脇本陣の隣に観光施設「中山道会館」がありました。

 

入口脇にあった案内板です。今いるところは太田宿の半分は過ぎた辺りのようですが、かなりの規模の宿場町だったようです。

「太田宿」は、中山道三大難所の一つ「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから大いに栄えました。また尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。東から上町、中町、下町と続き、美濃太田駅から少し離れていることから古い町並みや桝形などが残り、宿場の雰囲気がよく残っています。

 

会館の中央に太田宿のシンボルである「エノキとヤドリギ」が立っていました。

「エノキ」の大きさは、樹高18m、幹周3.32m市指定の保存樹に指定されています。「ヤドリギ」は、他の枝や幹に「寄生して成長する」ビャクダン科ヤドリギ属の常緑低木です。写真で緑の部分が「ヤドリギ」です。

 

会館の奥、木曽川の土手近くに、岡本一平が晩年を過ごした「糸遊庵」を復元した建物が建っていました。「岡本一平」は漫画家、作詞家で、画家の「岡本太郎」の父親です。俳優「池部良」は一平の甥で、「岡本太郎」とは従妹の関係です。「岡本一平終焉の地」の石碑が「美濃加茂市文化会館」近くに立っていました。

 

「糸遊庵」の前に岡本一平の歌碑があり、2句刻まれていました。

  ”木曽川と 枕を並べ 晝寝かな ”

  ”秋晴れや 映画の景色 行くここち”

 

 

「中山道会館」の裏手に「川並番所跡」があるとあるブログに書いてありましたので行ってみましたが、それらしきものはどこを探してもありませんでした。その代わり石塔が2体並んでいました。

後で調べたところ、「川並番所跡」は「中山道会館」から100mほど下流の土手下の道路端にありました。残念( ̄□ ̄;)

 

「中山道会館」の斜め前に「旧太田宿本陣門」がありました。

 

旧本陣には明治時代になると太田町役場が置かれ、現在は当時の面影はありませんが、この「本陣門」は皇女和宮が江戸に向かう時に新築されたもので、当時を偲ばせる貴重な遺構です

 

この門は、一間の薬医門(本柱が門の中心線上から前方に置かれている門)で、両袖に半間の塀が付く格式ある端正な作りと云われています。

 

「本陣門」から約2分、左手に「卯建」の立った立派な建物の酒屋さん「亀谷酒店」がありました。赤く丸い昔ながらのポストと「郵便局」のマークがありましたが、郵便局としての機能もありのでしょうか。

 

「亀谷酒店」の前方にトステムの緑の看板とその先に「国道41号線」の高架が見えてきました。

 

     

トステムの看板がある丁字路を旧中仙道は左折しますが、ここが「枡形」のようです。

またここには高札場があった場所で、郡上街道との「追分」でもありました。

そばにある道標は、明治26年に名古屋の塩問屋「伊藤萬蔵」が建立したもので、郡上街道追分の道案内です。旧中仙道は左折しますが、直進が郡上街道のようです。「右 関上有知 左  西京伊勢道」と刻まれていました。

 

左折するとほどなく右手に秋葉神社の「庚申堂」がありましたが、普通の小屋のような建物でした。

 

「庚申堂」の50mほど先で、旧中仙道は右折し、国道41号線の高架をくぐったところで左折し、木曽川の土手に出ますが、今回はカフェの駐車場横の路地を通り、木曽川の土手に出て右折しました。

 

木曽川の土手に出て右折するとすぐ目の前に国道41号線の「中濃大橋」が見えました。

 

「中濃大橋」の下を通ると、目の前に太田宿の西の入口のあたる「虚空蔵堂」がありました。ここは承久3年(1221)の「承久の乱」の木曽川決戦で、木曽川を挟み後鳥羽上皇率いる朝廷群(太田側)と鎌倉幕府軍(可児側)が戦ったところだそうです。

 

「虚空蔵堂」の北側に美濃加茂市立大屋小学校がありますが、正門横の公園の中に「坪内逍遥顕彰碑」があるので少し寄り道をしてみました。小f学校の正門横に「坪内逍遥生誕の地」と書かれた青い看板が立つ公園があり、

 

公園の中ほどに大きな「石碑」が立っていました。

安政6年(1859)坪内逍遥はこの地で、尾張藩太田代官所の手代の子として生まれ、10年間過ごしました。東京大学卒業後今の早稲田大学の講師となり学生の教育に携わりながら、「小説神髄」「統制書生気質」を発表し、明治新文壇の先達となりました。シェイクスピア全作品の個人翻訳は坪内逍遥の偉業と云われています。

 

公園から旧中仙道に戻る途中、小学校の向かいに「坪内逍遥ゆかりの妙見寺」がありました。この辺りには逍遥ゆかりのものが沢山あるようです。(*^▽^*)

 

     

妙見寺の斜め前に「太田代官所跡」の説明板がありました。後ろの壁と同系色でうっかりすると見落としてしまいそうな小さな看板でした。東濃一帯を治めていた代官所跡は、今は小学校の敷地になっています。

 

「虚空蔵堂」に戻り、再び旧中仙道を歩き始めてすぐ、「虚空蔵堂」の裏手に一本の「ムクノキ」が立っていました。「坪内逍遥ゆかりのムクノキ」で、

 

この地を訪れた際はこの木の下で夫婦そろい記念写真を撮っています。

     

大正8年5月逍遥61歳の時の写真です。

 

木曽川の土手の上を歩いていると、右手下には桜がきれいに咲いており、

 

左を見れは木曽川の豊かな流れが見えました。

 

いよいよ次は本日の目的地「鵜沼宿」です。

 

つづく