◎西武鉄道 ~鉄道、土地開発、ホテル、パルコそしてライオンズ

 


①地域:東京都、埼玉県 

②主な行先:池袋~西武秩父、西武新宿~本川越ほか 

③走行距離:176・6㎞

 


西武鉄道といえば、1978(昭和53)年に誕生した西武ライオン ズのオーナー。

阪神、阪急、南海、近鉄などの名だたる鉄 道会社の後に続き

最後にプロ野球に参入した鉄道会社に思 われるが、そうではないのはご存じのとおり。 

 

西武鉄道は堤康次郎という五島慶太と並ぶカリスマ経営 者が有名だが、

元々は現在の西武新宿線を母体とする西武鉄道(旧西武鉄道)と、

現在の西武池袋線を母体とする武蔵野鉄道という

二つの鉄道会社が合併して誕生した鉄道会社である。

 

 堤は経営が傾いていた 武蔵野鉄道を再建すべく、

 1932(昭和7)年に株 主として経営に参画、

さらに1943(昭和 18 )年に は旧西武鉄道の社長にも就 任し、

現在の西武鉄道の骨格が誕生した。 

当時の貴族院議員の有馬頼寧(ありまよりやす) は

1936(昭和11)年からプロ野球 チーム

「東京セネターズ」 のオーナーに就任していたが、

その後旧西武鉄道と関 係をきっかけに上井草での 球場建設を打診。

 

旧西武鉄道は1936(昭和 11 )年8月29 日に

日本初のプロ野球専用球場「上井草球場」を建設した。 

上井草球場は2万5千人が収容できるスタンドや

選手の 控室、更衣室等も揃った最新鋭の球場だった。

1936(昭和11 )年のプロ野球は東京では上井草球場と

現在の江東区 にあった洲崎球場の二球場で試合は行われた。

 

 翌1937(昭和 12)年に後楽園球場が完成したのちは、徐々に試合数は減少し、

1940(昭和 15)年に西武鉄道は 球場を東京都に譲渡した。

戦後はGHQが神宮球場を接収していたため1952(昭和27)年 まで

東京六大学野球の試合の多くは上井草球場で行われて いた。

 正確には現在の西武鉄道と源流が違う。

 

上井草球場は1959(昭和 34 )年に貯水池を建設するために廃止になり、

 現在の球場は1967(昭和42)年に貯水池の上に建てられ、

杉並区 の上井草運動公園として名前が残っている。 

 

現在の西武ライオンズは1978(昭和53)年に

クラウンライター・ ライオンズから引き継ぎ誕生。

埼玉県所沢に西武球場を建設、

都心のターミナル駅・池袋や新宿からファンを鉄道で運び、

球団運営と運賃収入の相乗効果を図るという

鉄道会社らしい野球ビジネスモデルを展開した。 

 

世はバブル前夜。さらに寝業師・根本睦夫が監督に就任、 

それまでの球団とは違う選手獲得法と、

グループ会社のプ リンスホテルやパルコなどの

スタイリッシュなイメージも相まって、

九州時代の西鉄ライオンズとはまるっきり違う資本力で球団を運営した。 

 

プリンスホテルからの選手の囲い込みや

阪神の田淵幸一、古沢憲司の真夜中のトレード、

ロッテから山崎裕之を獲得するな ど大胆なトレードも実行し、

1982(昭和57)年には広岡達郎監督 の下で初優勝を遂げると、

森監督時代も合わせて巨人以上 の常勝球団を作り上げた。

1980年代のプロ野球は西武ライ オンズの時代だったといえよう。

 

西鉄ライオンズから埼玉西武ライオンズは、

豪快かつ緻密な野球をファンに魅せ、

強豪球団としてこれからも楽しい野球を提供してくれるだろう。

 

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