草津市に入るとまもなく葉山川に架かる「葉山川橋」を渡りました。ちょうどその時左手の東海道線を列車が通過しました。

 

    

「葉山川橋」を渡ると直ぐ、左前方に看板が見え、それによると旧中仙道はここを左折し鉄道のガードをくぐるようです。

 

    

左折すると、東海道本線と草津線の二つのトンネル(丸と四角)がありました。

 

トンネルを出ると鉄道敷きに沿って歩行者用通路があり、この道が近道ですが、

 

    

旧中仙道は直進し、突き当りの丁字路を右折します。

 

    

右折して約1分、道なりに右にカーブすると、先ほど見た歩行者専用道の反対側に着き、ここを左折しました。

 

    

左折してから約2分線路沿いに歩き、左から来る道路と合流し、さらに直進すると、前方に県道2号線の高架が見えてきました。

 

県道2号線の高架を過ぎると、旧中仙道の舗装はアスファルトからレンガ敷きに変わり、数十メートル先左手にある「伊砂砂いささ神社」の生け垣の前に設置された案内板には、草津宿の名所の位置や地理についての説明がありました。またその隣に立っている木の案内板によると、この道路の舗装を含む整備は、渋川(この地域の地名)の街づくりの一環として、景観形成道づくり事業を実施したものだそうです。

 

    

「伊砂砂神社」がいつ頃創建されたか、またその由緒は定かではありませんが、須佐之男命(すさのおのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)などを祀っており、雨乞いに霊験があると伝えられています。

 

本殿は社蔵の棟札によって応仁2年(1468年)に建立され、元禄4年(1691年)に修理を受けていることが分かっています。檜皮葺の本殿は重要文化財に指定されています。

 

「伊砂砂神社」の横を流れる「伊砂砂川」を越えるとほどなく左手に「佛乗寺」があり、

 

その数十メートル先右側「光明寺」前の駐車場に、「渋川地区」の昭和30年代の風景や営みを表した大きな絵地図がありました。

そこには「伊砂砂神社」、「光明寺」、「草津駅」、「中山道」、「駅前通り」が描かれていますが、人家は平屋か2階建てがほとんどで、一歩街道から離れると一面に水田が広がっていました。60年でこんなにも変わるものかと驚きました。

 

    

「光明寺」は真宗興正派の寺院で、1232年に創建されました。もともと比叡山延暦寺の一道場として開基され、後に浄土宗の開祖、親鸞聖人がしばしば逗留されたことから浄土真宗に改宗した寺です。  

 

    

境内には親鸞聖人の像がありました。またこの辺りからは高僧マンションが多く見られ、都会に来た実感がしました。

 

    

「光明寺」から約2分、右手に超高層マンションがある左手に「やすらぎ」と名づけられた女性の銅像があり、ますます都会らしくなってきました。

 

このマンションの前に建つ「近江伊吹館」です。何かの美術館とか博物館とかではないかと思いましたが賃貸マンションでした。

 

    

更に1分ほど歩くとますます繁華街の雰囲気が強くなり、駅前大通り(サンサン通り)の先はアーケードのある「カラーモール夢大路」という商店街でした。アーケードが切れた辺りでは超高層マンションも建設中でした

 

一旦途切れたアーケードがまた出てきました。

 

「伊砂砂神社」のそばにあったものと同じ説明版がここにもありました。中央の写真だけ異なっています。前の案内板には「伊砂砂神社」が、この案内板には明治19年建立の「大路地の道標」の写真が表示してありました。

 

    

短いアーケードの先は「旧草津川隧道」があり、上は天井川である「旧草津川」ですが、今は廃川になり水は流れていません。トンネルの壁には浮世絵を真似た大きな絵画が10枚近くありました。

旧草津川は天井川であるため度々浸水被害を繰り返しており、昭和46年に新草津川に付け替えられました。

 

トンネルを出るとそこは、中山道と東海道が交わる「追分」で、左手に大きな常夜燈を兼ねた道標が立っていました。

 

    

交差点の真ん中には、東海道と中山道の分岐点であることを示す円形の道標が埋め込まれていました

 

これからは東海道を歩くことになります。