本日のお買い物旧日本海軍給糧艦「間宮」です爆  笑

 

いや~とうとう”戦闘艦”以外のマニアックな艦種に

 

手を出してしまいましたね(笑)

 

この様な艦種が出たのも例の「艦コレ」の影響でしょうか?

 

 

「給糧艦」とは船に食料品等の補給を行う「補給船」で

15820トンの排水量で大正13年当時世界最大級の食料補給船でした。

(書類登記上?は9500㌧)

1924年から1944年まで海軍艦艇に食料その他を運び続けて

帝国海軍では一番人気だったそう。

知名度も一番だったそうだが現代の感覚だとそれは「なぜ?」と

思うでしょう。

 

只の年季の入った(昭和10年代以降)「補給船」なのに?

 

その理由には大きく2つの時代背景が

有ると思われます。

 

当時は保存食と云えば日持ちのしない(ここが現代と大きく違う)缶詰

 

最もポピュラーなのが”乾パン”が殆ど唯一で、炊飯という手間があるにせよ

主食の米以外の副食は殆どすべて「保存」が効かないものばかりで

*ほかは梅干しくらいか?

 

これが外洋に出るとカレー(1週間に1回は出る)の他に

ジャガイモ料理系(肉じゃが?)

と魚のフライ系ばかりになったそうで

*全艦種という訳ではないし時期にもよるが

 

比較的上陸の機会の多い将校以外、

大多数の下士官兵の乗組員たちにとって唯一かつ

最大の楽しみでも有る「食事」の内容が

 

”マンネリ化”するのは士気維持の観点からも

非常に不味いのです。

 

そして当時の兵員の大多数を占めるのが「農村」出身者で

維新の混乱期から続く貧困層が多く

 

冗談抜きで「海軍に入って初めて肉を食った」(カレー?)とか

麦飯場合によれば更にヒエが多くなったり

おかずは味噌汁か沢庵、梅干し程度しか

無かった生活から

 

「洋食」(ハンバーグや限定的だが記念日等や

成績優秀の場合?ステーキ!まで出たそう)

*オムレツ・シチュー・トンカツ・ドーナツ・羊羹!等々

 

麦飯+味噌汁・沢庵・梅干し(それも大人数の兄弟と

分け合う)生活から

 

食事だけを見れば白米も出たりとにかくメニューが豊富で

(海軍公式メニューだけで100頁を遥かに超える書籍が

発行されていた)

 

まとめると

 

*現代と違い保存食がほぼ無い

 

*食事の質を落とせない(健康と士気維持)

 

という事で各艦は武器弾薬燃料よりも

「食料確保」が”最大の懸案”でもあったのです

 

特に「間宮」には専門の料理人が軍に雇われて

各専門料理を作って配給しており

 

世間でも滅多に口に出来ないような食事が出来たそう

 

そういった背景の中、新鮮かつ”豪華”な食料を

 

供給してくれる給糧艦「間宮」が広く兵員に人気と

成ったのも当然といえます。

キットはアオシマの物

比較に海防艦「日振」

キットの船体に”謎の”ドギツい凸モールドが

全面に入っていますが実写写真と見比べても

 

”何の意味が?”と云いたくなるほどの酷いものなので

これは削除せねばならないでしょう・・・

 

*あと舷側の窓も追加作成ですかね

 

艦橋もスカスカの筒抜けなのでここもどうするか?

 

そして商船ばりの沢山のデリックがあるので

ドコまで”張線”を表現するか?

 

なかなかに奥の深いキットだと思いますw