わたしが「わたし」で在れば事足りる♪
あなたが「あなた」で在れば事足りる♪
(余談)
作家の村上春樹さんがむかしのエッセイで、
「日本人は標語好き(」←村上さんはあまり好きそうじゃない感じでした(笑)。)
と書いていたことを思い出しました。
日本語の響き、リズムって奥深くて、はまると抜けられないヘ(゚∀゚*)ノ
それはさておき、
わたしは「わたし」で在れば事足りる♪ということ。
♪今回はメモ書きのようなので、読みづらさはご容赦ください♪
ずっと追い求めていた幸福感、人間的思考を突き抜けた感覚、豊かさ、
そして安心感は、
無条件に、単純に、わたしが「わたし」で在る状態のときに自動的に感じられるよう。
わたしが「わたし」として存在するのに、手段も、方法も、なんの理屈もいらない(-ω-)
小さな個人自我のわたしと、大我・大いなるいのちそのものの「わたし」が一致している、溶け合っている状態。
その統合された状態が本来の、あるいは本質の「わたし」そのものであり、絶対的な安心感・至福・豊かさそのもの。
へ~。
最近の「京都のぐり」という小さなわたしは、
「わたし」にくつろぎ、ときにのほほんとし、ときにぐでんとし、ときにごろ寝する。
ふつうに考えたら、まるでだめな人の典型のよう(´皿`●)
まあ、それはそれで、したいのだったらしたらいいです。
そのときそのときで、「わたし」であることを許すということは、大きなリズムに寄り添い、溶け合うことになるので、
ものすごくらくちんだし、いのちの流れそのものに身をゆだねることになる。
思いがけない人生が展開されるのをみることになる。
それがなぜ起きるのか、というシステム・理屈はわたしには説明できないようヽ(´∀`)ノ .:。+゜。
とりあえず、「わたし」で在れば在るほど、じゅうぶんだし、幸せだと感じる。
にこにことなるし、にやにやとなる。
「わたし」である、ということだけで、途方もない財産であり恵みをいただいているとおどろく。
これからも「わたし」の価値を知り続け、感じ続けて、その偉大さととほうもなさを体験していく気がする。
感謝って、「わたし」で在れば在るほど、自然にできる。
わたしが「わたし」で在れば在るほど、らくちんで、たのしくて、幸せなので、
そのありがたさを無性に分け合いたくなって、感謝というカタチで表現したくなる。
小さなわたしは、いらだっているときやくるしいときに感謝できない(*´∇`)ノハハハ
小さなわたしが「わたし」であることを忘れているとき、くるしかったり、つらかったりする。
くるしさやつらさは、「もう「わたし」に戻ろう」アラーム。
わたしは「わたし」で在るだけで十分だったよね、と記憶を呼び覚ますアラーム。
はじめからわたしは「わたし」に溶けていて、大安心の懐にいる。
個人自我としての分離の体験から、わたしは「わたし」そのものだった、と思い出す、統合の人生体験へ。
分離して、小さな人間意識のままに、個人自我だけでえっちらほっちらするのもいいね。
全体ひとつの「わたし」に統合・融解している感覚を思い出し、やすらぎとともにあるのもいいね。
どちらにせよ、現在のわたしは、ただの「わたし」で在ることが、ゆいいつのお仕事だということです♪
『京都のぐり』
『インスピ・ヒーリング』
【~異次元からあなたへのギフト~】
『ミニ・リーディング』
【~異次元からあなたへのメッセージ~】
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