旧中仙道歩き旅28日目のスタートはJR草津駅からです。
台風崩れの低気圧の影響で天気が心配でしたが、幸いよく晴れていました。
草津駅を下りるとペデストリアンデッキになっており、正面の「草津宿」の石碑が出迎えてくれました。
駅前通りも広く、高層の商業ビルや事務所ビルが立ち並び、ちょっとした大都会でした。
ところで「うばがもち」という草津名物を御存じでしょうか?
前回も探したのですが、見つかりませんでした。ところが本日駅を出てペデストリアンデッキから駅前通りに降りようと階段に向かったその先、ペデストリアンデッキにつながった商業ビル「Lty932」の2階入り口にその店はありました。
「うばがもち」は漢字で書けば「姥が餅」ですが、その由来は戦国時代に遡り、近江の守護職だった「近江源氏佐々木義賢」が織田信長に滅ぼされた時、3歳になる曾孫を姥である「福井との」に託しました。とのは養育の糧として餅を作っては旅人に売り質素に暮らしました。そのことを周囲の人も知り、誰いうことも無く「姥が餅」と言いました。餅の形は姥の乳房を表しているそうです。
その後徳川家康が大阪の役に向かう際、当時84歳の姥が餅を献じたところ、その誠実な生き方を称え直筆の「養老亭」の三字額を授け、凱旋後またこの餅を求めたので、以来公家や諸大名も必ずここで餅を求めたそうです。
また芭蕉、蕪村、近松、広重、北斎などが題材とし、全国にその名が広まりました。
前回の行程の最終地点「太田酒造」に戻る前に、前回見落としたポイントをいくつか見ていきました。まず明治19年に建てられた「道標」が覚善寺門前にあるので、それを見に行くことにしました。
駅前通り(サンサン通り)から旧中仙道に右折して覚善寺に向かいましたが、何か変な感じがしました。アーケードを抜けた先の交差点を左折すると考えていたのですが、前回あったアーケードが無くなっていました。遠方に見える高層マンションが前回はアーケード越しに見えたのが、今回ははっきり見えます。まだ一か月も経っていないのに変化の速さに驚かされます。
完成間近のマンションが建つ交差点を左折すると直ぐその道標はありました。
明治19年に旧草津川隧道が完成すると、長く続いた東海道が一新され、旧草津川の南側から北側の県道143号線(下笠大路井(おちろい)線)に変更されました。それに伴い中山道と東海道の分岐点は、中山道に面していた覚善寺の南西角に移動し、そこにこの道標が建てられました。今は門前に移築されています。
これから前回見落とした江戸時代の店舗跡を追加していきます。
本陣の2軒隣の「貸蒲団 菱屋平右衛門」。江戸時代も貸布団屋さんがあったんですね。
さらにその隣は「酒屋 丸屋沖右衛門」です。
交流館の前にあった草津宿の絵地図です。これを見ると中仙道より東海道の方がメインの街道だったことが分かります。旧草津川から北側の中山道にはほとんど建物が描かれていません。
これも交流館の前にあった「右 東海道」と刻まれた石の道標です。もともとここにあった道標ではなく移築したものですが、どこにあったかは明確になっていません。右側面に「天明7年(1787年)」の年号が刻まれていることから比較的古いものと推定されています。
太田酒造の30mほど先左側に「雑貨商 八百屋九兵衛」がありました。
江戸中期寛保年間の創業で、鋤、鍬、天秤他日用品全般を扱っている店舗でした。建物は昭和3年の築ですが、当時の意匠をよく残しており、「登録有形文化財」にしてされています。
さらに1分強先右手に「呉服商 万屋 善助」がありました。ここまでくると草津宿もほぼ京都側の端に近くなります。
前回、当時の施設はほとんど中山道の南東側にあると書きましたが、私が見落としただけのようでした。
「万屋」を過ぎると交差点の向うに「立木神社」の緑が見えてきました。
交差点を渡ると、「伯母川」に架かる「立木橋」があり、
渡った先の右角には常夜灯と石碑が、その右には赤い鳥居が見えました。
正面の鳥居の先に参道が続き、神門がありましたが、そこにある「狛犬」が少し変わっていました。犬ではなく
「狛鹿」でした。なぜ鹿かというと立木神社の創建に関わっています。
立木神社の創建は古く、神護景雲元年(767年)のこと、御祭神である「武甕槌命 (たけみかづちのみこと)」が常陸の国鹿島神宮を白い鹿に乗って出られ、この地に到着されました。その時手に持った柿の鞭を地にさしたところ、柿の木は生え育ち枝葉が茂りました。里人は御神徳を畏み、この木を崇め神殿を建て、社名を「立木神社」としたのが「立木神社」の始まりです。鹿は、武甕槌命が白い鹿に乗ってきたことによるのだと思います。
境内には草津宿最古の道標が移築されていました。
この道標は高さ213cmもある背の高い道標で、建延宝8年(1680年)に建立されています。
元は東海道と中山道の分岐点に建てられており、文化13年銘道標(現在ある道標)の前身と推定されています。
鳥居をくぐり右手にある「ウラジロガシ」の木です。幹回り6.3m、高さ10m、樹齢推定300年以上の大木で、立木神社の御神木として崇められ、地域住民に親しまれています。
「立木神社」を後にして1、2分前方に「矢倉橋」が見えてきました。いよいよ草津宿ともお別れです。
つづく

























