中西太 怪童と言われた強打者
(香川県出身、1933年4月11日~)
左:中西内野手、右:梶本投手
昭和32年6月号
高松一高時代から打撃の凄さは有名で、甲子園でも活躍した。
1952年早稲田進学を諦めて西鉄ライオンズに入団。
1年目から活躍し新人王を獲得。
2年目の1953(昭和28)年は史上最年少でトリプルスリーを記録。
10代で打撃は出来上がっていた。
成績は打率.3139(2位)、36本塁打(1位)、86打点1位)、36盗塁。
特に36本塁打は大映(30本)、近鉄(31本)のチーム本塁打より多く、
2位豊田(27本)とも9本の差をつけた。
(3位は岡本伊佐美の19本)
打撃タイトルの殆どを1年目から7年目までに獲得したが、
ハードな練習の末、腱鞘炎になり現役後半は代打を中心に過ごした。
しかし、持って生まれた才能と努力で打球の速さ、飛距離はとてつもなく、
中西の打球の凄さのエピソードは事欠かない。
ライナーと思ってジャンプして捕ろうとしたら、
スタンドに飛び込んだ話や
当時の大リーガーたちからも
「中西だけは大リーグ級」とその打球は評価された。
都合、9球団で指導者として多くの打者を育てた。
打撃理論と指導力には定評があり、
その中には若松勉、掛布雅之等がいる。
コーチ実績は山内一弘と双璧をなす。
しかし、監督としては優しい性格なのか大成はしなかった。
1950年代最強の打者のひとりだろう。
1999年野球殿堂入り。
余談ですが、元西武、千葉ロッテで活躍した
原井和也内野手が西武時代背番号30から
背番号変更を打診されたところ、
提示された背番号が6ということで
「本当に困った」と話されていました。
そのくらい、中西太の実績に対して、
当時の西武ライオンズの選手も
リスペクトされていたようです。
1950年代を代表する強打者のひとりですが、
ファールしたあとに、木の焦げるような匂いがした。とか
ショートライナーだと思って捕球しようと、
ジャンプしたらそのまま上に伸びて、スタンドに飛び込んだ!
数々の強打エピソード(伝説)がある中西太氏の
現役時代を4K画像で見たかったと強く思います!
- 首位打者:2回(1955年、1958年)
- 本塁打王:5回(1953年 、1954年、1955年、 1956年、1958年)
- 打点王:3回(1953年、1956年 、1957年)
中西太 通算打撃成績
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