4/19のNHK 「チコちゃんに叱られる」の中で
「始球式のはじまり」についてチコちゃんに叱られましたが、
その中で1929年始球式の映像で
フーバー大統領が観客席からグラウンドにボールを投げ入れていました。
その右側にウォルター・ジョンソン投手が映っていましたから、
ホワイトハウスの地元ワシントン・セネターズの試合なのでしょう。
ということで、ジョンソン投手が映ったので
2008年のブログを再放送です。
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古い、古い野球が好きです。
今回は20世紀初頭のメジャー・リーグの話です。
メジャーリーグで名投手で野球の殿堂入りのひとつの基準として
300勝以上が必要だった(今では不可能なので「だった」という過去形)。
歴代勝利数は
1位 サイ・ヤング 511勝316敗
サイ・ヤングが亡くなった1955年以降、彼の功績を検証することも含め
毎年最優秀投手に送られる賞が「サイ・ヤング賞」としてその名をとどめています。
2位はこれから紹介する
ウォルター・ジョンソンの
417勝279敗です。
ジョンソン投手は1887年11月6日カンサス州生まれ
アイダホでセミプロとして活躍して、
1907年にワシントン・セネターズ(現ミネソタ・ツインズ)に入団。
ジョンソン投手は入団一年目から5勝9敗ながらも防御率 1.88という数字を残し
打たれない投手の片鱗を見せた、
そして、2年目の1908年はセネターズのエースの階段を登り始めた。
そして、絶大なるエースとしてのピッチングとして、
9月4日、5日、6日の4日間に3連続完封をやってのけた。
その4日間の投球内容は被安打12本、奪三振12個、与四球はたった1個。
相手チームはハイランダーズ、現在のヤンキースだ。
日本でも、46日間で6連続完封という記録が残っているが
(元巨人の藤本英雄投手)
4日間で3完封も決して劣るものではないだろう。
今から100年前のニューヨークで9月4日から奇跡の4日間があった。
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9月4日ジョンソン投手はハイランダーズ戦のマウンドに上がり
6安打に抑え、3対0で完封勝利。
翌日、ジョンソンが他の投手と一緒にウォーミングアップをしていると、
セネターズの監督カンティロンが近づいてきて、
「ウォルター、どうだい調子は?」
「悪くないですよ」
ジョンソンがこう答えると、監督は再び先発のマウンドに送り出した。
今度は4安打に抑え、6対0で完封した。
翌日日曜日は安息日のため、当時のニューヨークでは試合は行われなかった。
試合の無いジョンソンは、ホテルでぶらぶらしていた。
翌日、ベンチに座っていたジョンソンのところへ、試合開始数分前になって
監督が話かけてきた。
「どうも、うちの投手陣は調子が悪いようだな・・・・・。」といって
ジョンソンの顔色を伺った。
監督はもじもじししながら、
「どうだい、肩の調子は?」
「いつも通り悪くありませんよ」
この答えで、三度ジョンソンは先発のマウンドに上がった。
横手から投げる99マイルのスピードは
中一日開けての登板でも、うなるようにキャッチャ-のミットに飛び込んでいった。
途中、相手エース、チェスブロ投手(シーズン40勝の記録を持つ鉄腕投手)に
ジョンソンの利き腕にデットボールを受けたが、5分間で立ち上がった。
7回に入ると味方の野手が緊張しているのがわかった。
リードして、抑えているのになぜ緊張しているのか?
ジョンソン投手にはわからなかった。
いよいよ9回の裏、最後の守備になり味方の野手がまたも
「がんばれよ、俺たちが守ってやるから・・・。」
といわれたが
ジョンソン投手は、全く疲れていなかったのでなぜ励ましてくるのか
わからなかった。
そして、簡単にハイランダーズ打線を3者凡退に抑え、マウンドを降りる時
チームの緊張感の意味がわかった。
今までのメジャー・リーグの新記録である4日間での3完封という記録を達成したことを・・・。
カンティロン監督は試合後2安打完封に抑えたジョンソン投手にねぎらいの代わりにこう言った。
「このあとの第二試合にもジョンソンが出て、また完封でもすれば
4日間に4完封、一日に2完封ということですごい記録になるんだが・・・・・。」
ジョンソンは監督の言葉を耳にすると、
スーッと、その場から姿を消したという。
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これ以降、ジョンソン投手は球界のエースへ昇っていく。
投手が完投などが珍しい時代の現在では完封はレアな記録の感がある。
だから、4日間で3完封は神話の世界になってしまっています。
100年前の野球なので連投は当たり前なのかもしれませんが、
それにしても、タフな投手です。
ジョンソン投手はこの年、完投23、完封6階を記録
チームが弱かったため、14勝14敗の勝利数でしたが
防御率は1.65の好成績を残しました。
その後1910年から10年連続20勝以上を記録し、
現役時代のピークの1913に36勝7敗 防御率1.14 完封11回を記録し、
通算で2度のMVPを受賞。
通算記録
417勝279敗 防御率2.17 完封勝利 110 5914回1/3
奪三振数 3508個 など数々の記録を残し、1927年39歳で引退
21世紀の現在ジョンソン投手の世界一の記録はひとつしかないが、
それは今ではアンタッチャブル・レコードとして残っている。
通算完封勝利数 110である。
ちなみに日本記録はスタルヒン投手の83回
1936年、
ベーブ・ルース、タイ・カッブ、クリスティー・マシューソン、ホナース・ワーグナーとともに
最初の5人として、栄光の第1回目の野球殿堂入りをした。
1946年12月10日、人格者であったジョンソン投手は
惜しまれながらこの世を去った。
参考文献:大リーグ不滅の名勝負(ベースボールマガジン社刊)