「押切坂一里塚跡」から約5分、国道1号線の歩道を歩き「山西交差点」で国道から離れ左の旧道に入りました。

 

    

交差点角には双体道祖神や文字だけの道祖神他多数の仏塔が集められていました。

 

    

しばらく旧道を歩きました。

 

    

旧道に入って2分弱、左手に藤の花で有名な「等覚院」がありました。藤巻寺と呼ばれるほど藤の花がみごとなようですが、残念ながら季節違いでした。

 

    

「等覚院」から1分強歩いていると、「梅澤橋」と刻まれた小さな石柱がありました。しかし川らしきものはなく、線状の公園がありましたので、多分川は暗渠になっているのでしょう。

 

旧道に入ってから約5分で国道1号線に戻りました。

 

交差点角はポケットパークになっており、古井戸がありました。何かいわれのある井戸なのでしょうか。何も説明がありませんでした。

 

ここにも「旧東海道の名残り」の標柱がありました。

 

「旧東海道の名残り」の標柱から約10分、左手に「JR二宮駅」がありました。小田原の「新宿交差点」から3時間弱かかりました。

 

「二宮駅入口差点」から2、3分歩いていると、右手に歴史を感じさせる店が2軒並んでいました。手前の「大石園茶舗」は昭和4年創業の日本茶専門店で、隣の「田中屋」は創業80年余年の落花生専門店です。落花生といえば千葉県と思っていましたが、二宮町は明治時代から落花生の産地だったようです。

 

田中屋のホームページにこんなことが書いてありました。

明治初年、相模国山西村釜野(現在の中郡二宮町釜野)の 二見庄兵衛という人が横浜の南京街でいわゆる「南京豆」を食べたところ、非常に美味しいので少しわけてもらい、自分の畑に蒔いたといわれます。やがて芽が出、葉が開き、黄色の花が咲いたが、秋になって花が落ちても何も実が成りませんでした。そのうち、茎や葉が枯れかかったので失敗したものとあきらめて畑を掘り返したところ、土の中に沢山の実がついていました。これを近所の農家に作らせ、次第に神奈川県下に普及したものが二宮名産の落花生です。

 

    

2軒の老舗から1分強歩き、「二宮交差点」に着きました。ここを右折すると西湘バイパスの二宮インターです。

 

「二宮交差点」を過ぎるとほどなく「葛川」に架かる「塩海橋」が見えてきました。

 

    

「塩海橋」から見た「葛川」の流れです。「葛川」を渡ればもうすぐ大磯です。

 

「葛川」から4分弱、前方に松並木が見えてきました。

 

さらに2分ほど歩き、「大磯町」に着きました。「大磯宿」はもう少し先です。

 

    

松並木が途切れ、大磯町に入った所に「えびや」という大衆食堂がありました。時刻は11時を少し過ぎたところですが、店の中はほぼ満席で、駐車場も満車です。よほどの人気店と思い、まだ昼食には少し早いと思いましたが、入ってみました。

 

運よく席があり、待つことなく座れました。注文した大海老天丼です。海老は今まで見たことが無いような大きさで、大ぶりの丼からはみ出ています。他の野菜類も大きく味も申し分なく、税込み1500円は大正解でした。

 

    

「えびや」を出て約8分ほど歩いていると左手に4本の赤い幟が立つ小さなお社と、道祖神と書かれた丸い石の道祖神がありました。

 

    

道祖神から約1分「六所神社」の赤い鳥居がありました。神社は左の路地の奥、東海道線をくぐった先約300mほどのところにあります。

 

「六所神社」の創建は2100年ほど前に遡ります。
崇神天皇甲申の歳(紀元前97)、出雲地方より移住した氏族がこの地域を「柳田郷」と名付け、社殿を築き「柳田大神」と称しました。大化の改新後、柳田大神に、一之宮寒川神社・二之宮川勾神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥神社・一国一社平塚八幡宮の御分霊が合祀され、六社の大神様を合わせ祀ることから「六所宮」となりました。その後、源頼朝、北条氏綱、氏康、徳川家康等時の権力者の祈願や寄進がある由緒正しい神社です。

 

「六所神社」の鳥居から3分弱歩いたところに「国府新宿交差点」がありますが、

 

    

この交差点を左折してすぐのところに大きな石がありました。これは県指定無形民俗文化財「国府祭(座問答)」の標石と呼ばれる石で、「大化の改新」が行われ、相武の国と磯長の国が統合され「相模の国」が生まれたとき、どちらの国の一之宮(寒川と川勾)が新しい国の一之宮になるかを争い、見かねた比々多と前鳥・平塚八幡宮が仲裁した「座問答」の様子を示し、相模の国の成立を紹介するものだそうです。ちなみにこの5つの宮は、どれも六所神社のなかの一つです。

 

ここから国道1号線に並行する形で旧東海道が残されていました。

 

    

その入口には、やはり道祖神が祀られていました。

 

道祖神を過ぎると、松並木が現れました。隣を国道1号線が走っていますが、静かな雰囲気の道でした。

 

    

道祖神から3,4分歩くと、松並木の中に「中丸一里塚跡」(国府本郷一里塚)がありました。江戸から数えて17番目の一里塚です。

 

ここから旧東海道は国道一号線から離れ、国府本郷の静かな市街地を進みました。

 

一里塚跡から約7分で、不動川に架かる白さが印象的な「本郷橋」を渡りました。

 

「本郷橋」から約3分で、旧東海道は再び国道1号線に合流しましたが

 

    

その手前左手に「県立大磯城山公園」がありました。かなり大きな公園です。

 

    

国道1号線に合流して少し小田原側に戻ると、「旧吉田茂邸跡」の入口がありました。ここは県立大磯城山公園の一部「旧吉田茂邸地区」になっています。入園無料でしたが、先を急ぎました。ここまで来ると大磯に着いたという感じになりました。

 

つづく