんながいるし、揺れもおさまってきているし、
そこには、今思うと本当に不適切ですが
その状況を少し楽しんでいる私もいました。
その後、ご面接を控える候補者の方や企業を
放っておくわけにはいかないので
さらに階段で26階まで戻り
ひたすら、営業部と、候補者様への
電話やメールをし続けました。
電話は全くつながりませんでした。
その間、母親、父親、姉からも
別々に『大丈夫?』『メールちょうだい』『連絡ください』
などのメールが届き、仕事をしながらも
家族への返信をしましたが、メールが届かないのか
『メールでもいいから返信ください』などの
メールが次から次へと届きます。
家族を心配させてしまい
すごく心が痛むのですが、私からは
出来る限りのことはしており、
それが家族に届かないことが
すごくもどかしかったです。
しかし目の前には、
不安にかられ、私たちの連絡を待っている
求職者の方達が山ほどいらっしゃいました。
とにかく目の前の仕事を終わらせなきゃいけない!
がむしゃらに、電話やメールをし続けました。
なんとか、一通りの連絡を終え、
食料を確保しに、33階のコンビニへ行きましたが
商品はほぼなにもなし。
陳列がまに合わず、段ボールをそのまま
並べてありましたが、その中身もほぼ空っぽ。
小さなお煎餅の袋を2つだけゲットし
フロアに戻ると、総務から社内放送が。
『現段階では、走っている電車がほぼない状態です。
走る見込みもないようなので、本日に限り
会社の電気を24時間体制に致しますので
帰宅が困難な方は、社に宿泊するようお願いいたします。
また、従業員に対し、非常食の配布がありますので
25階総務までお越しください。』
ということで、総務まで行ってみると
1人につき、水500ml 2本と、カロリーメイトが2つ
配られました。
お煎餅しかGET出来なかったので
心から嬉しかったです!
さらに、この後どうするのかを
迷いに迷っている頃、21:30頃だったか、
銀座線が走り出した、との一報が入り
帰れなくはない!とのことで帰ることを決断しました。
長くなりましてすみません。
次回に続きます。
新しい1年が始まり、日々が過ぎ、
新しい学期や年度を迎えようとする頃、
春が近くなりそわそわしだす頃、
そんな時に起きた大震災。
私はそのとき、
普段滅多に行かない歯医者に行き、
ちょうど歯医者が終わって
会社があるビルの23階で乗り換えの
エレベーターを待っている最中でした。
私のオフィスは26階(当時)ですが、
高層ビルのため、一度23階で乗り換える必要があるのです。
6台あるうちの1台のエレベーターの扉が開き、
乗り込もうとした時、
エレベーターの電気が真っ暗になりました。
他に乗り込もうとした人達も
「え!なに?」というような反応。
また別のエレベーターの扉が開いたものの、
同じように電気が消灯。
そこにいたすべての人が、明らかに困惑し、
混乱しているところに、激しい揺れが起こりました。
あまりの揺れのひどさに女性は悲鳴をあげたりしていましたが、
私は連れもいなかったので、とりあえずはそろそろ壁つたいに歩き、
ガラス張りのエレベーターから離れ、ブース側へ避難しました。
尋常じゃない揺れの中、ふと思ったのは家族のことと
自分の死のこと。
ビルがどう崩れ、どう死んでいくのか…
一人では不安が膨れ上がるだけなので、
近くにいた他部署の3人組にそばにいさせてくださいとお願いし、
気持ちを落ち着かせました。
そのうちに、非常階段を使い、自分のフロアに戻る人が増えだしたので、
私も3人組にお礼を言い26階へ戻りました。
フロアに戻った瞬間の記憶が不思議とあまりなくて、
覚えているのは、これからご面接を予定している候補者の方達と
他営業部署への連絡などの対応にひどく追われている時から。
市原のコンビナートの炎上が、私の席からはよく見え、
空は近くの火災の煙りも混ざってか、真っ黒な雲が流れているように見えて、
今でも忘れられない異常な光景でした。
どこが震源地なのか、被害がどれほどなのか、
外でなにが起こっているのか全くわからない状態で仕事をしていると、
総務から非常階段で1階まで降りろ!という指示が出ました。
言われるがままに、26階から1階まで降りましたが、
日頃の運動不足がたたり、足はがくがく、膝は笑いっぱなしでした。
その後、1階は人だかりとなり
上空にはヘリコプターが飛び交い、
ヘルメットをかぶった、どこかの企業の
団体が行列をなし歩き、
今までに見たことない光景が
目の前に広がっていました。
幸いにも私の周りには、たくさんの知り合いが
いたので、心には余裕がありました。
みんながいるし、揺れもおさまってきているし、
そこには、今思うと本当に不適切ですが
その状況を少し楽しんでいる私もいました。
その後、ご面接を控える候補者の方や企業を
放っておくわけにはいかないので
さらに階段で26階まで戻り
ひたすら、営業部と、候補者様への
電話やメールをし続けました。
電話は全くつながりませんでした。
その間、母親、父親、姉からも
別々に『大丈夫?』『メールちょうだい』『連絡ください』
などのメールが届き、仕事をしながらも
家族への返信をしましたが、メールが届かないのか
『メールでもいいから返信ください』などの
メールが次から次へと届きます。
家族を心配させてしまい
すごく心が痛むのですが、私からは
出来る限りのことはしており、
それが家族に届かないことが
すごくもどかしかったです。
しかし目の前には、
不安にかられ、私たちの連絡を待っている
求職者の方達が山ほどいらっしゃいました。
とにかく目の前の仕事を終わらせなきゃいけない!
がむしゃらに、電話やメールをし続けました。
なんとか、一通りの連絡を終え、
食料を確保しに、33階のコンビニへ行きましたが
商品はほぼなにもなし。
陳列がまに合わず、段ボールをそのまま
並べてありましたが、その中身もほぼ空っぽ。
小さなお煎餅の袋を2つだけゲットし
フロアに戻ると、総務から社内放送が。
『現段階では、走っている電車がほぼない状態です。
走る見込みもないようなので、本日に限り
会社の電気を24時間体制に致しますので
帰宅が困難な方は、社に宿泊するようお願いいたします。
また、従業員に対し、非常食の配布がありますので
25階総務までお越しください。』
ということで、総務まで行ってみると
1人につき、水500ml 2本と、カロリーメイトが2つ
配られました。
お煎餅しかGET出来なかったので
心から嬉しかったです!
さらに、この後どうするのかを
迷いに迷っている頃、21:30頃だったか、
銀座線が走り出した、との一報が入り
帰れなくはない!とのことで帰ることを決断しました。
長くなりましてすみません。
次回に続きます。
体調が悪いです。
先週、ビッグイベントであった
RAG LIVEが無事終ったこともあり
燃え尽き症候群??
と思っていたのですが
いまだ、回復せずです。
月曜日に病院へ行った際は
低血圧と、脱水症状を起こしていると言われ、
処方してもらった葛根湯と、ポカリスエットを
飲んで、早く寝ました。
その後、数日は
幸いにも仕事が落ち着いていて
少し体調が悪くても
あまり影響がなかったのですが、
金曜日に予定していた有休をとり
用事を済ませてから、夕方に友達と
会ったのですが、その時
めまいと吐き気がひどくなって襲って来てしまい
友達には大変申し訳ない中、早めに帰りました。
家に着いたら、即効寝たのですが、
それから今、この時間まで
まったくよくなりません

明日絶対に休めない。
今日中になんとしてでも治さないと
いけないけど、なんでこんなに体調が悪いのかが
わからないので、本当につらいのです。
風邪なのかと思って熱をはかるんですが
36.8分と、なんとも微妙。まさに微熱・・・
首のあたりがずきずきと痛むのと
めまいと、だいぶ良くなったけど少しの吐き気。
あと、咳。
今日はたっぷり寝たから
よくなると思ったんだけど
そうは、甘くなかった・・・
もう!!
しっかりしなさい!!!!!!
今日はバレンタインデーですね!
仕事に忙しく追われ、へとへとで帰宅し
家に置きっぱなしにしてしまった携帯電話を
手にしてメールをチェックしたところ
姉よりメールが・・・
だいだいだい だーーーい好きな
愛すべき姪っ子(2歳)が絵を描いて、
それを見ながら『まりこ!まりこ!』と言っている
というのです。
添付写真が付いていたので
見てみたら・・・

これ↑まりこです(笑)
かわいすぎる!
うれしすぎる!!
たまりません!!!
会いたい会いたい!!
あかり、ありがとう

また会いに行くよぉぉ。
そして、会社では・・・。
面識のない北海道支社の支社長より、
先日、自分には全く関係のない仕事の件で依頼をされ
(本社で対応可能なのは私だけというでたらめな情報が
北海道支社で吹聴されているようです
))
対応したのですが、
そのお返しに!と北海道以外でも有名な
ルタオのフロマージュを送ってきてくださいました!!

うれすぃ!!
食べる!!!
ということで、深夜にも関わらず
これから食べます!
うん、いいバレンタインデーでございました
仕事に忙しく追われ、へとへとで帰宅し
家に置きっぱなしにしてしまった携帯電話を
手にしてメールをチェックしたところ
姉よりメールが・・・
だいだいだい だーーーい好きな
愛すべき姪っ子(2歳)が絵を描いて、
それを見ながら『まりこ!まりこ!』と言っている
というのです。
添付写真が付いていたので
見てみたら・・・

これ↑まりこです(笑)
かわいすぎる!
うれしすぎる!!
たまりません!!!
会いたい会いたい!!
あかり、ありがとう


また会いに行くよぉぉ。
そして、会社では・・・。
面識のない北海道支社の支社長より、
先日、自分には全く関係のない仕事の件で依頼をされ
(本社で対応可能なのは私だけというでたらめな情報が
北海道支社で吹聴されているようです
))対応したのですが、
そのお返しに!と北海道以外でも有名な
ルタオのフロマージュを送ってきてくださいました!!

うれすぃ!!
食べる!!!
ということで、深夜にも関わらず
これから食べます!
うん、いいバレンタインデーでございました





