暮しの手帖
編集長


松浦弥太郎さんの
サンマーク文庫


軽くなる生き方



今日は
第3章


「自分の根っこ」を見つめ直す


今でも、僕のプロフィールについて、ときどきこんなことを言われる。


「18歳でアメリカ遊学をしたなんて、チャレンジ精神があったんですね。それが今の仕事につながっているなんて、先見の明があってすごいですね」

これはあまりに美しい誤解で、嘘をついているわけでもないのに居心地が悪くなる。


なんのあてもなく、日本から脱出したアメリカ生活は、旅ではなく逃避だった。知る人もいない。
英語もしゃべれない。
人種差別も受ける。
手持ちのお金はどんどんなくなっていく。


実際は、自由に格好よく闊歩してなどいない。


アメリカ時代、それは僕の暗黒時代だった。
わざわざ外国に行って、安ホテルの部屋にひきこもっていた。

外に出ればなにかしら話さなければならないが、通じないのがわかっているから、話したくない。


だったら外に出たくない。
唯一、英語を話さずに時間がつぶせる場所が本屋だったから、今日はあの本屋、明日はあの本屋と、出勤するように通っていた。


部屋にこもっているときは、日本から持ってきたケルアックの「路上」を読んだ。


旅をしながら生きる自由。とらわれない自由。


こんなはずじゃないという思いがこみ上げた。

ひとりぼっちのアメリカで、僕を縛る人はいない。

何時に起きてもいいし、起きなくてもいい。

1日、なにをしてもいいし、しなくてもいい。
縛られないことが自由ならば、これほどの自由はないはずだった。


だが、物理的には究極の自由でも、僕の心は少しも自由ではなかった。


「自由ってなんだろう?」

18歳の僕は、また考え始めた。




自分の力で空を飛びたい。僕の10代は、ただその思いに突き動かされて過ごしていたような気がする。


僕はずいぶん長い間、自由を探していた。
迷いながら、歩いていた。いくら考えても、答えは見つからなかった。


そうして、ただ一つ手に入ったのは
「自由を探していても自由にはなれない」
という真実。


自由は、遠いどこかにあるのではなく、もっと身近で堅実なところにあるのかもしれない……。


こうして、僕は青い鳥に気づくことができた。