境橋を渡ると左手に大きなパン工場が見えました。日曜日ですが駐車場は満杯です。多分24時間操業の工場なのでしょう。
境橋から約6分で再び国道1号線に出ましたが、ここは国道の歩道を歩くのではなく、横断して直進しました。しかし国道1号線に歩行者用の横断歩道が見当たりません。交通量の多い国道1号線を横断歩道がないところで横断するかどうか悩んでいたら、左から合流する道路の脇に横断地下道がありましたので、無事渡ることができました。それにしても分かりにくい場所に地下道がありました。
地下道を出て少し歩くと、国道1号線を斜めにクロスする旧東海道がありました。
国道1号線を横断してほどなく、久しぶりに街道沿いに立つお地蔵様を見ました。
お地蔵井様から約4分、県道282号線との交差点がありましたが、珍しい交差点で、県道がアンダーパスになっているのに旧東海道側は歩道橋になっています。アンダーパスにするくらいなら旧東海道側はそのまま平面で行けばよいのにと思いましたが、何か理由があるのでしょうか。
県道282号線との交差点から1分強、旧東海道はこのまま直進ですが、ここを右折してすぐの名鉄富士松駅にある「お富士松」を見に行きました。
「お富士松」は駅前ロータリーの中にありましたが、想像以上に小さな松でした。
そばに立つ石碑にその由来が書いてありましたが、それによりますと
昔桶狭間の合戦の際、今川勢が富士権現参詣の旅人を、織田勢の回し者と誤解し切り殺してしまいました。土地の人たちはこれを不憫に思い丁寧に葬り記念に一本の松を植えました。これを「お富士の松」と称し、富士松村の名称もこれに起因するそうです。「お富士の松」は枝ぶりもよく名木に数えられましたが、1959年の9月の伊勢湾台風で大幹が折れ枯れてしまいました。現在の松は、平成7年の駅前広場整備事業に伴い往時を偲んで植樹したものです。それで思ったより小さかった訳です。
旧東海道に戻り1分ほど歩くと左手に乗蓮寺というお寺がありましたが、その境内に「シイの大木」がありました。このシイは樹齢850年と推定され、昭和33年に市の天然記念物に指定されました。幹の根元に大きな空洞があり、昔タヌキが棲んでいたと伝えられています。昭和34年の伊勢湾台風で大きな被害を受けましたが、現在は樹勢を回復し、実もつけるようになったそうです。
そこから1分ほど歩くとこの辺りでは珍しい昔風の建物が向かい合って経っていました。
そこから約3分右手に「乗願寺」がありました。天正15年(1587)の創建で、初めは地蔵寺といいました。本堂には刈谷城主三浦明喬・土井利信の位牌が祀られているそうですが、位牌には名前の部分が消されているそうです。
さらに約3分、左手に「ひもかわうどん」の碑が立っていました。「ひもかわうどん」は三河国芋川(現刈谷市)で名物だった平打ちのうどんのことです。芋川の場所は「今川町」、「今岡町」、「一里山町」と諸説ありますが、この碑が立っている場所は「今岡町」です。江戸の「ひもかわうどん」は、「いもかわうどん」がなまったものと考えられています。また名古屋名物「きしめん」のルーツはこの「うもかわうどん」だという説が有力です。
「ひもかわうどん」の碑のすぐ先右手に「洞隣寺」がありました。曹洞宗の寺で天正8年(1580)の開山で、開基は刈谷城主水野忠重とされています。境内の墓所には、何度直しても反対側に傾くといわれる豊前国中津藩士の墓があるそうですが、どれかは分かりませんでした。またその隣には刈谷の昔話ではよく聞かれる「めったいくやしい」の墓もあるそうです。
この2つの墓の言い伝えが面白いので説明しますと、
まず中津藩士の墓については、寛保2年(1742)、中津藩の家臣が帰国途中、今岡町付近で突然渡辺友五郎が牟礼清五郎に切りつけ2人とも亡くなったため2人の遺骸は洞隣寺に埋葬されました。ところが2人の生前の恨みからか、いつの間にか反対側に傾き、何度直しても傾いてしまうので、墓地を整理して改めて篤く葬ってからは傾かなくなったそうです。
めったいくやしいの墓については、昔洞隣寺の下働きに容貌は悪いが気立てのよいよく働く娘がいました。あるとき高津波村の医王寺へ移ったところ、若い住職に一目ぼれしてしまいました。しかし青年僧は修行の身であり娘には見向きもしませんでした。娘は片思いのため食も進まずついに憤死してしまいました。洞隣寺の住職が亡骸を引き取り葬りましたが、この墓石から青い火玉が浮かび上がり油の燃えるような音がしたり「めったいくやしい」と声になったりして火玉は医王寺の方へ飛んで行ったといわれています。
「洞隣寺」から2、3分で再び国道1号線を斜めに横断することになりましたが、今度は地下道ではなく歩道橋でした。
歩道橋を渡って少し歩くと左に入る道があり、この道を進みました。
国道1号線から分かれ2分強歩くと変則的な6差路があり、どの道を行けばよいのか一瞬迷いましたが、右に少しカーブする道を行きました。
その道は何の特徴もない市街地郊外の道でした。国道から分かれ7、8分でまた国道に合流し左折ししばらく国道の歩道を歩きました。
国道の歩道を歩くこと約5分2つ目の歩道橋を渡り、国道の右側(南側)に移ると、
その橋脚の脇に小さな石碑があり、ここが「一里山一里塚跡」であることを説明してありました。ちなみにこのような説明碑は、街道沿いのポイントポイントに立っていました。この一里塚には松が植えられていたそうです。
日影がなく、アスファルトの照り返しが厳しい中、10分以上国道の歩道を歩いていると、また国道から右に分かれる道があり、旧東海道はこの道でした。
国道から分かれ約2分「逢妻橋」を渡ると、いよいよ「池鯉鮒宿」です。
つづく
























