私は美人すぎる○○が嫌いだ。

もちろん美人は好きだ。

AVも顔で選ぶ単体タイプだ。

しかし、美人すぎる○○は嫌いだ。


なぜなら、美人すぎる○○はそのジャンルを脅かしているからだ。

世の中において住み分けは大切だ。

楽器のプロが歌手になり、面白い者が笑いを取り、料理の上手い者が料理をするべきだ。

それが各々のジャンルのクオリティーを向上させるはずである。

そこに美人が介入すると、多少のクオリティーが低くても支持者が多く現れ、時に技術の高い者より多くの金銭が動くのである。

そのため、本来の技術者が高い評価を受けなくなりかねないのである。


昨今の音楽業界にも顔ファンが多くおり歌手自体が望まなくても事務所がアイドル的路線に乗せたがるのである。

声優も顔ありきになっているため、ブスが少ない気がする。


つまり、ただでさえ生きづらいブスの生きる道がさらに減っているのである。

そのため、私は美人すぎる○○が嫌いだ。


しかし、美人が技術も上回る時がしばしばあるので、世の中の不公平さに悲嘆するばかりである。
自分のことはバカだと思う。

特に社会の知識が乏しい。


世の中は格差社会である。


話によると現在の価値観は個にあるそうだ。

昔は国、社会、会社などの価値観を皆、重要視していたそうだ。

そのため、現在は自分の時間がほしいため、役職につきたくないと言う若者が増えたそうだ。


そして、経済も個になっている。

例えば、会社に属さなくてもFXやサイトの広告収入などで莫大な財産を稼ぐ者もいる。

一方で、会社に属して働いても貧乏なワーキングプアという層もいる。



これらは極端な例だが、金にかかわる機関が細分化されいているため、そこをしっかりするだけでも残る金が変わってくるそうだ。

例えば、ケータイ代でも素直に三大携帯会社の適当なプランにする者とSIMフリーなどでやる者では月ごとに値段がだいぶ違うそうだ。(わいも分からない)

あと、銀行に貯金するよりどこどこにとか、保険でもネットの保険の方が安いとか様々枝分かれしている。


今までは普通の選択肢を選べば間違いなかっただろうが、選択肢が増えた現代では多数決で正解は決まらないそうだ。

なんとめんどくさい時代なんだ。

グローバル化とはめんどくさいものだ。

村社会の方がルールが少なくて楽だ。


「井の中の蛙大海を知らず」

私は大海を知らなくても、自由に泳げて空が見えるなら十分だ。
私の好きなものは音楽とお笑い
次にぼちぼちアニメとアイドル辺りだ。


アニメは今は「おそ松さん」「だがしかし」「おっさんとマシュマロ」を見ており、「亜人」、「僕だけがいない街」を録画している。

アイドルは今現在はそんなに興味ない。音楽は好きだけどね。

お笑いはラジオだ。


有吉のサンドリ、ダイアンのよなよな、オードリーは必ず聞いている。

バナナムーンとメガネびいきとTENGA茶屋は1ヶ月遅れくらいで録音したのを聞いている。


故に今一番の趣味は音楽だ。

特にヴィジュアル系だ。


本格的にV系に興味を持ったのはゴールデンボンバーからだが、

あらびき団のEDの曲いいなと思ってたらシドの2℃目の彼女だったので本能的に好きだったのだろう。。。


そして、まあ今はゴールデンボンバー、R指定、ABC、Janne、シド辺りの曲が好きだ。

ゴールデンボンバー、R指定はライブに行ったことがある。

ガゼット、ナイトメア、己龍、ViViD、Xなども好きだ。

とりあえず、V系の曲が好きだ。



最近のJPOP業界は、カラオケで歌いやすい、頭に残りやすい、共感が重要なようだ。

そのため、キャッチーな曲(きゃ○ー、カナ○ーン)や恋愛ソング(バックナ○バー、西野○ナ)ばかりになっている。

悪く言えば、商業的ソング。

そして、昔のバンドブーム時はかっこいい曲が主流であったが、現在のブームはおしゃれが主流のように感じる。(ゲス○極み、サ○ナクション)


そのため、かっこいい曲を作っているのはあまりいず、v系が好きになったのだと思う。



ミッシェルやGLAYやブルーハーツのようなかっこいいバンドが増えてほしい。(9mmはかっこよかった)

ブランキーのようなかっこおしゃれなバンドもほしい。



ゲスもバックナンバーもカナブーンも好きだが、かっこいいバンド増えてほしい。





PS.今はゴールデンボンバー「欲望の歌」「おはよ」、R指定「終身旅行」、シド「いつか」「乱舞のメロディ」「V.I.P」が好きだ


おぎやはぎがラジオ番組で「草食系男子と肉食系男子の法則」に大ウケ 「ブスが発言力を増してきている」
http://news.livedoor.com/article/detail/9081075/


最近、ブスの声が大きくなっていると思う。


クラブで外国人にモテるというブスが『日本の男はだめ』のように言っていた。

ネットでも女性限定のような掲示板があり、そこでは美人は悪口を言われ、ブスにはやさしい。


このようにブスが暴れている。



昨今、カラコンやメイクのようなカスタマイズでブスから派手ブスになり、

プリクラという目が大きくなり、脚が細長くなり、さも自身がその偽りの写真に写った美形かのごとく振舞っている。

まさに、裸の王様である。

しかも、その王様の周りにはイエスマンしかいないから困ったものである。

そして、その王様にブスといえばこちらが批判の対象となる。

しかし、残念ながら批判を行う者は自分より格下が欲しい偽善者か自分の好感度を上げたい偽善者か隣国の同じ裸の王様である。



このように書いたが、私はブスは別に嫌いじゃない。(私もブサだしね。。。)

しかし、性格がブスな奴は嫌いだ。

たとえ顔がきれいでも性格ブスは大嫌いだ。

近くにいたくもない。

前述したようなブスは心もブスだ。


私はブスに暗く生きろと言いたいのではない。

私はブスにはブスと自覚して明るく生きてほしいのである。

それが客観的視点だ。

それを自覚せず、ないことにして振舞うのは言わば、主観的視点のみである。

つまり、自己チューのようなものだ。



渡辺直美ら芸人は自覚している。そのため、明るくポップで見る人にも嫌悪感を抱かせない。


ブスがブスと認めていない事態は、ババアが女子と言っているようなものだ。

音痴が大声で歌っているようなものだ。

体臭がキツイ者が汗だくで電車に乗っているようなものだ。


これらは確かに自由だ。しかし、他人は迷惑しており、滑稽であることが分かるだろう。

それが客観的視点である。


自分のことをおばさんと言っている方が皆に好かれる。

音痴はヒトカラで存分に歌えばいい。そして練習してましになればいい。

体臭は制汗スプレーをすればいい。


このようにすることで裸の王様は服を着る。


ブスはカラコンやメイクよりも愛嬌を身に着けるべきだ。

愛嬌に勝るメイクはない。

無理な背伸びは脚をすくわれる。

そして、自分の欠点を認めた者は他人にもやさしくなることができる。

それが人として美形である。
「いい大学出れば幸せ」小学生の78% 9年前より増加
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/28/university_n_9105136.html

アジアの子どもの「将来就きたい仕事」に関する調査
日本の1位は男子「会社員」、女子「パティシエ」
http://www.adecco.co.jp/about/pressroom/investigation/2016/0106/


小学生ですらこのような現実主義になることは、小学生が世の中を悲観しているからだと私は思う。

子供の頃は夢を持ち、歳を取ることで様々な社会を見て自分により向いている職業や生き方を決めることが人として健全なはずだ。


そして、幸せは学歴、職業とは関係ないものだ。

もちろん、高い地位、知識や大金がある方が選択肢は多い。

しかし、それだけが目標だとそれこそ勝ち組=幸せ、負け組=不幸せの思想になり、その思想のままだと大半が幸せにはなれないはずだ。

故に、受験や就職などのいわば勝ち組負け組の分岐点で失敗し自殺などに走るのだろう。




本当の幸せとは物を持たずとも得られる。

特に治安がいい日本ではなおそうだと思う。


有名な明石家さんまの名言に『生きてるだけで丸儲け』とある。

世界一貧しい大統領と呼ばれるムヒカ前大統領は

『幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ』

と述べた。


つまり、生きているだけで幸福とは得られるものなのである。


本来このような幸せの考え方を子供に教える、植えつける場が学校なのだと思う。

しかし、現在はこのような思考の者は少ないはずだ。


なぜなら、社会が競争・大量消費社会だからだ。


幸せとは本来、競争で一位になることでもなく、人より偉くなることでもなく、高級マンションに住み高級車に乗ることでもない。

メディアはいかにもそれが幸せのゴールのように語る。

しかし、それらは彼らの目標の延長線上の一つである。

例えば、社長であれば、顧客を喜ばし、社員の家庭を豊かにすることが幸せ(目標)であり、そこで出た利益を自分にも還元しているだけである。

つまり、社長が感じる幸せは前者であることが会社として健全だ。

そして、後者になれば多くの者に不幸にすることに繋がる。




少し前、ココイチの廃棄されるはずのカツが流通している事件があった。

このニュースで感じたことは何よりもったいないであった。

子供の頃、誰もがいただきますで食物に感謝し、残すことは極力禁止されていた。


しかし、社会では多くの食物が廃棄されている。

そして、今回、流通したのは廃棄されるはずのカツであったが、食中毒などの事件には発展していない。


食べることが困難な人は外国の貧困な国でなくこの国にも大勢いる、一方で廃棄は行われている。

国の中でこのような入れ違いが行われていてはいけない。

これはココイチを批判しているのでもなく、廃棄しなかった会社を擁護しているわけでもない。

社会の異常性を批判している。



私は多くの者が幸せと感じれる国が国として、人として裕福な国であると思う。

この競争社会、格差社会だと多くの屍の上に幸せが成り立つことになる。

そのような国は金持ちのためだけの社会である。

発展で人を殺しては意味がない。多くの者に幸せを与えることが発展として正しいはずだ。
私はネットのコミュニケーションが苦手だ。

なぜなら、現実社会以上に皆、自己顕示欲が強いからだ。

そして、虚言壁も加わり、虚栄心の塊のようになるからだ。

ツイッターではウソを吐き目立ち、ニコニコ動画では顔を隠し人気になり、アメーバピグでは顔や服を着飾り美形になる。


彼らは現実社会の自己像の歪みを隠し、ネットで自分が望む自己を形成している。

私は現実のコミュニケーションですらめんどくさい。

なので、顔を隠し自己を着飾ってまで着飾った他者と不毛な会話をしようとは思わない。



私もネットでは現実で言えない思いを吐露している。

しかし、これはいわばオナニーだ。

自己完結である。

顔を隠しているからこそ本心を語れる。


つまり、私は現実で抑圧された本心をネットという仮想世界でぶちまけている。

しかし前述した、ネットで着飾る者達は仮想世界でも着飾っている。

ということは、彼らの本心はどこなのか?

2ちゃんねるなのか?

じゃあ、現実世界の顔、仮想世界の顔①、仮想世界の顔②、仮想世界の顔③、、、があるのか?たぶんそうだろう。



んー

複雑だ。


ネットのない時代にはこのようなことはなかった。

これも生物の進化なのか?

ダヴィンチの若林のコラムは勉強になる。

私は若林に似ている部分がある。というか、よりひどい状態かも知れない。

飲み会は苦手だし、人に会った後に反省会を心でするとまあ生きる才能に欠けている。

なので、若林のコラムを参考に過ごし方を練っている。



今回の若林のコラムは『心の活気』の話だ。

内容は野球に盛り上がる奴は勝つことが生活の活力になる。アイドルの握手会、ソシャゲー、占い、宗教も生きる活力を生むものだ。そのため、没頭している。

しかし、そこに掛ける時間や金が生活に支障を来たすほどになってはいけない。

あくまでつらい現実をぼかすためのものである。

というものだ。



これには納得だ。私も自分に関係ないサッカー観戦してるやつは理解できないし、いい意味でも悪い意味でもなくアイドルヲタクと同じだと思っていた。

てか、国民全員が好きと勘違いしているサッカーヲタクの方がよっぽど厄介だと考えていた。

しかし、この若林の考えですっきりした。それで実際に脳内に活力が生まれるのだから仕方ない。



ゴールデンボンバーの鬼龍院翔は音楽は宗教であると述べている。また、現代の音楽はすがる物になっていると述べた。(Youtube 淳子の部屋第12回 part2)

ゴールデンボンバーの『ギーガー』という宗教がテーマの曲に『お金を払って楽になるならそれでもいいと思うよ』という歌詞がある。


まさにそうである。日本人の宗教心は音楽やソシャゲーやスポーツなどに向いており、いい影響を自分に与えている。

アイドルの握手会だってヲタクが自分のお金を払って生きる活力を得ているなら何よりだ。

しかし、それらはあくまで辛い現実の世界をぼやかすためのものであり、現実世界に多大なマイナスをもたらすことは間違いである。

そして、その別世界で得た一喜一憂は自分にのみもたらし、他人に迷惑を掛けるものではない。



私の生きる活力はAVとお笑いのラジオである。

来週も聞きたいからという意味とより可愛い娘のエロイシーンを見たいという意味で生きる活力を生み出している。

ここまで他人と交わらない生きる活力はやばいと思えてきた。

動かなければ、、、、、、



それにしても、若林、鬼龍院の考えが好きだ。