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殺処分ゼロを目指して。
そんな言葉で多くの動物保護団体が活動をしていますが、殺処分ゼロは本当に犬と猫たちを幸せにしているのでしょうか?
保護団体に限らず、動物愛護に関心がある人達は「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」を願っているはずです。
そうであるならば、「殺処分ゼロ」が「犬と猫たちの幸せ」と本当に同じ意味の言葉であるのかどうかを一度立ち止まって考えてみるべきではないかと思います。
まず、「殺処分ゼロ」とは「行政施設で犬や猫たちを処分しない状態」を指す事を認識しなくてはいけません。
例えば、ゼロは行政が一切引き取りを拒否し、収容数を限りなく少なくすれば近づきます。
収容数の大半を占める猫たちが道端で死にまくっていても、引き取り拒否された飼い犬が飼い殺しにされて死んで行ってもゼロは近づきます。
また、譲渡対象の犬猫を保護団体が全頭引き出せばゼロは達成されます。
行政施設の外の状況はゼロの前と何も変わらず、相変わらず山には野犬が溢れていても、増えすぎた野良猫たちが虐待されていても、飼い主の意識が変わらず飼育放棄の犬や猫たちがセンターに持ち込まれ続け、彼らがセンターの中で怯え、身を寄せ合い、震えていてもゼロはゼロです。
保護団体のシェルターに犬や猫たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれていてもゼロはゼロです。
確かに以前の様に当たり前の様に、まるで不用品を捨てるかの様に淡々と、多くの犬と猫たちが処分され続ける状態よりも、ゼロの方がいいのはわかっています。
殺される事はないのですから。
でも、それが私たちが望む世界でしょうか?
今はまだ過渡期だから、これからまた一段階段をあがるから。
本当にそうでしょうか?
今保護団体が、「殺処分ゼロを目指して」「殺処分ゼロを継続する為に支援を」そんな言葉で譲渡会を開催し、寄付を求めています。
私はその流れの中で私たちが本当に願っている本当の犬と猫たちの幸せが見失われてしまっている様に思えてなりません。
行政施設の数字はゼロになっていても、施設の外では何も変わらない状況なのに、そのゼロがまるで私たちが望む世界の様に叫ぶ動物愛護団体。
この、殺処分ゼロと云う言葉と、犬と猫たちの本当の幸せの乖離は、過渡期の一時的な現象なのでしょうか?
「ゼロだ、ゼロだ、達成だ、継続だ」と叫び過ぎる事で今の状態を固定化する危険性がありませんか?
保護犬、保護猫が存在する状態が固定化する事はないのでしょうか?
行政施設の中には本当の犬や猫たちの幸せは存在しません。
犬や猫たちの本当の幸せは行政施設の外にあります。
殺処分ゼロを目指す事、それが本当の犬と猫たちの幸せと同じ意味を持つのか?