ワニの家は、「全壊」状態だったが、「崩壊」はしなかった。
 ワニは、母親と共に、その壊れた家に、4か月住んだ。

 避難所には行かなかった。なぜなら、避難所は、もっと悲惨なめに遭った人たちでいっぱいだったから、我々は遠慮しておこう、と・・。
 だから、配給とかも、もらいに行かなかった。


 雨が降ると、家の中に、滝や川ができた。雨漏りを避けて、体をくねらせて寝た。
 部屋の扉や、ふすまなどは、閉まらないので、開けたままだった。



 とはいえ、家は建て直さなければならないので、5月に、母親は、灘から遠く離れた北区の仮設住宅(山の中で、店とかもほとんどない所)に・・、ワニは、東灘区の山の手の職場近くの学生向けワンルームマンションに、それぞれ引っ越した。


 ワンルームマンションの家賃は、かなり高かった。 大家さんも同じ被災地の人間なのに、敷金も礼金も、一切まけてくれることなく、しっかり取られた。
 東灘区といえば、下町では、ものすごい数の人が亡くなったが、山の手は、まったく被害がなく、大家さんも、被災者に同情とか、考えもしなかったのだろう、きっと・。
 



 従兄弟が、物置や雨戸などを扱う仕事をしていたので、大阪の住宅会社を紹介してもらった。 
 ワニは、その従兄弟が大嫌いだったが、住宅関係のことは何もわからないので、仕方なく頼ることにした。今のように、個人でインターネットとか、しない時代だったから、その専門の知識を持ってる者を頼るしかなかったのだ。


 太●住宅という酷い会社を紹介された。(その会社、その後、倒産して、今は似たような名前で、また営業している。サンテレビの野球中継などで、よくCM流している。)
 


 見た目はきれいだが、壁も床も薄っぺらな安モンの家を建てやがった。
 1階と2階で、音はつつ抜け、トイレの水を流すと、家じゅうに聞こえる、冬は凍えるくらい寒く、夏は灼熱・・。
 しかも、バリアフリーにしてくれと言っていたのに、段差だらけの家だった。
 もちろん、事前に設計図とかを見せてもらったが、素人のワニに、その詳細がわかるわけない。間取りくらいしか確認できなかった・・。


 費用は高かった。 ぼったくられた。
 後から知ったんだが、営業と建築の担当の奴らは、母から、しょっちゅう、金を巻き上げていたそうだ。
 そして、営業の担当の奴は、ワニの家と同時に、大阪の自分の家を建築していて、本来、ワニの家に使われるはずの資材を、自分の家にまわしていたらしい。
 


 苦情を言うと、「あの状況で一所懸命に建ててやったのに・・。」と、恩着せがましいことを言われた。
 あの兵庫の地震は、大阪の建設会社にとっては、とてもありがたいことだったようだ。
 ワニのように、ぼったくられた人は、かなりいたらしい。





 職場には、かなりの数の、おにぎりやパンが届くようになった。
 毎日、たくさん捨てられた。
 ワニが、「避難所にいるパートさんに持って行ってあげよう」と提案すると、上司や同僚から「あのパートのおばはんと、デキてるのか?」 とか 「自分の印象をちょっとでも良くしようとしているのか?」 とか言われた。 
 レベルの低い奴らだ・・。




                             つづく


 



 お菓子や、おにぎりを自転車に積んで、売りに来ている者がいた。
 カルビーのポテトチップ1袋が、1000円。 おにぎりも、1個500円。
 安売りで有名な八百屋も、通常の3倍、4倍の値段で売っていた。
 人の弱みにつけこみやがって・・・。
 それでも、空腹な子供のために、買う人がいた。



 地震の2日後、上司から電話があった。
 「職場を片付けに、出社しろ。専務の命令だ。」と・・。

 東灘区の山手にある職場に、出社すると、出勤してきたのは、その上司と私だけ・・。
 道路、鉄道が復旧していないので、家からバイクで通勤可能な二人だけが出勤できたのだ。


 専務は「今が、儲けるチャンスや!」などと、人間性を疑われることを言ってたらしい。


 自分の家が壊れて、この先が心配な私が出勤してるのに、遠方の被害が何もなかった同僚たちは「道路が渋滞して出勤できない。」と、思わぬ休暇を楽しんでいたらしい。
 
 学生ボランティアが、手伝いに来てくれてたのに、上司が彼らのことを『アルバイト』と伝えてきたので、私は、偉そうに命令してしまった。悪いことをした。本当に申し訳なかった。
 彼らは、お菓子屋やカップラーメンなどを片付けながら、「まさか、これ、売る気じゃないだろうなぁ!」と怒っていた。最もなお怒りだ。



 地震から、どれくらい経ってからだったか・・・、JRが復旧してすぐに、大阪まで、お風呂に入りに行った。
 義理の兄の会社の寮が大阪にあり、そこで、そこの会社に勤務する社員の家族や親戚は入浴させてくれた。


 大阪に行って、びっくりした。別世界なのだ。
 ネオンが燦々と輝き、ハイヒールを履いた女性が歩き、飲食店も普通に営業している。
 すぐ、お隣なのに・・。
 いや、別に、大阪の人に何の罪もない。 いつもどおりの生活をしてくれれば、いいのだ。
 ただ・・・、目と鼻の先で、この違いは何なんだ? と・・。
 


 夜はほんとに、怖かった。
 真っ暗なので、バイクで走っていたら、突然、目の前に倒れた家が・・なんてことは、よくあった。
 気が付けば、いつの間にか焼け野原の真ん中にいて、そこからどうやったら引き返せるのか、わからなくなったこともあった。



 住民がいなくなった家や店に、わざわざ遠方から、盗みに来る輩がいた。
 レイプ目的で、やって来る輩もいた。
 灯りもなく、警察官も無力な街では、盗みやレイプは容易いことだったのだろう。
 単なる噂だといいのだが、被災者にレイプされたボランティアの女性もいたとか・・。

 


 テレビ局や新聞社のヘリコプターが火災を大きくしたことをご存じだろうか?
 また、テレビ局のクルーが投げ捨てたタバコで火災が起こったことをご存じだろうか?


 そういうこと、マスコミは一切伝えないですよね。 いや、伝えられないか・・。


                       

 つづく。
 

 毎年、この時期に、この話を書いています。
 過去に読んだことがある方、お許しください。
 


1995年1月17日 午前5時46分52秒  神戸市灘区

 キングコングが、私の家を掴んで揺さぶった。
 いや、まじめに、そう思ったのだ。

 とっさに、布団の中で身体を丸めた。
 
 テレビやタンス、何百本ものビデオテープが、私めがけて飛んできた。

 揺れてる時間が、かなり長く感じた。

 揺れが収まり、身体を起こしたものの、まわりに、いろんなものが散乱し、土壁がはがれて、床はザラザラ、素足で歩くには危険な状態だった。

 しかも真っ暗で何も見えない。


 私の部屋は2階なのだが、1階には、母と姉、4歳の姪が寝ていた。

 1階から、まったく声がしない。

 「まさか・・、3人とも・・」

 
 私は、姪の名前を叫びながら、手探りで暗い階段を降りた。

 1階に降りると、母や姉が、「しっ!静かに!寝てるから」と・・。

 なんということだ。あの激しい揺れの中、姪は寝ていたのだ・・。


 仏壇、テレビ、タンス、冷蔵庫・・・、すべての立っているモノが、すっ飛んで、倒れていた。
 ただ、奇跡的に、母も姉も姪も、かすり傷ひとつ負ってなかった。


 しばらくすると、会社の上司から電話がかかってきた。
 「大丈夫か?」
 「はぁ。家の中がめちゃめちゃなので、片づけたいので、今日、遅刻してもいいですか?」

 こんな呑気な話をしていた。
 
 と、いうのは、この時点では、街が火の海になるような大惨事が起きてるとは、思ってもいなかったからだ。

 大阪のラジオ局も「大きな地震がありましたねぇ・・」くらいのことしか言ってない。
 (すぐ隣の大阪でさえ、神戸の惨事に気づいてなかった。)


 しばらくすると、義兄(姉の夫)が、東灘区からパジャマ姿で、走ってきた。
 
 義兄の実家(灘区)は、1階部分がペシャンコに潰れたらしい。
 義兄のご両親は、2階で寝ていたので、なんとかご無事だったようだ。

 姉と姪が、昨晩から我が家の一階に寝ているのを知っているので、ここも、一階が潰れたら・・・と思って、走ってくる間、心配で心配で仕方なかったようだ・・。
 

____  ____  ____  ____  ____


 いつまで経っても、日が昇らない。

 おかしいな? そう思って、窓を開けると・・・。

 いつまでも暗いはずだ。
 黒煙のため、太陽が見えないのだ。


 私は、外に出てみた。

 私の家の少し南に、山手幹線という道路があるのだが、その南側は、火の海だったのだ。

 道路沿いに、焼け出された人たちが、パジャマ姿で呆然としていた。


 突然、そのうちの一人が、私の腕を掴んで、泣き崩れた。

 以前、私が雑貨屋をしていた時、商品を卸してくれていたF君である。

 聞けば、F君は、崩れた家から、なんとか這い出したものの、ご両親は「熱い!熱い!」と悲鳴をあげながら、生きたまま焼かれて、亡くなったらしい。

 「俺は、親を殺した! おやじもおふくろも助けられなかった!」

 そういって泣くF君に、かける言葉はなかった・・。

 近くで、車が爆発した。
 ガソリンを積んだ車は、火災現場では、爆弾になる・・。


 F君の叔母さんが、兵庫区にいると聞いて、私は、車でF君を送ることにした。
 おふくろに、近所の惨状を伝えるため、そして、車のキーを取りにいくため、急いで家に戻った。
 途中、「おい!手を貸してくれ!」 と、声をかけられたが、申し訳ないが無視した。

 駐車場に行くと、私の車は無事だった。


 下町は、火の海だったり、倒壊した家で、道がふさがれていたので、兵庫区まで、山の手の道を走った。

 阪急電車の線路より上は、家の倒壊もなく、コンビニの前には、行列が出来ていた。


 車の中で、冗談を言って、F君を笑わせた。
 こんな状況でも・・、親が死んだ直後でも、笑う。
 これが、後に復興の力として顕れる、関西人のパワーなのだ。


 兵庫区でも、あちこちから火の手が上がっていた。

 「叔母さんも焼け死んでいるかも・・」
 F君はそう言った・・・。

 
 F君の叔母さんの家の近くで、彼を降ろした。
 悪いが、一緒に叔母さんを探している余裕はない。
 今頃、灘区の私の家にも、火が迫っているかもしれない。
 近所にガソリンスタンドもあるし・・。

 無一文になったF君に、2万円と、テレホンカードを渡すと、私は、灘区の家まで急いだ。

 道は大渋滞になっていて、家にかえるまで、かなり時間がかかった。
 被災地のど真ん中に、年寄りの母を置いて、遠く離れた自分を責めた・・・。



 幸い、家のほうまでは、火は迫ってきてなかった。


 午後、バイクに乗り換え、東灘区にある職場に向かった。

 道端で、毛布にくるまって震えている老人。
 顔から血を流している女の子。
 泣いてるオッサン。

 途中、見たくないものばかり見た。


 職場は、食堂である。
 1階には、パンやお菓子を売っている売店もある。

 外国なら、こういう状況では、ガラス窓を破られて、商品はからっぽになっていただろう・・。
 だが、さすが、日本だ。
 店は荒らされてなかった。


 食堂の中を点検していると、何人かの若者が、窓から入ってきた。

 「1階の売店を開けてくれ」 と・・。

 だが、私は、売店のカギを持っていない。

 「なら、食堂にある食べ物をわけてくれ」と・・・。


 そこで、私は、その後、ずっと後悔し続ける対応をしてしまったのだ・・。

 「私の一存では決められない。それはできない。」と・・。

 なんと、馬鹿なことを・・。

 今から思えば、ポテトサラダとか、かまぼことか、卵とか、食べられるものは、なんでも、分けてあげればよかった。 どうせ、数日後に、すべて捨てることになったのだから・・。


 それに、その時の私は、まさか、まさか、日本政府が、何日もの間、我々被災者をほったらかしにするとは、夢にも思っていなかったからだ。

 当日中にでも、食糧や生活必要品を、政府が配給してくれるだろう、と思っていたからだ。


 若者たちを追いだしておきながら、私は、かまぼこと牛乳を持って、家に帰った。
 最低な奴だ、私は・・・。


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 家に帰って、改めて、家のあちこちを見てみたら・・・。

 私の家は、かなり古い木造の家屋なのだが、つくづく、「昔の大工さんはいい仕事をしている。」と思った。
 大黒柱はしっかり立っているのだ。
 が、何十年もの間に、何回も、増築、改築していて、その部分の損傷が激しかった。

 私の部屋は、後から増築した部分が、本体から離れてようとしていて、壁には大きな亀裂ができていた。

 どこの部屋の扉も引き戸も、閉まらなくなった。

 家全体が、歪んでしまったようだ。

 瓦は、ほとんどが落ちたため、後日、雨が降った時は、家の中に川が出来るほど、雨漏りがした。

 

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 夜・・・。

 私の一生のうちで、一番寒くて暗い夜だった。

 すぐ近くに小学校があり、近所の焼け出された人たちは、小学校で、もっと寒い夜を過ごしたことだろう・・。

 いや、それ以上に、その時点でまだ、倒壊した家屋の下敷きになって、救助を待っている人もいたのだ。その人たちが一番辛かったろう・・・。


 デマが飛んだ。

 家を失った人たちが、食べ物や女を求めて、襲いに来る、と・・。

 私は、バットと、ライフルのモデルガンを抱えて寝た。

 余震が起こる度に飛び起きた。


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 翌朝、知人が、おにぎりを持って、訪ねてきてくれた。

 おにぎりという食べ物が、こんなに美味しいものかと思ったものだ。


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 以上、簡単に、地震当日の私の行動を書かせていただきました。


 腹が立つのは、結局、誰ひとり、救えなかった、いや、救おうとしなかった自分自身。
 何万人もの人が苦しんでいる最中、いつもと変わらぬ生活をしていた村山首相や、燃えさかる街を見ながら、自宅前で何時間も迎えの車を待っていた貝原兵庫県知事。
 「空母で負傷者を運んでやる」という米軍の申し出を断った神戸市。
 その他、もろもろの、役人ども・・・。
 テレビで、燃える街の様子を見ながら、思わぬ休暇ができたことを喜んでいた職場の同僚ども・・・。

 他にもいろいろ、許せないことが・・・。


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 亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
 

 


今年のクリスマスプレゼントに欲しいもの【投稿すると本当に貰えるかも♪】 ブログネタ:今年のクリスマスプレゼントに欲しいもの【投稿すると本当に貰えるかも♪】 参加中
本文はここから


 クリスマスに欲しいものは、正直、いっぱいあります。

 でも、アメーバのスタッフさんが困らないよう、手に入りやすい家電商品を希望します。


 それは、掃除機です。

 私は、一人暮らしのオッサンです。

 料理、洗濯、掃除、すべて自分でやりますが、その中で、一番手を抜いているのが、掃除です。

 やっぱ、めんどくさいです、掃除は・・。

 

 今、使ってる掃除機は、14年も前に買ったハンドクリーナーです。 あんまり吸ってくれません。

 たぶん、私の部屋は、ダニだらけでしょう。(><)


 そこで、クリスマスには、ダイソンの掃除機が欲しいです。


  Dyson Digital Slim DC35 マルチフロア DC35MH




ひとくちに ダイソンの掃除機と 言っても、いろいろありますが、 私の住む1LDKなら、このサイズの掃除機で十分かな?と思います。


 アメーバサンタ様、ぜひとも、一人暮らしのオッサンが、まともに掃除できるよう、このダイソンの掃除機をプレゼントしてくださいませ。m(_ _)m




アメーバブログ Xmasキャンペーン2014~ブログに書いた「欲しいプレゼント」が本当に届くかも~






















 先日、新作『GODZILLA』を観てきました。


 以下の文章は、私が 某映画紹介サイトのユーザーレビューにコメントした内容です。

 そのまま、コピペします。



  「ゴジラが原点に戻る」というようなことを、マスコミや出演者やスタッフから散々聞かされていただけに、観ていて腹立たしい気分になった。

 まず、ゴジラがほとんど出てこない。映画が始まって数十分、大変退屈な時間を与えられ、やっと怪獣が現れた、と思ったら、ゴジラではなく、ムートー・・。

 それから、ムートー対人間の戦いを長々と見せられる。


 そのムートーの姿は、ギャオスとイリスを足して2で割ったような姿。

 ストーリー展開も、1995年版『ガメラ』のパクリと言われても仕方がない内容。ゴジラは、ムートーを倒すために現れたに過ぎない。


 「ゴジラさんが、我々を助けに来てくれました。」的な感じです。


 ムートーを倒した後、颯爽と海に帰っていくゴジラ。正義のヒーローである。

 ちなみに、この映画には、反核の想いなんて、これっぽっちもありません。

 この映画が『ムートー対ゴジラ』というタイトルで、事前にたいそうなことを言わないでいてくれたら、「まぁまぁ面白かった」と言えます。


 期待が大きかっただけに、大変ガッカリしたし、腹立たしかったし、退屈だったし、悲しくなりました。


 とはいえ、観ないで批判するのは良くないので、私と同じ~昭和ゴジラ世代~の方は、観てから批判しましょう。




 はい、このようなレビューを書きました。


 更に書き加えると、ゴジラの顔が土佐犬みたいで、実にブサイク・・。



 私は、この映画を「素晴らしい」とか「最高のゴジラだ」とかいう人を批判するつもりはありません。

 ただ、この映画を「良かった」と言う人とは、怪獣に対する想い とか 生きてきてきた時代 が違うのでしょうね。



 私は、この映画に出てきた ムートー のような昆虫型の怪物が大嫌いだ。

 ああいうのを私は「怪獣」と認めない。

 白状すると、ゴジラ映画に何度も何度も出てくる モ○ラ にも、いいかげんウンザリしているくらいだ。

 ゴジラとムートーとの闘いは、ゴジラが、大きな虫を追っ払ってる、としか思えなかった。


 監督のギャレス・エドワーズは、本当にゴジラ映画のファンだったのだろうか?

 渡辺謙も、昔のゴジラを、本当にちゃんと観たのだろうか? 


 あ、そうそう、渡辺さん演じる「芹沢博士」だけど、この映画では、何の役にもたっていない。 ただの見学者だ。 あのような役に「芹沢」の名前を使ってほしくなかった。


 宝田明さんが、カメオ出演し、撮影もされたが、本編ではそのシーンはカットされた・・・。宝田さんのためにも、そのほうが幸いだったと思う。

 


 レビューに書いたように、昭和ゴジラ世代の方は、観てください。

 そして、我々の心の中にいるゴジラが二度と帰って来ない という現実を思い知りましょう。

 それは、とても悲しいことですけど・・。





 カフェスタ(2009年5月末に閉鎖したコミュニケーションポータルサイト)時代からのネット上でのお知り合いに、 あけの86 という方がいます。

 毎日のように、素敵な詩をアップされている方で、「86」をこよなく愛してる方です。

 その「86」とは、漫画『頭文字D』でも登場する車、トヨタのスプリンタートレノのことです。

 車両形式番号が 『AE86』なので、「86」 と呼ばれています。


 が・・・、私が、今、ハマっているのは、車の「86」ではなく、 飛行機の「86」、すなわち ノースアメリカンF- 86セイバー なのです。


 写真は、この1カ月半の間に、ネット販売やオークション等で買った、F-86関連の本や、F-86のダイキャストモデルです。

 




今まで、私は、プロペラ(レシプロエンジン)の戦闘機が大好きで、ジェット戦闘機には、見向きもしなかったのですが、何がきっかけだったか思い出せないけど、2か月ぐらい前に、突然、F-86が好きになりました。


 ちょっと前までは、三菱99式襲撃機(太平洋戦争で活躍した日本陸軍の襲撃機)の本を読みあさっていましたし、その前は、中嶋97式戦闘機や、三菱96式艦上戦闘機、川崎キ-28等の太平洋戦争前の資料を読みあさっていたはずなのに・・。


 ちなみに、今、巷では、零戦ブームですね。

 『永遠の0』が話題になって以来、本屋やコンビニの棚には、零戦に関する本がいっぱい並ぶようになりました。

 若い人が、それがきっかけとなり、あの戦争のことをいろいろ知るのは、いいことだと思います。


 このノースアメリカンF-86は、私が思うに、最後の「戦闘機らしい戦闘機」だったのかも知れません。

 ジェット戦闘機との空中戦といえば、みなさん、ミサイル戦を連想されるでしょう。

 でも私は、あの「ロックオン!ミサイル発射!」ってやつが、大嫌いなんです。

 ミサイルが、敵機のジェット噴射の熱を感知して、勝手に追尾したりとか・・。嫌いです。

 そこには、人間味がありません。


 このF-86は、朝鮮戦争で、ミグ15と、機関銃や機関砲で撃ち合っていました。

 そこには、人間対人間の一騎討ちの極限の戦いが見られます。


 また、太平洋戦争後に登場した機体なので、このF-86は、(事故を除けば)日本人を殺していないところがいいです。

  

 ダイキャストモデルが数社から出ていますので、またオークション等でコレクションを増やしたい、などと、毎日、パソコンとにらめっこしております。(お金があれば、バンバン買えるのになぁ・・。^^;)




 では、皆様、例年より寒い冬ですが、お身体、お気をつけください。

 



 私の住んでるマンションから、海辺の公園(と、いうか遊歩道)まで、ほんの1,2分でいける。


 そんなに近いのに、今日、1年ぶりくらいに、そこに行った。


 そしたら・・・、とても悲しい光景を見る事になってしまった。




ワニガマ怪獣金魚猫帳

 


  まだ、へその緒が付いている・・。


 死んじゃったから、海に捨てられたのだろうか?


 それとも、生きたまま、海に放り込まれたのだろうか?


 カラスが、食べようと、さらって、誤って海に落としたのか?



 どういう理由で、こうなったかは、わからない。


 でも・・・


 どんな理由にせよ、悲しい。 あまりにも悲しい。


 水面に手は届かないので、波に漂う子猫ちゃんに、なんにもしてあげられなかったが、その後も、私は悲しくて悲しくて仕方なかった・・。




 子猫ちゃんの魂が、お花畑の中で、楽しく走り回っていてくれることを、心より祈ります。

 

 その日、人類は思いだした。


 奴らに支配されていた恐怖を・・。


 鳥籠の中に囚われていた屈辱を・・。




ワニガマ怪獣金魚猫帳

























































 巨大カエルが、ついに100年ぶりに、壁を越えて侵入してきた。


 人類はまた、奴らの『餌』と化するのか・・。



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近所の美術館の屋根の上の巨大カエルを見ていたら、そんな妄想が・・。


 しかし、『進撃の巨人』 はえげつないな。


 子供の頃、『サンダ対ガイラ』 を観て、ぶるぶる震えたが、あのアニメも、私の子供時代だったら、怖くて観れなかっただろう・・・。





 私が主にブログ活動している 「ニコッとタウン」 は、写真が載せられないので、久しぶりに、こちらに投稿しました。



                             では、また。



 はい。またまた、素晴らしいゴジラをゲットしました。


 先日、広島より届いた、「マーミット怪獣天国ギャラリー版 レトロ キンゴジ タイプ」 です。



ワニガマ怪獣金魚猫帳

 

 こういう顔のゴジラは、過去のゴジラ映画には登場しません。


 が、前回の記事にも書いたように、ソフビのゴジラは、別に映画の着ぐるみそっくりにする必要はありません。

 また、私も、それを求めていません。



 今回のゴジラ、カラーリングといい、お顔といい、なかなかいい味出しています。



ワニガマ怪獣金魚猫帳


 




 また、↓このようなモノが付いています。 これを口に咥えさせ、放射能熱線を吐いているところを表現します。




ワニガマ怪獣金魚猫帳


 




 これで、オークションで買った、スタンダードサイズのゴジラソフビも18体目。


 飾るために、本棚を整理しないと・・・。


 では、また。

 読んでくださって、ありがとうございました。






ワニガマ怪獣金魚猫帳

























































 2か月ぶりに、ゴジラのソフビをゲットしました。


 今日、東京からやってきた、マーミットの怪獣天国シリーズの 「怪獣大戦争」版ゴジラ です。


 いい!!

 とってもいい!!



ワニガマ怪獣金魚猫帳
























































オークションで買ったスタンダードサイズのゴジラは、これで、17体目になりましたが、ひょっとしたら、一番のお気に入りになるかも・・・。^^


 これの造形を担当された方は、 「ソフビの怪獣がどういうものなのか?」 ということを非常によく解っていらっしゃる、と思う。


短い尻尾、大きな顔、太い下半身。


 ソフビのゴジラは、これでいいのです。


 映画の中の着ぐるみそっくりのゴジラなんて、求めていません。


 例えて言うなら、クマの縫いぐるみが、本物のクマにそっくりだったら、かわいくもなんともないでしょう?




 では、また。

 急に寒くなりましたが、風邪をひかないようにしてくださいね。