「鍵谷の坂」を下りT字路を左折し、旧中山道は普通の市街地を進みました。
T字路を左折してから3、4分先にある県道265号線とのT字路を右折し、しばらく県道265号線を進みました。
振り返ると木曽川上流の山に残った雪が太陽の光を浴びて輝いていました。
県道265号線を4分ほど歩くと中央本線の踏切を渡りますが、踏切の手前の道路標識は昔懐かしい「蒸気機関車」の絵柄でした。(*^.^*)
踏切を渡ると、旧中山道(県道265号)はしばらくの間、中央本線南側の崖地を中央本線を下に見ながら並行して進みました。
右手に見える木曽川には、発電所がありました。しばらくすると右手の中央本線を「特急しなの」が走ってきました。(*^.^*)
旧中仙道は大きく左にカーブし「橋場集落」に入っていきますが、集落に入ってほどなく左手に「公民館」が見えてきました。「公民館」の先の路地を左に70mほど入っていくと有名な「岩出観音堂」がありました。
「岩出観音堂」は懸崖造りで「木曽の清水寺」と呼ばれているそうです。
天正年間(1573~1592)に村人が田から銅製の「馬頭観音」を見つけて祀ったのが、「岩出観音」の始まりと言われています。現在の建物は、1813年に定勝寺の19代住職が再建したもので、昭和58年に大修繕が行われています。道内には馬を中心とした「絵馬」が60余点あるそうです。
旧中山道に戻り歩き始めるとすぐ、伊奈川に架かる橋を渡り右折して進みました。
振り返ると先ほど見た「岩出観音」の全景がよく見えました。
しばらく伊奈川沿いの緩やかな上り坂を登っていきました。
坂を上りきると旧中山道は左にカーブし「大島集落」の中を進みました。
「大島集落」を3分ほど歩くと右手に道標があり、「左 野尻宿」と書かれていました。ここで県道265号線から別れ、左折しました。
元々の中山道はここを直進し、「初期の中山道」と呼ばれていたそうです。この道は洪水に流されため、現在のように左折し、山を大きく回り込むような形の道路になりました。
曲がり角には小さな「水舟」がありました。ここはまだ須原宿の影響下にあるのでしょうか。
道端にあった「石塔」です。「念三夜」と読めるのですが、「二十三夜塔」の一種と考えられるのですが。(;^_^A
「大島集落」から「東集落」に入り歩き続けました。下の壁が崩れかかった土蔵がありましたが、土蔵がこのようになるのを見たのは初めてです。
それほど古くはなさそうな建物ですが、薪ストーブの煙を出している姿は趣を感じます。旅館か庄屋さんの建物かと思いましたが、普通の民家のようでした。
道標から約10分歩くと旧中山道は右に大きくカーブしました。

カーブ地点に大きな「水害記念碑」が立っていました。付近に洪水を引き起こすような河川は見当たらないのですが。そばにある案内板に「200m 天長院」と書かれていました。
しばらく歩くと左に入る下り坂があり、
その先にお堂が見えました。これが「天長院」のようです。
「天長院」は当初伊奈川の上流「大野」にありましたが、天文年間(1540~)に武田軍か山賊の焼き討ちに会い一時廃絶していました。その後文禄年間(1594~)に「定勝寺」7代和尚により再建され、街道の変遷により、寛文年間(1662~)に地蔵堂があった現在地に移転したそうです。
先ほどの岩出観音堂も「須坂」にある「定勝寺」が再建したを考えると、「定勝寺」は当時大きな勢力を誇っていたようです。
境内には多くの「お地蔵様」が立っていました。
後で分かったことですが、この中に「マリア地蔵」と呼ばれるお地蔵さまがあったそうです。残念ながら見逃してしまいました。子供を抱いた紐が十字になっているのでそう呼ばれているそうです。
鐘楼と紅葉したモミジの組み合わせがきれいでした。
つづく





























