ある日、新橋方面に行く用事があったので
ついでながら、汐留の旧新橋停車場に行ってきた。
現在の新橋駅から昭和通りを銀座よりに歩いて5分くらいのところにある。
歩いていけば、高層ビルの中に2回建ての趣のある建物なのですぐわかる。
旧新橋停車場は1872(明治5)年に鉄道が開通した時の
東京の玄関口となった駅だ。
日本で初めての鉄道区間は新橋ー横浜(現桜木町)の間を53分で結んだ。
鉄道開通の式典を行った10月14日は現在「鉄道の日」となっている。
鉄道の起点「0マイルポスト」と当時の線路もある。
1914(大正3)年に東京駅ができるまでは
新橋駅が明治時代の東京の玄関口だった。
「新橋ステンション」とも言われ、文明開花の象徴ともなった。
野球雲的に鉄道史を考えると、
野球も1872年にホーレス・ウイルソンが旧制一高(現東京大学)の
生徒にノックなどをして教えた、と言われている。
つまり、鉄道と野球は150年同期なのだ。
そして、日本に初めて野球のクラブチームを作った
平岡 凞(ひろし)が、1876(明治9)年にアメリカに自費留学して
鉄道技師の技術を勉強して、横浜からこの新橋停車場に降り、
野球以外にも日本で初めてローラースケートをしたらしく、
伝記によると、新橋停車場のホームで滑ったとも言われている。
新橋停車場は東京駅開業の後は旅客扱いを停止して、
貨物駅に使われるようになったが、
1923(大正12)年の関東大震災で焼失してしまった。
しばらくして建て直しをするのだが、なんとその年が
1934(昭和9)年、ベーブ・ルースをキャプテンに
大リーグ選抜チームが来日した年で、
完成が日本のプロ野球リーグ戦が始まった1936(昭和11)年というのも、
鉄道と野球のめぐり合わせを感じてしまうのだ。
平岡が工部省鉄道局に入り、クラブチームを作って「保健場」で
野球をやったグランドも新橋停車場近くにあったらしく、
大きなビルの谷間に明治初期の不思議な空間を勝手に感じてしまった。
一方、保健場は品川の八ツ山付近とも言われているので、
品川駅に行ってからその付近を眺めてみた。
リニアモーターカーの発着駅になる品川駅の近くに
明治の初めに周りが袴姿で野球をしているのに、
平岡率いるクラブチームがユニフォームを着て
ゲームに興じていたの様子を想像しながら、
21世紀に日本の近代化の柱となった鉄道の影に野球文化が花開いたのも
何ともいえないロマンを感じた昼下がりだった。
最終的に汐留駅は1986(昭和61)年10月31日に114年の歴史に幕を下ろした。
*********************************
野球雲はいつも古い野球とその周辺文化について書いています。
取材の裏話、泣く泣くカットした話、貴重な資料……
さらにディープな野球劇場はこちら↓
野球雲無料オンラインマガジン
データ協力 日本プロ野球記録
データ協力 たばともクラシックSTATS鑑賞
データ協力篠浦 孝氏