ちょっと長文
校内一を誇る程、恐いと怖れられていたK先生。
小学1年の時に担任なりましたね。入学式の日には、みずぼうそうにかかり、出席出来なかった僕は、集合写真の右上に丸く載っています。
僕はクラス、いや、全校生徒の中でもかなりの問題児だったようで、集団登校では途中で逃げ出し、皆を遅刻させました。ちょっとしたイタズラにも泣きじゃくり座り込み、皆を遅刻させました。道に死んだ蛇を見て身体が硬直化し、皆を遅刻させました。しばらく姉の居た班へ行き、登校することになってからは、遅刻も無くなりましたが、今度は学校を脱走です。
学校から連絡を受けた母が、自転車で僕を探しまわり、他人の家の中まで追いかけられましたが、捕まって学校へ強制送還されました。
ある時は、大雨の中を脱走したものの、あっけなく捕まり、保健室へ連れて行かれました。
脱走の度にK先生が迎えてくれましたね。泥まみれにずぶ濡れで、いつもシャツとパンツを着替えさせて貰っていましたね。
給食は口にあわず、そのほとんどを残してたから、いつも最後まで残ってたけれど、いつも仕方なくK先生が片付けてくれました。
授業ではプールに全く顔をつけられずにいた僕にいらついたのか、生徒全員が見下ろす中、あなたに頭を水中に無理矢理押し付けられもしました。何だか、殺気を感じてしまい、その後は泣き崩れ、僕は記憶が無くなりました。どうなったのかは知りませんが、大変だったようですね。
5年生の時、担任がまたK先生になりました。
相変わらず授業は厳しかったですね。今は無いけど、暴行は日常でしたね。テストは満点になるまで復習で帰れなく、覚えられなきゃ、頭を机に押し当てられ、黒板消しで殴られました。
皆からは、かなり嫌われてましたよ。
そんなK先生でしたが、ある日、教卓に一枚の紙があるのを、僕は見てしまいました。
「定年退職のお知らせ」
そう。K先生はこのクラスを最後に教卓を去ることを知ってしまいました。
その日以来、複雑な気持ちになりました。
そして、一緒に卒業式を迎えられないことを悟りました。
僕はその紙をそっと先生のノート下に隠し、誰にも言わず、時が流れて行きました。
ある日曜日、母と妹と四日市ジャスコの屋上ゲームコーナーで遊んでたら、K先生が居ました。
ソフトクリームを二人に奢って貰ったのです。
そして、季節が過ぎ春になりました。
すでに学校にはK先生は居なかったのです。
少しだけ切なくもありました。
今、K先生は83歳ですね。
僕はまだ先生にお礼を言ってません。卒業式の時、先生全員と握手をしましたが、K先生が居ない為に、誰の顔も見ずに手だけを見つめ、僕は卒業しました。
K先生は、本当に子供が大好きだったんだと、今は思います。僕は相当な問題児だったのに、先生はいつも温かく、おかえり。と言ってくれましたね。本当にありがとう。絶対忘れないです。
お元気ですか?
多分、まだ生きてらっしゃると思いますが、覚えてくれているでしょうか。
会いに行きたいです。
今も温かく、おかえりと言ってくれませんか?
そして、ありがとうございましたと、伝えたいのです。
あなたは、ずっと、
僕の恩師なのです。