スペイン語の勉強を始めて1年3カ月が経った。

誰にも習わずに、ネットと本を駆使して自分だけで勉強をしている。

(かなりいい加減に、毎日単語を少しずつ増やす程度だけど。

 継続することが一番の目標なので。)

私は英語を日本の一般教育で5年間勉強してからアメリカに留学した。

その時、5年間勉強したはずなのに、全く英語を話すこともできなければ

英語の本もろくに読むことができなかった。

そして今、大人になってスペイン語を1年以上勉強して、同じ思いを思い出している。

学生の時は、学校で英語以外に何科目も同時に勉強しているせいもあり、

英語だけを集中的に勉強することはできないが、

大人になると自分の選んだ勉強科目を集中的に自分のやり方で勉強できるので、

スピードで言うと子供の時よりは早く習得できると私は思っている。

なので、私の現在のスペイン語は、日本の中学2~3年生の英語力くらいではなかろうか。

 

それにしても、スペイン語のYouTubeを観ても、ドラマを観ても、映画を観ても、

全く分からない。分からな過ぎて笑えるくらいである。

 

そういえば英語もそうだったことを思い出した。

映画が好きでたくさん英語の映画やドラマを観ていたはずだけども、

同じものを何回観ても、何ひとつ分からなかったのを思い出す。

 

そもそも字幕というものがあれば、それを読んでしまうわけで、

私の場合は、ドラマを字幕付きで観たらその言語が分かるようになることはない

と気づいた。

やっぱり、セリフごとに止めて文を分解し、理解しようと努力しながら観ないとダメか…。

ただボーっと観てて、勝手に分かってくるわけないんだわ。

 

今観ているコロンビアのテレノベラ(日本の昼メロみたいなジャンル)を観ているんだけど

展開がすごくて、一人二役とかあるし時代は飛ぶし、長期に渡っての復讐ストーリーで

これでスペイン語分かったら面白いだろうなぁ~と思いながら、観ている。

テレノベラは100話以上続くのが普通で、これも100話あるので、一体どうやって

話をひっぱるのかなと今から楽しみ。(現在で6話まで鑑賞。)

字幕を読みながら観ているので、スペイン語力が上がっているとは到底思えないが…。

大雑把にですが、日本語の「~ている」には全部で3つの意味があるとされています。

①現在進行(継続) 「今、シャワーをあびています」

②習慣 「日記を毎日書いています」

③状態 「戸が開いています」「眼鏡をかけています」

(他にも、習慣と状態のコンビネーションワードみたいな

 「住んでいる」「持っている」「飼っている」のようなものもある)

 

さて、それを教えた後、ある文章が教科書に出てきました。

「あ、〇〇さんが建物から出てきましたよ」

 

学習者が質問してきました。

なぜ、今起こっていることなのに『〇〇さんが出てきていますよ』じゃないんですか

 

…なぜでしょう?

私は説明が上手くできませんでした。

 

そうです、これは確実に「今起こっている出来事」ですよね。

〇〇さんが、今ビルの玄関をまさに歩いて出てきているところなんですよね。

それなのになぜ「出てきています」じゃないのでしょうか。

日本人なら、もう出てきたから過去形なんだろう、と思いますが

普通に考えて、今出てきそうな状態でも「あ、出てきた」って言いますよね。

「あ、出てきてる」って言いますか?言いませんよねぇ。

見えた時点で、まだ完全に出てなくても「出てきた」って過去形で言うのです。


で、いろいろ考えたのですが、私の考察はこうです。

 

「出てくる」という言葉がそもそも特別。

 

ここで重要はのは「~てくる」。

「出てくる」の中の「~てくる」はややこしい補助動詞で、

それと「~ている」のコンビネーション「~てきている」となると

使える言葉と場面がもっと限られてきます。

 

なぜなら、「~てくる」は状況や状態の変化を表すもので、

特に「継続」用法になると、使い方に制限がでてくるようだからです。

たとえば「日本語を10年勉強してきた」「一生懸命働いてきた」のような場合

今も続けている場合でもなぜか過去形です。

 

ちなみに他の「~てくる」用法は

動作:食べてくる (動作の後に戻ってくるというニュアンス)

変化:増えてくる (度合が変化しているニュアンス)

方向:日が昇ってくる (動きの方向を示すニュアンス)

 

「出てくる」はこの方向用法にも似ている気がしますね。

それにしてもなんで今出てきている人に対して「出てきた」って言うんでしょう。(結局そこ)

見えた時点でもう「出た」ということで完了したというニュアンスだろうか。

 

…もしかして「出てくる」という語は、継続することができない語なのかも。

例えば想像してください。

誰かを待ち伏せしているインタビュアーがテレビでこう言っています。

「〇〇さんは2時にビルから出てきます。インタビューしようと思います。

 あ、出てきました!」

つまり、その人は「出てくる」か「出てきた」か、なんですよね。

 

下記の動詞は、動作、動作が起きた、その後その状態が続く、という動詞です。

落ちる→落ちた→落ちている

座る→座った→座っている

死ぬ→死んだ→死んでいる

「出る」もこの類です。

出る→出た→出ている

 

つまり、一瞬でその動作が終わってしまうような動詞は、

その動作の継続を意味する「~てくる」と「~ている」の複合語「~てきている」を付けると

おかしく感じるのだということだと思います。

「落ちてきている」(いつまでずっと落ち続けてるの?)

「座ってきている」(どうやって座る途中の動作が続いているの?)

「死んできている」(死んだのか死んでないのかはっきりせい!)

その延長で

「出てきている」がおかしな感じがするということが考えられます。

 

ちょっとずつ分かってきた感じがしますが、

初級の学習者にこんなこと説明しても、「分からん!」と言われるのは目に見えています。

どう答えるのがいいのでしょうか?

たぶん初級の学習者さんには「難しい説明になるので、中級になったらまた説明しますね」

というのがたぶん正解でしょうね。

 

みなさんなら、どう説明しますか?

なぜ、今起こっていることなのに『〇〇さんが出てきていますよ』じゃないんですか

私は以前はビーチ沿いの街に住んでいました。

そこに住む人は比較的お金持ちが多いです。

そして去年引っ越してきた街は、ビーチから30分くらい内陸に入った

貧乏な人と金持ちの境い目くらいの人が住む街です。

街並みが全く違うのですが、何が違うのか…引っ越してから色々考えています。

まず貧乏な人が住む場所は、大通りに近いとか、空港に近いとか、常にうるさい

という要素がありますが、見た目についてはどうでしょうか。

まずゴミゴミしています。道が狭い、物が多い、人も多い(ホームレスや歩いている人)

というのと、実際に「ゴミ」が多いというのが第一要素です。

とにかく道端にゴミが多い。

小さいゴミから大きいゴミ(家具とか)まで様々です。

ビーチ沿いの街に住んでいたときは頻繁にストリートクリーニング車がきました。

そして、今の街にはストリートクリーニング車は来ません。

 

私はシンプルライフが好きで、広々して物が少ない空間が好きです。

なので、ゴミを見るとイライラします。

拾いたくても道端のゴミってなかなか素手で拾う気になれませんよね。

 

ということで、ゴミ拾いスティックを買ってみました。

そしてついでに私の近所をゴミ拾いしながら1ブロック歩いてみました。

 

 

最後らへんは重くて大変だった…。

ゴミの種類は様々ですが、一番困るのは、ビンの破片系。

袋が破れるし重いから。

ビンと缶がそのまま落ちていることはありません。

ビンと缶はお金になるので、誰かが拾っていくんですよね。

ゴミ箱の中までそれを目当てに漁ってる人がよくいます。

あと道に落ちているゴミで多いのは、たばこの吸い殻と飲み物のキャップ。

あとマスクもよく落ちてます。

 

しかし一ブロックにしてはこのゴミの量は多くないだろうかと思ったわ。。。

 

ゴミ拾いスティックは便利ですが、問題は袋を持っている方の手でした。

袋の口が上手く開かず、なかなかゴミを入れらないし

入れ損ねてまた地面に落ちる、ということを結構繰り返しました。

 

ゴミ拾いの時に近所のおじいさんと初めて喋ったら

彼の人生物語を全部聞かせられた…。いつどこにいて、ここであの怪我をして

その時は誰がどう言ってきて、ここに行った時はあれがあって

この家はいくらで買って今はいくらで、などなど…

んまー喋る喋る。

またいつか道で会ったら挨拶でもしようと思います。

名前はデビッドさんだそうです。