『本来の自分を生きよう』ってお話音譜

 

わたし達には、必ず両親がいる。

それは、宿命であって、みんな平等。

 

でも、生まれて一番最初に出会う人が両親だからこそ、

その距離感に、迷う瞬間ってある。

 

両親という『小さな社会』の中で、どう生きるのか。

どんなに、似ている処があると言えども、違う人間同士、

お互いに、どう自立すればいいのか?

 

ふと、親との距離感に悩んだ時のお話。

 

 

 

〜アジトでのお話〜

 

「わたし」は、大人6人で、それぞれに事業を回している中のひとり。

 

『アジト』に迎え入れられて6ヶ月が経とうとしていた。

 

突然始まった大人6人の共同生活の中で、1つ1つ、

自分と向き合う時間を、

事業を作る時間を、

 

そして、学びの時間を過ごす中で、

わたしの中の「家族像」みたいなものが浮かんできた。

 

それが、「お互いの理想を秒で叶えられる関係」

 

『アジト』の大人たちは、

そんな「わたし」の理想像に、24時間、手を差し伸べてくれる。

 

干渉しすぎることもなく、

答えを、無理やり聴き出すでもなく、

それでいて、本気で共に戦ってくれる。

 

ただただ、日常生活を一緒に送るだけでは生まれないもの。

それが『絆』なんだと気づかされる。

 

結局は、お互いに共通の敵と戦い、

その「傷」を「文字」に起こして、

伝え合えるから「きず な(字)」が言葉になり、

 

「音」となって、相手の鼓膜をふるわせ、

「想い」として心に伝わる。

 

だから、相手にとっても、「生きる」その原動力になる。

 

それが、わたしの中の「自立」だと、

ここ最近感じるわけで。。。

 

でも、それって家族間の問題と似ているなと、

思うんですよね。

 

誰でも感じたことがあるであろう「親の期待」

それは、言葉にしなくても伝わってしまうもの。

 

過去の「わたし」は、

まだまだ、親から自立できていなかったからこそ、

そこを、言葉にして、両親に伝えることができなかった。

 

 

もちろん、

親だって、自分とは違う人間でもあるし、

お互いに、1から10まで、全てわかってもらいわけではない。

 

 

ただ子は子であり、親は親、

それは宿命であるからこそ、別々の道を歩もうと考えた時、

 

そこには、お互いに説明責任が生まれる。

その責任から「わたし」はずっと逃げてきた。

 

「わたし」が選んだ道を、その理由を、

ちゃんと、伝えてこなかった。

 

 

それは、

親子関係だけでなく、

 

・夫婦

・彼氏彼女

・仕事仲間

・友達

 

どの人間関係にも言えるはず。

できれば、すれ違いは誰だって避けたい。

 

そう思うのが、普通だと思う。

 

 

じゃあ、どうすればよかったのか。

それが、前回も触れたけど、

 

周りに、きちんと自分の意見を伝えられる。

 

ということ。

つまり、自分の気持ちを1から10まで、

正確に言葉に変換できるということ。

 

そして、その中から、相手に必要な言葉を選ぶ、

その基準値を上げ続けるためにも、

学びって必要だよねってこと。

 

そんな大人になれるからこそ、

『絆』って、形にすることができる。

 

 

そういう「家族」であれば、

自分で選んだ仲間。そう言えるし、

お互いの人生にも、その全てにも、

責任を持ち合える。

 

だから、「自立」できるんだよね。と。。。

 

 

今回の " 処方箋 "それは、

自立するために、学ぼうということ。

 

それがあるから、お互いの「願い」を、

秒で言葉にできるし、

文字として、言葉として、伝えられるから、

「自分の意見」に責任を持てる。

 

そうやって、自分の基準値を上げるために、

学び続けるから、「願い」って勝手に叶って行っちゃう。

 

 

そういう空間、

それが、『アジト』。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思える「わたし」に、

今日も、出和えてよかった。。。

 

関連記事→「夫婦だからこそ、言葉にしたいこと」

 

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