「湯川酒造」前まで戻り旧中仙道を1分強歩くと、左手に一本の松の木が見えてきました。「防火高塀跡」です。文禄8年(1695)、宿場のほどんとを焼失する大火があり、その後各戸が1間につき1尺ずつ提供しあって広小路を作り、更に石垣と土塀を築いて延焼対策としたそうです。ここはその名残が残っている場所です。

松の根元には、「津島大神」と「阿多古祀符 火迺要愼」と刻まれた石碑がありました。どちらも防火を祈念したものと思います。

 

藪原の街並みです。「湯川酒造」のある辺りは当時の雰囲気が残っていましたが。この辺りは普通の市街地でした。

 

 その市街地の中に街道に面して公衆トイレとベンチがありました。まだ新しく清潔で気持ち良い休憩所でした。(*^▽^*)

 

     

街道沿いには、水車や水飲み場など豊富な湧水を利用した施設が各所に見られました。

 

     

藪原は「お六櫛」と呼ばれる木製の櫛の産地として有名です。街道沿いにも「お六櫛」の看板を掲げたお店が何軒かありました。

現在木の櫛と言えば「つげ櫛」とされていますが、藪原で生産される櫛は国内で育った「みねばり」という木材を使います。鳥居峠の途中にも「みねばり」の木がありました。「お六櫛」はわずか10cmにも満たない幅に、およそ100本もの葉が挽かれたもので、江戸時代は中山道の名物、御嶽信仰や善行寺参りの土産として有名だったそうです。

 

藪原宿の南の外れ辺りに「高札場跡」の標柱が立っていました。

 

「高札場跡」のすぐ先で道は二手に分かれますが、旧中仙道は右の下り坂になります。この辺りが「藪原宿」の南側の入り口辺りでしょうか。

 

ところで、「藪原宿」の所在地は長野県木曽郡木祖村ですが、木祖村の「」の字が通常使われる「」の字でないことに気づきました。調べたところ、

木曽郡は、藪原のある「木祖村」、木曽町、上松町、大桑村、大滝村で構成されますが、木祖村は、その最北部にあって木曽郡を縦断する「木曽川」の源流の地であることから、「木曾の祖」というう意味を込めて「木祖村」と名付けたそうです。

 

     

大きく左にカーブする旧中仙道を約2分歩くと先ほど分かれた道に合流し、直ぐ小さな橋を渡りました。

 

橋を渡ると左前方に中央線「藪原駅」が消えてきました。

 

     

左に「藪原駅」を見ながら今度は右に大きくカーブする旧中仙道を2分弱歩くと、右手に機関車のモニュメントが見えてきました。手前には石碑がありましたが、「藪原の一里塚跡」の石碑でした。

 

     

一里塚の先のT字路を左折すると、「中央本線」のガードがあり、

 

     

ガード出て右折すると「切通し」のような殺風景な登り坂が約200m続きました。歩道も無く歩行者にとっては少し危険な道路でした。 ヾ(▼ヘ▼;)

登り坂を登り切ると、国道19号線に合流し、右折して進みました。

 

ここからは歩道も整備された道路でした。(*^▽^*)

 

     

右手下には、木曽川の清流や中央本線の鉄橋が見えました。

 

国道19号線に合流してから10数分、道路の反対側に廃道が見えてきました。現在の国道19号線は直進し「獅子岩橋」を渡りますが、その前はこの廃道が国道19号線だったものと思います。

 

     

ガードレールを跨ぎ、トラックの切れ目を待って国道を横断し歩いてみました。「獅子岩橋」は平成6年に完成したそうですが、旧道はまだセンターラインも残り、歩車道分離の後もしっかり残っていました。

 

写真ではよく分かりませんが、対岸の国道19号線の擁壁には「鳥居峠を行く旅人と馬子の大きな壁画」が見えました。(@_@)

 

旧国道を3、4分歩くと現在の国道19号線に復帰しました。

 

国道19号線を更に2分ほど歩くと、次の宿場「宮ノ越」への案内板がありました。当初の調べではここは直進でしたが、案内に従い右折しました。

 

     

右折すると直ぐ中央本線を跨ぐ橋があり、道路はその先で右にカーブし木曽川の対岸に向かっていましたが、今までとは逆方向に向かう道は、木曽川の向こうに消えていき、その先どう続いているのかよく分かりませんでした。

 

橋を渡り切ったところに左に行く道がありましたので試しに行ってみましたが、先に進めそうにありません。時間も心配なのでここは当初の国道を進むルートを行きました。

(ノ◇≦。)

 

帰宅してから調べたところ多分こうだったのではないでしょうか。

①が案内板の位置で③が試しに入った道です。赤が実際に進んだルートですが、緑のルートのように、橋を渡ったところ②を道路なりに進み、その先の左に入る道を進めば、向吉田の集落を通り④の位置で国道に合流したものと思います。

 

つづく