一里塚の向かいに変わった道標がありました。どうも個人が造った道標のようですが、
真っすぐ行くと京三条大橋5里余り、右 膳所藩札場より大萓湊常夜灯に到る、左 朝倉道 信楽より伊勢桑名に到る 後方 江戸日本橋迄で百二十里余り と刻まれていました。
一里塚跡碑がある交差点から旧中仙道は再び下り坂になりました。坂を下り切ったところにある「大江4丁目」交差点の左手前角に道標があり、この地の地名「大江」についての記述がありました。
平安前期以来朝廷の文章道を司る家柄であった貴族の大江氏(大江千里)が、この地を開発したことから地名になったと伝承されています。没後奥方の住居の跡に小さな祠(野上社)を建て、その遺徳をしのびました。その跡を示す石碑がこの少し先にあるようです。
大江千里は里人から「ちりんさん」と呼ばれ慕われ、また三十六歌仙の一人で、百人一首の第二十三首の歌人としても有名だそうです。
「大江4丁目」交差点から旧中仙道は上りになり、大きく右にカーブして今度はまた下りました。
「大江4丁目」交差点から約5分、十字路を左折しましたが、特徴のない住宅地でここで間違う可能性は高いと思いました。右前方の電柱に「旧東海道」と書かれた案内板がありましたが、何本もの電柱やカーブミラーが立っていて、非常に見落としやすい案内板でした。
左折した道は非常に狭く、車のすれ違いもままならない様子でした。
左折の次は右折することは分かっていたのですが、そのポイントがよく分かりませんでした。
左折してから3、4分歩くと信号のある交差点に着きましたが、案内板が無いのでここではなさそうでした。
更に約3分歩くと丁字路があり、左手に新しい道標がありましたが「旧東海道」と書いてあるだけで、これではどう進めば良いのか分かりません。
たぶんここを右折だろうと思い周囲を見渡すと、正面の電柱に旧東海道の文字と右矢印が見えました。それにしてももう少し目線の高さに掲示してほしかったです。少し高すぎて見つけにくかったです。
丁字路を右折すると、数十メートル先右手に「浄光寺」があり、その隣に「道祖神」を祀った真新しい祠がありました。
この祠には「道祖神」の他「大日如来石仏」が祀られています。2体とも元は奥田忠雄さんという方の軒下に祀られていたものを、地元有志の篤志金で平成28年12月に新調したものです。このうち「大日如来石仏」については、河川が氾濫した時奥田さん宅付近に流れ着いたもので、体長30cm×幅23cm×奥行10cmの小柄な石仏だそうです。
旧中仙道は丁字路を右折してから2、3分上り坂になり、坂を上り切ったあたり左手に、大きな桜の木が立っていました。この山桜は「大場の桜」と呼ばれ、樹齢約200年の古木です。
「大場の桜」が立っているところ辺りから旧中仙道はまた下り坂になりました。
1分強歩くと左手に青色のチューリップの形をした珍しい建物(?)がありました。何だろうと思い近づいたところ、警報ブザーが鳴ったので慌てて戻りましたが、多分単なる物置ではないかと思いました。
丁字路を右折したから約7分で丁字路に着き、ここを左折しました。左前方には案内板が立っていましたが、これも見にくい場所に立っていました。左折する手前に建ててほしかったです。
左折するとすぐ、信号のある交差点がありましたが、その角に建っている建設会社の正面に高さ4mはある大きな狸の置物がありました。何か謂れがあるのでしょうか?
信号の先は一級河川「高橋川」が流れており、赤い欄干が特徴的な、「和田一号橋」という味もそっけもない名前の橋が架かっていました。
橋を渡ると左手は近江国一之宮建部大社の末社である「桧山神社」の杜になっていました。鳥居の先は長い階段が続いていましたので、本殿まで行くのは諦めました。
「高橋川」から4、5分歩くと左に入る道があり、
角にあるちょっと変わった道標には「左 旧東海道 右 瀬田唐橋」と刻まれていました。
つづく



















