松尾神社の赤い鳥居を過ぎるといよいよ「長久保宿」です。

 

長久保宿は、東に笠取峠西に和田峠を控えていたことや、善光寺に通じる上田街道の追分だったため、旅籠が43軒と多くありました。本陣1軒、脇本陣1軒です。当初依田川沿いにありましたが、寛永7年(1630年)依田川の氾濫により宿場は水没してしまい高台の壁町へと移転しましたが、その後横町が形成され、L字型の珍しい宿場となったそうです。


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長久保宿に入ると。街道の両側の建物の軒下に、そろって「屋号」を書いた看板が下がっているのに気が付きました。形はそれぞれですがかなり大きなものでよく目立ちます。塩名田宿にもありました。

 

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先ほどの屋号看板の民家から数十メートル先右手に、「中山道長久保宿吾一庵」の看板がある民家がありました。入口の横には、昔の貨幣を模った大きな木製の看板があり、常夜灯の形をした看板には「吾一」の文字があります。またその横には「大八車」も置かれていました。一瞬何かの資料館かとも思いましたが、普通の民家のようです。

 

「吾一」の20、30m先に屋根に石を乗せた民家がありました。台風が多い沖縄などに多い建て方ですが、長野県では珍しいと思い写真に撮りました。しかし建物自体は新しそうに見えました。帰ってからストリートビューやグーグルアースを見て確認したところ、3年前の8月時点で、ここに「丸木屋」という屋号の民家がありましたが、今年のグーグルアースでは建設中の建物が見えます。形はほとんど現状と同じですので、外壁を改修しただけかもしれません。

 


「丸木屋」の右斜め前に「一福処濱屋」がありました。明治初期に建てられた総2階出梁造りの延べ床面積約400㎡の建物で、旅籠として作られましたが、急激な旅人の減少で開業には至らなかったそうです。平成12年に建物の所有者福永家・黒澤家から寄付を受け、現は長久保宿を訪れる人の休憩所、歴史・民俗資料館として使われています。


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「濱屋」を過ぎるとすぐ右手に「本陣跡」があり、横に「高札場跡」もありました。
長久保宿の本陣は、真田家配下の「石合家」が努めていました。表に見える門は、江戸時代末に建てられましたが、奥には上段之間、二之間などを含め江戸時代初期に建てられた御殿が現存しています。しかし現在は石合家の生活の場であるため一般公開はされていません。

 

向かってすぐ左手に「高札場跡」がありました。当時の高札を再現したものがいくつか掲げられていました。

 

本陣跡の100mほど先左手に「脇本陣跡」がありましたが、看板だけで当時をうかがわせるものは何もありませんでした。

 

「脇本陣跡」の斜め前に「釜鳴屋」があります。江戸時代初期から昭和の初めまで造り酒屋であった「釜鳴屋・竹内家」の建物で、この建物は享保16年(1731年)以前の建築と言われ、長野県最古の町屋です。長和町指定文化財になっています。

 


「釜鳴屋」の建物は、1500坪余りの敷地に14棟総建坪491坪の建物があり、屋根の端部

には、妻壁を高く突出させ小屋根をつけた「本うだつ」が見られます。

 

「釜鳴屋」の斜め向かいに宿場問屋を務めた「小林家」の建物がありました。建物は少し奥まったところに建っています。道路わきにA4の案内紙が置いてありました。それによりますと、主屋は明治3年の大火で焼失し、再建されたもので、道路沿いには問長屋や人足溜まりがあったそうです。

 

更に1分ほど歩くと旧中仙道は左に曲がりますが、その角に3階建ての旅館「濱田屋」がありました。現在も営業しているようです。本陣があったあたりは「竪町」ですが、ここからは新しくできた「横町」になります。

 

横町は後からできた町だけに、竪町ほど古い建物、由緒あるあてものはそれほどありませんでした。横町に入り3ふnほど歩くと、左手に出梁造りの大きな建物が見えてきました。江戸時代末期に建てられた「旅館・辰野屋」です。

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中が覗けるようなので少し覗いてみました。玄関を入ると土間が続く昔風の作りです。 

 

ところで、松尾神社から続いてきた旧中仙道は横町の中ほどで一旦右に折れ、もう一本西側の道路を進みますが、何処で右に折れるのかはっきりしませんでした。

 

我々は、「辰野屋」の前にあった細い道路を曲がりました。上の地図の赤い線です。

 

一本西の道路に出て左折ししばらく歩くと右手に案内標識がありました。長久保宿を示す矢印は後ろ方向を示しています。

 

振り返ると東の道路から下りてくる細い道がありました。どうやらこちらが正解のようです。上の地図で緑で示したルートが正しいようです。

 

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少し歩くと旧中仙道は先ほどの東側の道路に合流し、更に1、2分で国道142号線に合流します。

 

国道との合流地点に木柱の案内標識がありました。「御柱」を模しているのでしょうか。

 

ここが長久保宿の京都側の端です。