アンジュルムとZOCのどちらのカテゴリーにしようかと迷ってたが、対象楽曲がアンジュルムの曲なので、アンジュルムカテゴリーで投稿。

 

デトロイトヒットマンさんのブログ「神話の中で生き続ける楽曲」コメントきっかけでの続きの話である。ぱるるオタのデトロイトヒットマンさんがぱるるの卒業ソング『Better』を紹介されていて

 

 

そのMVを観ていたらアンジュルムの最後の1期生・あやちょ(和田彩花)の『夢見た15年(フィフティーン)』の卒業ソングを思い出したというわけだが、自分は数ある卒業ソングの中でもこの『夢見た15年』が一番好きだ。さきほども確認のためにMVを見返したが何度観ても泣ける。

 

 

この曲の作詞をしたのがアンジュルムの前身・スマイレージ時代からのあやちょの盟友であり、同期のライバルでもあり相方でもあった福田花音、即ち現在ZOCの巫まろなわけだが、この曲はスマイレージ〜アンジュルムの楽曲の歌詞をオマージュとして随所に散りばめた引用の織物として構成されている。

 

noteで円衣めがねさんという方が「アンジュルム『夢見た 15年』のMVが配信されたので少し深く語ってみる」でMVの歌詞付きスクショを貼って文字通り深い洞察を加えられているので、詳細はそちらに委ねるが、発売されたのが2019年4月10日で、奇しくも同月30日にZOCは『family name』でインディーズデビューを果たしている。

 

確かZOC結成段階で大森靖子から加入の打診を匂わせられたような話もあったように記憶してるが(ちょっとうろ覚え)、当時のまろはグループは卒業しても作詞家としてハロプロの事務所には所属していて、その辺の事情で加入を見送り、口惜しく思っていた頃のはずだ。大森靖子ファンであり、友人でもあったまろはデビュー前のZOCの活動を恨めしく(笑)指を咥え見ながらこの曲の作詞を手掛けていたのだろう。

 

だからこの歌詞は大森靖子を通って来た人が書く歌詞であり、アイドルの卒業ソングにありがちな、ちょっとした抵抗のエピソード程度のことが思い出としてパッケージ化されて語られる歌詞とはワケが違う。この歌詞自体がアイドルの卒業ソング(アイドルの卒業イメージそのもの)の典型に抵抗し、未来を向いているのである。それもまろ卒業後をも含むグループが歌い継いで来た楽曲の歌詞引用ばかりで。

 

そのような試みはある意味自分の言葉で語ってしまう方が簡単で、まろは「パズルのように組み合わせていく作業はとても楽しかったなぁ」(福田花音「夢見た15年/わたしの夢見た15年」)と述懐しているが、それは技術的に簡単そうに見えて決して簡単ではなかったはずだし、卒業後もそのグループに深くしつこく(笑)愛情を降り注いでいないと出来る所業ではない。

 

先日の名古屋のまろ生誕ライブのときにも、まろは「歌を歌うために生まれてきた人生でありたい」と言っていて、ZOC加入後は作詞の仕事はZOC以外でオーダーがあれば受けるけど…といったスタンスで、自分が所属するZOCの楽曲で作詞するということには完全にフタをしてしまっているように伺える(ZOC加入前後の頃の作詞されたCUBERS『Yeah! 僕らは変わらない』も軽快な心地良い歌詞だった)。

 

 

それは大森靖子という天才がいて、その歌を歌える場所がZOCで自分が作詞なんて〜とまろは考えているのだろうが、その天才の前で自分は凡庸などと決めつけず『夢見た15年』で見せた抵抗力をレジスタンス集団であるZOCの内側においてもチャレンジしてほしいと思う。もちろん簡単にOKは出ないだろうし、またヒステリーを起こされる可能性もあるかもしれないが(昨夏のヒステリーの要因がまろの不倫だったなら、全く以て腑に落ちるけど🙊)、大森靖子を仮にそう感じても「天才」の言葉で括ってしまうこともパッケージ化であり、ZOC自体の自家撞着に繫がりはしないだろうか。

 

『夢見た15年』を書いた人間にはその挑戦権があると思う。

あやちょが相方だったまろにしか書けないZOCの曲があるはずだ。

 

参考:PRESS 福田花音「情報解禁。1」「情報解禁。2

 

 

PS.

まろがZOCデビューしてからしばらく経った頃のまろのインスタライブのコメントで『夢見た15年』を間違えて「夢見る15年」と書いてしまったことがあった。その頃はまだアンジュルムやスマイレージのことを掘り出したばかりで、スマイレージ楽曲『夢見る15歳』(この曲のアンサーソングが『夢見た15年』とも言われている)と混同してタイトルが記憶に定着していなかったため、そのような誤記入をしてしまったわけだが、まろはそれに触れなかったがきっと目には止まったはずで、それはとても申し訳ないことをしたな〜と思っている。歌詞の、特にタイトルへの思い入れはとても強いものだったはずだから。

 

『夢見た15年』には一字一句無駄な言葉や字句がない。

そのような神聖なるものを読み間違えてはいけないのだ。