卒業式、、、

正直、私は友達という友達がいなかった(話相手は普通にいる)ためいきたくなかった


でも、久々にLINEのグループで発言して集まるとそう思っているのは自分だけだと分かった


自分で勝手に人を疑って友人を信じれていなかったのだ

自分で勝手に壁を作っていただけだった

愚かな自分を恥じた



1,2年の頃は自分のプライドを守ることで必死だった

自分を出さなければという自己チューに溺れていた

そして受身を取れず遠ざかる、苦手意識を持つことで自分を守っていたのだろう


「自分はすごい人でない」

と思うことは大事だ

他者を素直に尊敬できる

ノリで悪口を言われても言い返すというしょーもないくだりを失くすことができる



そんなことで今日は楽しい呑みだった

このメンバーとは一生の付き合いでありたい
他人(日本人のみ?)に自分をできる人に見せる方法は

1,ルックス

2,声

3,学歴

4,発言

に気を使うことが大事だと今回のニュースで私は考えた



やはりできる人は特に①ができてるように感じる

スッとしたスーツ、きれいな靴、ピシッとした髪型、ハンカチ持参しているイメージがある。


これだけでも効果がある希ガス


なお、声もあればよい、

4なんて声質がよければある程度の内容に思わせれると思う


学歴はどうしようもない



身なりに気をつけようと思うニュースだった

CSでドラマ「ウシジマくん」一気見やってる

内容は現実の最底辺を誇張した最凶底辺の人々が出てくる

こんなに見ていて嫌になるドラマはあるだろうか

確実に一気見に適したドラマではない


誇張していると分かっていても怖くなる

それは私の今が安定していないからだろう




大金持ちだったらいくら見ても屁でもないだろうの

外の環境は自分の環境で見え方が異なる

真実とは十人十色だ





でも、ぱぴこは私がどんな状況でもかわいいと思うだろう
私が苦手な人間は自分を一切疑わない人だ。

記憶のような確実でないことでも自分は正しいという考えの人だ。

そして、そういう奴は相手は間違えていると批判する。

愚かだ。


さらに間違っていた場合も完全には認めない。

滑稽だ。


昨日の三中がクビになっためちゃイケでまあ当然のごとく、やらせだのの声があがっている。

私は極論やらせでもいいと思っている。

ドキュメンタリー以外のテレビは良い意味でも悪い意味でもエンタテイメントだと思う。

まあ昨日はメンバーの多くがやらせでないと断言してたので信じるだけだが。


あと、三中がかわいそうという奴は劇場に脚を運んべばいい。

そこで大笑いしてあげれば良い。

三中もそれを望むだろう。

でも実際そこまで愛がある奴は1パーセントもいない。

かわいそうという大義名分で批判したいだけの輩ばかりだ。




かわいそうという言葉は簡単に批判の材料として使うべきではないと思う。

本当に当人を思っていない人は使うべきでない。

三中本人からしたらきっと0からやる方が芸人として成長するはずだ。




脱線するが前に大学の帰り道で募金箱を持って大声で募金を募る中学生か高校生がいた。

ひねくれ発想の私からしたら募金したら大声で「ありがとうございます」といわれるのが目に見えていきたくなくなった。

多くの人は近い発想をしてたと思う。

それほど大声だったからだ。

募金を募る人は通行人にいかにお金を出してもらうかが重要だ。

それが本来の目的だ。

大声を出すのはパフォーマンス、自分の努力した姿優先で募金をする人のことなんて一切考えていない。

もし自分が通行人だったらという相手の立場に立てていない。

そして、お金を出さない人を悪人だと考えるだろう。

なぜなら、自分は努力したのだからという理由で。



世の中相手の立場に立つのは大事だ、

それができなければただのオナニーにすぎない。



最近ジムに通っている。

ジムに通う理由は健康維持、かっこいい自分が好き、筋肉に憧れ、モテたい辺りがあるだろう。


私はモテたい9、健康1だ。

それが活力というか使命感で行っている。

故にトレーニングが辛い時はかわいい女性を思い持ち上げる。


このように努力しているのはピース綾部のおかげだ。

白馬ですら努力しているのだ。俺は豚だ。(デブという意味ではない)

努力をしない豚はただの豚だ。

マキバオーみたいだな。


目標は見た目だけでもよく見られたい。

彼女いそうと思われたい。



何かのスレで見たが女性はモテる男子が好きらしい。

少女マンガも学年一のモテ男が地味な女主人公を好きになるというパターンが多い気がする。

伝聞ではやさしい男よりモテモテ男の方が結局主人公と付き合うオチが多い。

そのため、男から見たらしょうもないチャラついた男が案外モテるそうだ。


つまりモテるためにはモテそうな男になる必要がある。

そのため整形以外で考えれば、ファッションと体型が努力可能な部分だ。

ファッションは基本シンプルな服しか着ないためそこまで大きなチェンジは必要ない。

次に体型だ。

私の今の体型はデブではないが、筋肉がほぼ0だ。

そのため現在筋トレしている。



これが今の私の努力だ。
私は1万5千円以上の服を買ったことがない。

服はシャツコーデで十分だ。


しかし、靴はほしい。

ドクターマーチンの赤いブーツは2万以上した。

しかし気に入っている。

かっこいい。

あとスニーカーも好き。

靴がすき。

おしゃれは足元から。

いや足元だけ。
先週のオイコノミアで「モテの極意」をピース綾部が語ってた。

綾部は顔がいい。

しかし、その顔でもモテるために努力していると知り、自分の愚かさに気づいた。



この努力は経済学的に言えば研究開発のようなものだそうだ。

顧客(=女)の需要に沿うための努力だ。

つまり、そこにはやはり時間、資金の投資は不可欠であるだろう。

LINEの速度のまめさも時間の投資だろう。


次に外見だ。

清潔感はもちろん相手の好む服を着るべきだそうだ。

つまり顧客主義だ。

綾部は例として、シャツ&ジャケットを提示していた。

私は服に興味がないためこの服装をメインとしようと決めた。(スニーカーもブーツも映えそうだし)


そして、出会いの場を増やすことが大切だそうだ。

サークルなり婚活パーティーなどだろう。


次にデートだ。

綾部が言うには初回ははずれのない場所に行き、その場で次回のデートの情報を集めるそうだ。

つまり、顧客の情報収集だ。



綾部はストライクゾーンが広い。

つまり、パラメータを上げておいた状態で多くの女性と会っているということだ。

つまり、効率的だ。

私とは真逆である。


正直、顔だけでモテてると僻んでいたが、この番組視聴後はぐうの音も出なかった。

ジャケットは金貯まってから買おう、今セーター×2しかないからジージャンでも買いに行こう。



なにより問題は出会いの場だ。

いつか書いたが、集団が苦手なためめんどうで仕方ない。

リア充集団ともヲタク集団とも馴染む気がしない。てか、馴染めなかった。


そういえば、時々ニュースで「おじさんがjkにみだらな行為をした。出会いはSNS」ってあるけど、どこのSNSだよ。

どこだおい。おい。

教えろ。おい。おーい。



まじで





私は大勢の場が嫌いだ。

大勢を見るのは嫌いだ。

なぜなら、全体の調子が上がっているからだ。

集団心理のギアがめいいっぱい入っているいるからだ。


私は主観と客観では客観のパーセンテージがでかい人間だ。

常にその場にいない架空のもう一人の自分の視点がある。

そのため、自称おもしろい奴のテレビの真似は何もおもしろくないし、それがウケている状況がしょうもないと心から思ってしまう。

笑っている奴も行っている奴も自分とは違う種類の人間だなと思う。

バンドのライブでもファンのしょうもないノリがあるとそのバンドが少し嫌いになってしまう。

曲は好きだけどね。



私にとって大学は集団心理の集合体のようなものであった。

仮入部したサークルでのノリは寒く、つらく入部を断念してしまった。

そのため、サークルにも入らず、大学の友人や高校の友人と適当に楽しんだだけで終わってしまった。

正直、愚かな人間だなと自分で思う。

でも、集団が苦手なので仕方ない。

故に、今までの人生は割かししんどかった。いやだるかったが適切か。

学校は集団の集まりだ。

私は多くの集団に属すタイプではなかったので適当にひとつのグループに依存していた。

それでこなしていた。


しかし、大学はいくつものグループに属すタイプが多かったため、私みたいな一つのみに属する者にとっては向いていなかった。

それに多くに属している相手を信用することもできなかった。

そのためあまり楽しくなかったというのが正直なところだ。



その代わり、サシで会うのは好きだ。

相手の気持ちだけを考え会話でき、信用できるからだ。

私からしたらそっちのほうが楽しい。



しかし、社会は友達多いのが人として成っているという風潮がある。

多くの人と仲良しこよしやっている人が正しいとしか信じない。

いじめられっこはこの風潮に殺されそうになっていると思う。

就活では積極性、協調性、チャレンジ精神が大切だと言われた。

ぼっちのいじめられっこより、集団いじめできる奴の方が社会に向いているのだ。

世知辛い世の中だ。いじめのことは後日また書こう。



私が目指しているのはは友達5000人いますみたいな人でなく蛭子能収だ。

このことも後日書こう。

何か人災などの事故が起きたときの亡くなった方の友人のインタビューは何の意味があるのだろうか?


良い人でやさしくてムードメーカーの人が死ぬのが悲しいのでなく

罪のない人が死ぬことが悲しいのだ。


被害者が根暗やいじめっこであれば死は悲しくないのか。加害者は悪くないのか。

そんなことはない。


最近では、フェイスブックやツイッターの情報を探り、写真や内容を取り上げたりしている。

意味のないことだ。

誰のための報道なのか疑問である。


そんなことに時間を割くなら、メディアは他の報道や番組作りに尽力した方がいい。


もちろん、死者を冒涜しているわけでない。

むしろ、SNSの情報を表に出し、変にいい人と枠に当てはめる方が被害者のためになっていないと思う。


このような意味のない情報を載せるから、新聞離れやテレビ離れになるのだ。

ネットの方が必要な情報だけ得ることができるためだ。

都合のいい部分だけ取り上げても、自ら気軽に調べられるネットが普及している現代では通用しない。

様々な角度から見ることができるため、張りぼてはばれる。