大木のある場所は、「石薬師一里塚址」で、一里塚の石碑と常夜灯それと一里塚についての説明看板が立っていましたが、この説明板によって面白いことが分かりました。
1里の長さは、天文9年(1540)冬、足利将軍が40町を1里として一里塚を築かせ、その上に松と榎を植えたといいます。その後慶長9年(1640)2月、2代将軍徳川家忠が東海道、東山道、北陸道の3道に一里塚を築かせ、1里を36町に改めたそうです。
1里=36町=36×60間=36×60×1.81818m=3927m(約4Km)
一里塚の向かいに、石薬師宿の標柱に並んで「これより北 石薬師宿 信綱かるた道」と書かれた看板がありました。それによりますと、ここから1.8kmの間に「佐々木信綱」の短歌50首が掲示してあるそうです。
一里塚跡を得説するとすぐ「蒲川」に架かる「蒲川橋」を渡りましたが、どういう理由かこの橋の歩道の広さは車道と同じくらいの広さでした。
橋を渡るとすぐ左手に短歌が掲示してありました。右下のナンバーは49になっていますが、50番目の短歌は気が付きませんでした。
さらに1分強歩くと、下に「信綱かるた道」と書かれたモニュメントの上に46番目の短歌がありました。
少し旧東海道から逸れますが、この先の路地を右に入り、寄り道して「蒲桜」を見に行きました。
住宅地の中に「蒲桜」がありましたが、思っていたほどのた大木でも古木でもなく、普通の桜の木でした。
そこにあった説明板は一部剥げ落ち正確には判別できませんでしたが、後日調べたところによりますと、
この桜は、ヤマザクラの一変種として植物学上からも珍しい赤茶芽。花は、一重の五弁、直径5cm、白色から淡紅色で、開花時は見事だそうです。伝説によれば、寿永(11822~1184)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に逆さに挿した枝が、芽を出してこの桜になったと言われています。そのため、俗に「逆桜」とも言われているそうです。
桜の木のそばに佐々木信綱の短歌を刻んだ歌碑がありました。その時は全く判読できませんでしたが、
”ますらをの其名とどむる蒲さくら 更にかをらむ八千年の春に”
と刻まれているそうです。それが分かっても読めないほど達筆でした。
「蒲桜」を過ぎると直ぐ前方に鳥居とこんもりとした緑が見え、
近づくと「蒲冠者範頼之社」と刻まれた石柱が立っていました。この神社は「御曹子社(おんぞうししゃ)」といい、石薬師寺で桜を逆さに刺した、源頼朝の弟である「蒲冠者範頼(がまのかんじゃのりより)」を祭った神社で、範頼が武道、学問に優れていたため、それらの願望成就の神様といわれているそうです。
「御曹子社」の前を左折して約1分で元の旧東海道に戻り、正面にある「石薬師寺」の境内に入りました。
神亀年間(726)に高僧泰澄が森の中で霊光を放つ巨石を見つけ、一軒の草堂を建て安置しました。その後弘仁3年(812)弘法大師自らこの石から「薬師尊」を一夜で彫刻し開眼供養され、時の天皇嵯峨天皇より寺領を寄せられ「西福寺」と称しました。その後戦火にあい悉く焼失しましたが、本尊は光明赫赫として灰燼の中に立たれていたそうです。慶長年間(1601)神戸城主により本堂が再建され、1616年東海道53次の内44番目の駅(宿場)がつくられ、「石薬師駅」と呼ばれたことから「石薬師寺」と改称されました。
これまで「石薬師寺」が先にあり、その寺の名前に由来して宿場町の名前が「石薬師宿」になったものとばかり思っていましたが、逆でした。
中に入り右に進むと左手に「延命子安地蔵堂」が静かにたたずみ、
少し色づき始めたモミジのトンネルを抜けると正面に本堂が
左手には「13重の石塔」が立っていました。そのほかにも弘法大師像、芭蕉の句碑などもあったそうですが見落としてしまいました。
旧東海道に戻り、四日市に向かい緩やかな上り道を左にカーブすると、
「瑠璃光橋」という橋がありましたが、下を見ると川ではなく国道1号線でした。
「瑠璃光橋」を過ぎると、ぽつぽつと往時の雰囲気を残した建物が見られるようになりました。
「瑠璃光橋」から4分強歩くと、左手の民家の塀の脇に道標があり「上田加佐登道」と刻まれていました。
道標の反対側を見ると石柱が2本対になり立っていて、よく見ると「南町橋」と刻まれていました。ここに川があるように見えませんでしたが、帰宅して地図を見ると旧東海道を横切る形で川が流れていて今は暗渠になっているのかも知れませんでした。
そこから約1分右手に「浄福寺」がありました。
開基は室町時代の永正年間(1504~1520)と伝えられ、本尊は阿弥陀如来です。山門の入口左側に佐々木弘綱(信綱の父)の記念碑がありますが、この寺が弘綱の菩提寺だからです。
その記念碑です。
歌人、国文学者で早稲田大学名誉教授である佐々木幸綱(信綱の孫、弘綱の曽孫)の歌碑も並んで立っていました。
「浄福寺」のすぐ先に信号のある大きな交差点があり、角に「石薬師宿」と書かれた大きな看板が立っていました。ここからが石薬師宿の中心地のようです。
つづく
























