旧東海道歩き旅22日目のスタートはJR茅ケ崎駅からです。前回この駅に到着した時は、半分脱水症状でふらふらして地上から到着したため気が付きませんでしたが、茅ヶ崎駅は駅ビルやペデストリアンデッキが設置されたかなり大きな駅でした。

4月中旬とはいえ、20度越えの暑い一日になりそうです。

 

駅から数分歩き、国道1号線の「茅ヶ崎駅前交差点」に着き、ここを右折し旧東海道歩き旅スタートです。

 

 

    

「茅ヶ崎駅前交差点」から1分強歩くと最初の交差点の右先にこんもりした塚がありました。「茅ケ崎一里塚」です。江戸から数えて14番目の一里塚で、今は南側の塚のみ残されています。

 

塚の上には一里塚と刻まれた石碑が立っていました。

 

国道の反対側(北側)にポケットパークがありましたが、この辺りに北側の塚があったと考えられていますが、道路拡幅の際取り壊されたようです。江戸時代と同じように榎が植えられています。

 

この辺りから街道の両側には松の並木が続きました。

 

一里塚の直ぐ先にイオンのショッピングセンターがありますが、この辺りで日本橋まで58kmです。国道での道程ですが。

 

イオン前から10分ほど歩くと再度松並木が続いていました。国道1号線という幹線道路沿いにしてはよく保存されていると思いました。

 

    

松並木の途中、茅ヶ崎高校前の植え込みの中に松並木に関する案内看板がありました。

 

この辺りの松の中には幹回り2.2m、樹齢推定400年の大きな松も育っていて、その風景は安藤広重の東海道五十三次にも描かれています。

 

    

茅ヶ崎高校前から7、8分歩くと、歩道橋の先に「牡丹餅立場跡」がありました。

 

説明板によりますと、藤沢宿と平塚宿の間には、四谷、牡丹餅、南湖、八幡の4つの立場がありました。ここ「牡丹餅立場」は牡丹餅が名物なのでそのように呼ばれていました。また「牡丹餅立場」には、紀州徳川家が江戸屋敷と国元を結んだ専用の飛脚中継所である「七里役所」が設けられていました。

 

東京国立博物館所蔵の「東海道細目分間乃図」には、富士山や一里塚とともに「牡丹餅茶屋」も描かれています。

 

    

松並木は途中途切れる場所もありますが、かなりの長さで続いていました。

 

歩き始めて約50分、松並木が途絶える辺りで茅ケ崎市から藤沢市に入りました。

 

藤沢市に入ってすぐ、「大山街道入口交差点」角の松の木の根元に石碑が倒れていました。これは「霊地巡礼供養塔」と呼ばれるもので、霊地を巡礼した記念に建てられたものです。

 

かってはこのような姿でした。

 

さらに約3分歩くと「JR辻堂駅」に向かう交差点に近づきました。1時間弱でJR一駅間を歩いたことになります。

 

    

辻堂駅に向かう交差点を過ぎ約1分、左手に「二ッ家稲荷神社」がありました。

 

境内には寛文10年(1670)に建立された高さ105cmの「庚申供養塔」が立っていました。藤沢市指定の重要文化財です。

庚申信仰は、十干、十二支の組み合せによって60日に一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠らずに過ごして無病、息災、長寿を願う信仰で、江戸時代の万治・寛文の頃(1658~1672)には、仏教を背景に広く庶民に伝わり、「庚申講」が結ばれ、庚申の夜は当番の家に集まり、徹夜で酒飲歓談して過ごす「庚申待ち」の行事や、供養塔の造立が盛んになったそうです。

 

    

稲荷神社から2分h弱歩くと、歩道の脇の殺風景な場所に「一里塚跡」と書かれた標柱がポツンと立っていました。江戸から数えて13番目の「辻堂・四ツ谷一里塚」ですが、標柱以外何もありませんでした。

 

一里塚跡から2分弱歩くと、国道1号線から右に分かれる道がありましたが、旧東海道はこの交差点を右折しました。

 

    

その交差点の手前の角に小さな祠(四ツ谷不動尊)があり、傍には「大山みち」と刻まれた道標が立っていました。

 

祠の横の路地の入口には、鳥居がありましたが、この鳥居は「大山阿夫利神社」の一の鳥居です。先ほど見た倒れた石柱がある交差点は「大山街道入口交差点」と言いますが、本当の大山街道入口はここのようです。

 

国道1号線から分かれた旧東海道は県道44号線となります。国道1号線とは違い静かな道路でした。

 

    

国道1号線から分かれて約4分、左手に小さな鳥居が2基重なった形で立っていて、十数段の石段の上には小さな祠が建っていました。

 

さらに十分以上歩いていると左手に「メルシャン」の大きな工場がありましたが、満開の桜がきれいでした。私の住む伊豆高原より少し遅いようです。

 

    

さらに約4分歩くと、右手に小さな祠があり、中に化粧をした2体のお地蔵さまが安置されていました。「おしゃれ地蔵」と呼ばれ、『女性の願い事なら何でもかなえてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする』と伝えられているそうです。形態的には「地蔵」ではなく「道祖神」の表現が妥当であると考えられていますが、土地の言い伝えを大切にするため、「おしゃれ地蔵」と呼ばれています。

 

つづく