県道732号線を湯河原に向かい歩き始めると、右手前方に赤い鳥居がありました。

 

この赤い鳥居は、「箱根大天狗山神社分院 天聖稲荷大権現」の鳥居で、社殿は坂を下った「須雲川」のそばにありました。

 

この辺りは車の通行量が多く、かつ歩道がないためヒヤヒヤしながらの歩行でした。

 

大権現社の鳥居から3分弱の所にある坂は、「女転し坂」という奇妙な名前がついています。昔馬に乗った婦人がこの付近で落馬し、死んでしまったことから「女転し坂」と呼ばれるようになったようです。

 

県道732号線(旧東海道)はこの先で下りながら大きく右にカーブしますが、その曲がり角に「箱根大天狗山神社」がありました。先ほどの神社はこの神社の分院です。

この神社の開祖は、武田 敏男という人で、称号は「龍斉大天狗」というそうです。 33歳の時に初めて神々の降臨を受け、36歳よりそれら神々の命によって七面山、出羽三山、鞍馬山、高尾山、加波山など日本各地の山岳で7年7ヵ月15日に渡って修行を行い、昭和55年にここに開山されました。神仏習合を色濃く現した神社で、神道、密教、修験道などの慣わしに則り、神仏を共に祀り神事を執り行っているそうです。

 

「箱根大天狗山神社」の先で今度は大きく左にカーブし、「須雲川」に架かる「須雲川橋」を渡りました。

 

    

「須雲川橋」を渡り終えると、右手にハイカーが数人集まっていました。ここは「須雲川自然探勝歩道」の入口のようで、散策路が「須雲川」に沿って続いていました。この歩道は、元箱根から旧街道を通り「須雲川」に抜けるルート約6kmのコースで、一部旧東海道と重なっています。

 

    

「須雲川自然探勝歩道」入口から1分強歩くと、右手に「箱根霊験記」で有名な勝五郎と初花の墓がある「鎖雲寺」がありましたので行って見ました。

 

墓地に行きましたが墓石がたくさんあり、どれがその墓なのかわからずいると、庭を掃除していた婦人が場所を教えてくださり、写真を撮ることができました。

「箱根霊験記」は浄瑠璃や歌舞伎で有名な、実話をもとにした仇討話です。滝口上野に兄を殺された「飯沼勝五郎」が妻の「初花」とともに兄の仇の討つ話です。

 

「鎖雲寺」から2分弱歩いていると、右手に「須雲川」と書かれた看板がありましたが近くに川はありません。不思議に思っていると「須雲川」は川ではなくこの辺りの集落の地名のようでした。

昔は「川端」とも呼ばれていました。この場所に集落ができたのは江戸の初めの寛永年間の頃で、天下の箱根路を往来する人々のため、また道路を維持管理するために、一定の間隔をおいて集落を作る必要があったからです。

 

    

さらに1、2分、右に緩やかにカーブするコーナーの左手に「初花ノ瀑」と刻まれた石碑がありました。先ほどの「勝五郎」の妻「初花」が夫の仇討成就を願い、亡霊となって打たれた滝が、「須雲川」の対岸の湯坂山にあります。

 

    

初花の碑から約3分歩くと、箱根新道の「須雲川インター」に着きました。

 

    

さらに約3分歩くと、左手の塀の上に金ぴかの狛犬(?)が見え、その先にはこれまた金ぴかの仏像や建物がありました。ここは「浄土金剛宗天聖院」でした。写真撮影禁止の看板がありましたので、外からそっと撮りました。

 

先ほどからなだらかな下り坂が続きますが、この辺りの坂は「葛原坂」とよばれています。「新編相模国風土記稿」には「東海道中、須雲川村境にあり、上り1町(約109m)ばかり」と記されていて、この辺りには今でもクズの葉が生い茂っているそうです。

 

    

「箱根大天狗山神社」からかなり下ってきましたが、神社の第3駐車場、第5駐車場がありました。かなり広い駐車場ですが一台も止まっていません。しかし初詣には満杯になるのでしょうか。

 

県道を下り始めてから約33分、ようやく奥湯本の入口にたどり着いたようです。

 

温泉街に下りていく道の入口には、「観音坂」と刻まれた道標が立っていました。この先にある福寿院箱根観音からとった名前でしょうか。

 

ここを過ぎると左手に奥湯本の温泉街が一望できました。

1200年もの歴史をもつ日本屈指の観光地箱根温泉郷ですが、なんと箱根の温泉場は20ヶ所あり、泉質や効能は様々です。箱根湯本はそんな箱根の玄関口とも呼ばれる存在で、奈良時代に開湯とされる箱根温泉郷で一番古い温泉地でもあります。

 

県道732号線を下って行くと

 

    

「観音坂」の道標から約6分、箱根観音福寿院の看板が立っている場所に旧道があり、入り口には「箱根旧街道入口」と書かれた看板が立っていました。

ここから約255mは江戸時代の石畳が残り往時の面影を残しており、国の史跡に指定されていて、この道は「猿沢の石畳」と呼ばれています。

 

最初は下り坂になりました。

 

緩やかな下り坂で、石畳は落ち葉におおわれていました。

 

旧道の入口から3分強下って行くと、「須雲川」に流れ込む小さな沢に架かる「猿橋」と呼ばれる橋がありました。

 

    

「猿橋」を渡り2、3分石畳の道を上って行くと、先ほど分かれた県道732号線に合流しました。

 

    

合流地点手前左手の民家の壁際に、苔むした古い石の水桶がありました。

江戸時代この辺りは「馬立場」とい馬子が一休みした場所でした。この桶には山から引いた水が満々とたたえられ、街道を往来する馬の飲み水になっていました。

 

    

県道732号線に出て1分強歩くと、左手に「湯本一里塚跡」の石碑が立っていました。この一里塚は江戸から数えて22番目の一里塚で、塚には榎が植えられていました。

 

その横に「白川洗石生家跡」の説明板がありました。

白川鶴之助(のちに洗石と号する)は浜松市出身の指物師白川三代吉の長男としてここに生まれ、湯本小学校を卒業と同時に父について指物の指導を受けながら寄木細工の技法を学びました。その後、象嵌細工の技法にミシンを応用することを考え、繊細な作品を作ることに成功し、新しい木象嵌技法の普及に努めました。

 

さらに1分強歩くと、右手の石垣の下に道祖神がありましたが、その後街道沿いに多くの道祖神を見ることができました。険しい箱根路を旅する旅人の安全を願って立てたものでしょうか。

この道祖神は、「茶屋の道祖神」と呼ばれるもので、右側に小さなやしろ(石祠)を伴っています。道祖神は男女の双体像の道祖神で、男女が手をつなぎ寄り添う姿から「仲睦まじい道祖神」として親しまれているそうです。

 

さらに1分少々歩くと右手に茅葺の建物がありました。「養生館はるのひかり」という旅館で、3つ星ホテルだそうです。

 

「養生館」の前に立つ「仲の茶屋の石祠道祖神」と呼ばれる道祖神です。

 

さらに1分ほど歩くと右手に鎌倉時代に開山された「正眼寺」がありました。当寺には曽我兄弟の仇討で有名な曽我兄弟の菩提を弔う「曽我堂」があります。

 

    

「正眼寺」の30m程先左手に「礎生塾」と刻まれた大きな石碑(?)がありました。何かの史跡かと思い帰って調べたら「ヤマダ電機の保養所兼研修施設」のようでした。

 

    

ブロック塀と無数の石に囲まれた道祖神を左に見ながら1分ほど歩くと、右手に「弥坂湯」の白い建物がありました。

「弥坂湯」は、地元組合の運営で昭和24年に開業した共同湯ですが、平成19年からは町営に代わっています。入浴料金は地元民の共同浴場なので、町民は大人150円ですが、町民外は650円となっています。

 

    

「弥坂湯」から2、3分歩くと右手に「花紋」という屋号の旅館がありました。若干お城風なデザインの建物でしたが、「花紋」の由来が書かれた説明板によりますと、

豊臣秀吉が小田原城攻めに築城した「一夜城」はこの地に建てられました。合戦前夜、ひと時の茶会を楽しむ秀吉の茶の湯に、ひとひらと花びらが舞い落ち、その風情をしたためた句

 ”風の舞 我懐に 花の紋”

から館名を「花紋」としたそうです。

 

「花紋」の隣に「白山神社」がありました。

江戸時代まで「白山権現」と呼ばれ、地元の人々に温泉の守護神として崇められていた神社で、石川県の「白山さん」と親しまれている白山神社総本宮の白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神を勧請したお社です。手水舎には「白山水」と呼ばれる御神水が湧き出ています。また境内奥にある直径2m近い大きな石「白山神社大岩」があり、神が降臨した石として人々の信仰を集めてきたと言われています。関東大震災の時も微動だにしなかったということで、勝負の御利益があるとされています。

 

    

「白山神社」前の路地を50mほど入り左折すると「早雲寺」がありました。

 

「早雲寺」は小田原城主・北条氏の菩提寺で、2代氏綱(うじつな)が初代早雲(そううん)の遺言によって大永元年(1521)に建立した臨済宗大徳寺派の名刹です。箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったと言われています。
天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めで一度消失しましたが、寛永4年(1627)僧侶・菊径により再興されました。

 

山門を入って右手に茅葺の鐘楼がありましたが、この大きな古い梵鐘は豊臣秀吉が北条氏を攻めて小田原に押し寄せたとき、石垣山の一夜城に使われたといわれています。

 

本堂前の句碑は、室町時代の代表的連歌師「飯尾宗祇」の句碑で、

 ”世にふるも更に時雨の宿りかな”

と刻まれているようですが、きわめて特徴的な文字で判読できませんでした。

 

県道732号線(旧東海道)に戻り、なだらかな下り坂を下りましたが、今まで全く整備されていなかった歩道が、湯本小学校の前だけ整備されていました。

 

県道732号線に戻ってから約7分、前方に須雲川に架かる「三枚橋」が見えてきました。この橋を渡り右折すると旧道街道は県道732号線から国道1号線になります。

 

つづく