岡崎城址の北口を出て、一旦京方向に戻り、「伊賀川」に架かる「龍城橋」を渡り、橋の先にある横断歩道を渡り国道1号線の北側に出ました。

 

国道1号線の北側の歩道を京方向へ100m弱歩くと、

 

    

「田町角」と刻まれた道標があり、裏側には「岡崎城下二十七曲り」の由来が書いてありました。

 

    

道標のある角を右折し約2分歩くと丁字路があ「二十七曲り」の案内図がありました。

 

    

案内図に従い右折するとその先に階段があり、「田町北角」の道標がありました。

 

スロープを上り市道に出て横断歩道を渡り右折し、再度「伊賀川」に架かる橋を渡ると

 

橋の袂に「下肴町より田町角」と刻まれた道標がありました。

 

    

道標のある角を左折し「龍城川」の土手上の道を歩いていると、「材木町より下肴町」と刻まれた道標がありました。どうやら道標の表示は江戸から京に向かって歩く人用に表示されているようです。

 

    

道標のすぐ先で右折すると「木まち通り」と呼ばれる通りで、角に「350m 次の材木町角{ぬ}まで」と書かれたオレンジ色の道標が立っていました。

 

    

「木まち通り」を東に4分弱歩くと前方にオレンジ色の標柱が見えてきました。「150m{ぬ} これより次の材木町角{り}まで」と書かれていて、

 

すぐそばには「材木町角」と刻まれた石の道標もありました。

 

歩道には、」「二十七曲り きまち通り」の文字もありました。

 

    

道標のある角を右折し1分弱、次の丁字路を左折し、さらに1分弱歩くと、三叉路がありここを右折しました。すべての角に標柱が立っているわけでは無いようです。

 

    

さらに1分弱歩き次の丁字路を左折し、すぐに右折しましたが、

 

    

角にオレンジ色の標柱と「材木町口木戸前」と刻まれた道標が立っていましたが、標柱には{ち}と書いてあるということは、{りの標柱を見落としてしまったのでしょうか.

 

    

次の丁字路を左折しましたが、角に立つ道標には「岡崎城対面所前角」刻まれていました。対面所とは、室町時代以後の武家屋敷内に設置された施設で、主従関係にある者との対面儀礼の際に用いられた施設のことです。ここでは岡崎藩主が来客に対面する場所のことのようです

 

左折した角には「370m {と} これより次の連尺町角まで」と書かれた標柱が立っていました。しばらく直進のようです。

 

今までどうして気が付かなかったのでしょうか。標柱の上には草履のモニュメントとが乗っていました。

 

左折して1分弱、「本町通り」との大きな交差点を渡ると右手の歩道上に「連尺町」と「七曲り」についての石の説明板がありました。

 

説明板によりますと、今歩いている道は「連尺通り」と呼ばれる道で、16世紀の半ばにはこの地に「岡崎市場」が開設されました。この市場では商人に課される税金が免除されたため、物を背負うための入物の「れんじゃく」を背負う「連尺商人」と呼ばれる行商人が遠方から多く集まりました。後にこの通りは「連尺通り」と呼ばれるようになりました。東西約440m幅約5mのこの通りに面して、酒、油、穀物、木綿など主に武士の生活物資や用品を売る町屋が軒を連ね、商業の中心として大いに栄えたそうです。

 

「本町通り」との交差点から約3分、前方に公園が見えてきました。今は公園になっていますが、かってはここを旧東海道が通っていたようなので、公園に入っていきました。

 

芝生で隠れそうになっていますが、公園内の芝生広場の中に「旧東海道」の文字が見えました。

 

    

公園内に一本の通路があり、「天下の道」との表示がありました。旧東海道を模したものでしょうか。

 

    

公園の南の「伝馬通り」を横切り「天下の道」が続いていました。

 

 

「伝馬通り」を横断してから数十メートル歩くと右手に植え込みがありましたが、この辺りに「東総門記念碑」があったはずなのですが見当たりませんでした。多分道路改修工事のため撤去されたのかもしれません。

 

    

旧東海道はここを左折ですが、左折するとすぐ左前方にレンガ造りのレトロな建物が見えてきました。この建物は、大正6年に岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の組み合わせによるルネッサンス風の建物です。戦後商工会議所として使われていましたが現在は岡崎信用金庫の資料館として一般に開放されています。

 

    

歩道上には「岡崎城下二十七曲り」、「総門通り」「➡龍田総門」「➡東本陣」の文字が張り付けてありました。やはり先ほどの植え込みの辺りに「龍田総門(東総門)」があったようです。

 

「総門通り」の3つ目の角にオレンジ色の標柱と石の道標があり、

 

    

道標には「きらみち(吉良道)」、「西京いせ道」「東京道」と刻まれていて、ここが街道の分岐点だったことを示しています。

 

ここを左折し約60mで、先ほどの公園南で横断した「伝馬通り」の出て右折しました。

 

交差点手前右角には「西本陣前角」の道標が、

 

    

道路の反対側には「西本陣跡」の石柱と馬に乗った旅人のモニュメントがありました。

ここ伝馬町には本陣3軒(中根家、服部家、大津家)、脇本陣3軒(鍵屋、山本屋、桔梗屋)ありました。岡崎東本陣は、建坪209坪で部屋は200畳以上、脇本陣の桔梗屋は建坪105坪と、どちらも玄関や書院を持つ豪壮な建物でした。

 

つづく