◎南海電気鉄道  日本最古の私鉄は鶴岡親分と共に


①地域:大阪府、和歌山県 

②行先:難波~極楽寺・和歌山市・関西空港ほか 

③営業距離:154㎞

 


南海電鉄は大阪なんばと紀州・和歌山と一大聖地・高野山と を結ぶ。

いわば全く異なる性格の二つの路線を柱としている。 

私鉄としては日本鉄道(現JR東北本線)、東京馬車鉄道に次いで開通。

純粋民間資本としての私鉄としては日本最古の私鉄会社です。

 

南海は先にプロ野球に加入していた阪神、阪急に遅れること2年、

1938(昭和 13 )年にプロ野球に参加した。
その際には阪神、阪急か らの誘いが大きかった。 

1938年秋季リー グから参加したものの、 なかなか勝てなかった。 

 

1940(昭和 15 )年に 法政大学から鶴岡一人が入団。

いきなり 10 本で本塁打王を獲得したものの、 その直後の鶴岡は応召。 

戦前は負け越しが多く目 立つ存在ではなかった。

 

 しかし、戦後鶴岡が 戻ってきてからチームは 大きう変わる。

球団から全権に等しい権限をもらった監督・ 鶴岡はチーム再建に奔走。

「鶴岡親分」と言われるほど、公私ともに選手、球団のことを考えた。

戦後すぐに南海は鶴岡のリーダー シップを持って強豪チームへ進んでいった。 

鶴岡監督は後日、戦後すぐには

戦前から選手たちが行っていた賭け試合に悩み、

1946年には疑わしい選手も含めて排除するために

守備位置を三塁から一塁のポジションから様子をうかがったという。

 

1948年のオフには三原監督率いる巨人にエース別所昭投手を引き抜かれ、

それ以来、巨人戦は大いに盛り上がったが、

1949年4月14日に「三原ポカリ事件」が起き、

険悪ムードはピークに達した。

 

1950年代からはパ・リーグを牽引し、

1951年52年53年と55年と優勝。

打倒・巨人に 挑んだが日本シリーズでは勝てなかった。

 

1959(昭和 34 )年、杉浦忠投手を擁 して、

400フィート打線によって、悲願の日本シリーズ4連勝、

宿敵巨人を倒しての日本一は南海ホークスのクライマックスだった。 

 

 

鶴岡一人は兼任も含めると

アンタッチャブル・レコード であろう 23 年という長期政権を築いた。

 

 

大阪球場を本拠地に

飯田徳治、野村克 也、杉浦忠、木塚忠助、

広瀬叔功の名選手を 輩出し、

1960年代後半まで長く強豪チームとし牽引した。

 

 

1969年は初の最下位になり、

野村克也がプレーイングマネージャーとなった。

ドン・ブレイザーを召喚し「シンキング・ベースボール」として

ID野球を推し進め、1973年にはパ・リーグ優勝をした。

 

 

しかし、1977年、野村克也が退団してから長期低迷時代に 入る。

そしてついに、1988(昭和 63 )年9月、ダイエーに身売りした。 

 

南海ホークスはオールドファンにとっては大事な存在で、

今も多くのファンが存在している。

また、水島新司原作の「あぶさん」のコミックスの

主人公景浦安武が所属した球団が南海ホークスということで

パ・リーグを含む、南海ホークス物語が、

それまでの野球コミックスのファンタジーよりリアルな展開が

より、南海ホークスの魅力を引き出していた。

 

 

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