プロ野球記録の本に必ず載っている記録として

テレビのバラエティー番組の問題にもなったくらいのものが

通算打率10割、通算長打率40割の塩瀬盛道選手だ。

 

1950年にパ・リーグに参加した東急フライヤーズに

塩瀬盛道投手だ。

國學院大學に在学しながら、プロの世界に入った。

「時間があるときには大学で勉強ししていい」という条件も良かった。

しかし、それまで8球団の1リーグ時代から

いきなり15球団になったことで選手不足になったことで

塩瀬投手にもチャンスが巡ってきたのかもしれない。

 

1950年5月11日 大映スターズ9回戦は

初回から大映が7点を奪った。

米川、白木に続く投手として期待されている桑名投手は絶不調。

2番手樽井投手も5点を獲られ、0対12だ。

3番手蔦文也はのちに徳島県立池田高校で

やまびこ打線を率いて、甲子園で大いなる旋風を巻き起こした監督となった

蔦文也である。しかし、この日は6点を獲られる乱調ぶり。

そして5回二死の場面で塩瀬投手がデビューのマウンドに立った。

18点差で負けているとはいえ、デビュー戦の塩瀬は緊張していたが、

打者は姫野投手だったので、三振でチェンジにすることが出来た。

 

そして、6回表2死一塁の場面で8番塩瀬が打席に立ち、

無我夢中に初球を打つと、あれれ~と伸びて右翼スタンドに飛び込んだ!

なんと、初打席初球本塁打の大記録だ!

 

高揚した気分で、6回裏を投げたが、

本業の投球がおかしくなっちった。

 

6回裏

スターズ1番山田に四球、

2番滝田の二球目にボーク!

そこから2点を獲られたものの、1回を投げ切り

7回裏はもっと浮足だし、四球、内野安打、四球と

無死満塁で常見投手に代わって事なきを得たが、

本職の投球は散々だった。

1.1回を投げ、被安打5、四球2、ボーク1が

その日の投球成績だった。

 

そして、塩瀬投手は次のチャンスを待ったが

二度とプロ野球の試合に出ることはなかった。

 

1打数1安打1本塁打!

打率10割、長打率40割!

というインパクトのある打者成績を残して

プロ野球の世界を去った。

 

塩瀬盛道は引退後、サラリーマンになり

社長にまで出世!

珍記録の持ち主として、昭和のバラエティー番組にも出演。

記録と記憶を残した野球人となった。

 

 

 

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